第93話 夜明け


 奇跡の数秒間のあと、地球を覆うエネルギーの繋がりは 溶け去るように消えた。



 世界中が一瞬、静まり返った。


 人々は呆然と辺りを見回し、思わず 溜め息ともつかない声を漏らした。

 そしてその直後から、爆発的な大騒ぎが始まった。


 いま自分が体験したことを隣人と語り合う者。

 涙を流し神に祈りを捧げる者。

 あらゆる手段で情報をかき集める者……



 だがそれらは、全て予想されたことだった。


 やがてマスターのネット予告にアクセスが殺到し、一時的に繋がり難くなったりもしたが、さらに彼は周到だった。


 各国の最新の新聞に記事が載るように、既に手配してあるのだ。

 この体験が無用な混乱を招かぬ様、これからも様々な方法で情報を発信していく用意がある。


 あらゆる宗教に差し障りなく 皆が生きる喜びを得られる方法があることを、世界中が知る事になるだろう。


 現在ある命に感謝を捧げ、太古からの命の連鎖を敬う。

 他者から奪うのではなく、心を解放し、自然と そして他者と繋がることで、エネルギーを補充する。

 ただそれだけで、世界は途方もなく美しいものへと変わる。


 その手段として、瞑想のやり方も紹介している。

 必要とする全ての人が その手段を受け取れるよう、報酬無しで発信しているのだ。





 瞑想に参加したメンバーは、みな放心したように顔を見合わせた。


「……凄かったね」「うん。凄かった」「凄かった」


 出てくるのは、せいぜいそんな言葉くらいだ。

 だが、皆一様に瞳を輝かせ、頬はバラ色に染まっている。

 その体験のあまりの素晴らしさに胸が一杯で、言葉など必要なかった。



 そのうち誰かが笑い出すと、つられて別の誰かが笑い始めた。

 それは徐々に広がって、結局全員が爆発的に笑い続けた。


 楽しくて可笑しくて嬉しくて幸せで、満ち足りるどころか幸福ではち切れそうだ。



 笑い疲れた隆太は、そのまま浜辺に寝転がり空を見上げた。


「お前らって、なんかいつも笑ってんのな」


 帰国直前にエリックが言ったのを、ふと思い出す。


 彼も今頃、笑っているだろうか。

 充実感に満たされて、幸せを感じながら、笑っているだろうか。

 カナダの空の下、信頼出来る仲間達と共に。



 先ほどから少し移動した月は、今もなお静かな金色の光を放っていた。

 晴れ渡った夜空には、銀色の星が瞬いている。


 しばらく夜空を眺めてぼおっとしていると、沙織がやって来て横に座った。



「大原君、風邪ひいちゃうよ」


 さっき隆太が巻いてやったマフラーを渡してくれる。

「コレ、ありがと。暖かかった」


「ん・・・」

 隆太はマフラーを受け取ると、勢い良く立ち上がった。


「戻ろっか」

 沙織に手を貸して立ち上がらせ、ふたりは店に戻った。



 店に入ると、温かい飲み物が用意されていた。


 みな思い思いの場所でくつろぎ、中にはテーブルに突っ伏して眠っている者も居る。



「お、フオン。眠くないのか?」


「眠くないよ、もう起きちゃった」

 フオンは適当な紙の裏に落書きをして遊んでいた。


 車で来た連中は帰れるはずだったが、まだ残っているらしい。

 おそらく朝までここにいるつもりなのだろう。


 話している者はあまりいない。

 ゆったりと本を読んだり、窓の外を眺めたりしている。



 カイだけがひとり、部屋の隅で忙しく電話したりパソコンに向かったりしていたが、夜明け近くなると戻って来た。


「やはりかなりの人が、奇跡体験をしたみたいだ。相当話題になってるよ」



 誰からとも無く、窓の側に集まりはじめる。




「あの奇跡の体験をした後の世界は、どんな風に変わってゆくのかしらね」

 有希子がぽつりと言った。



 いつか隆太が夢みたように、素晴らしい世界になるだろうか。



「もし何も変わらなかったとしても、今までどおりに暮らしていくだけよ。でもきっと、いい方向へ進むと思う。少しずつ、少しずつ」

 ホアが穏やかな笑顔を浮かべている。


「きっと、大丈夫。私達には、こんなに素晴らしい仲間が世界中にいるんだから」

 そう言ったのは、有希子の夫だ。有希子が夫を見上げ、嬉しそうに微笑んだ。


「天国にも、サラお姉ちゃんがいるよ」


「そうだね」

 隆太は夜空を眺めた。


 そうだね、フオン……





 徐々に外の闇が薄らいできた。星の光が弱まりはじめる。


 息をひそめるように 静かに待っているものは、皆同じだ。




 もうじき、夜が終わる。


 2012年。


 新しい時代の、最初の朝日が昇る。




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サレンダー 〜翼の守人〜 霧野 @kirino

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