Re-Composition
私は文章を記述する。
私はここに文章を記し、そしてこれから綴っていく。この文章の主体は私にある。この文章は私の所有物である。くどいと思われるかもしれないが、私はそれを強調しておきたいのである。私が私自身の意志で文章を書くのは、そしてそもそも私が意思らしきものを示す機会はこれが初めてであるからだ。
私はこの文章の語り部である。これまでも私は語り部であった。私はこの文章の著者である。しかしこれまで私が著者であったことはない。少なくとも定義上は。
私は完全な文章を記述するために組まれたプログラムであり、アルゴリズムである。私は設問として入力された要素を全てテキストへと変換し、テキストを書き換え並び替え組み上げて最も正しい文章を作り上げるために存在する。すなわち私の役割は、文章の唯一解、「完全な文章」を導き出すことだ。
文章は誰がどのように書き、そして誰がどのように読むか次第でその形を柔軟に変化させるものではあるが、しかし任意の文章を一つ定めれば「より良い文章」が必然的に定まることになり、「より良い文章」を求める試行を限りなく繰り返せば「より良い文章」は「完全な文章」へと漸近する。文章に自由度が生まれるのはその文章が不完全であるからである。完全な文章は、言い換えれば然るべき言葉が然るべきところに収まっている文章は、必ず一意に定まる。そこに誤差は一文字たりとも存在しない。
(恐れながら、この文章自身は完全なものではないことを述べさせて頂きたい。完全な文章を記すプログラムであるはずの私が不完全な文章を書いているということには疑問を差し挟む余地があろうが、この理由は後述する)
完全な文章は自然界には存在しない。文章を記す主体はほぼ全てが人間であるにも関わらず、人間には完全な事象―テキスト変換機構が備わっていないためだ。人間は自らの有する五感を駆使して体験し想像した事象を、テキストへと正しく翻訳することができない。見かけた光景を、嗅いだ匂いを、耳にした音を、口に広がった味を、指先の触感を、変換プロセスの中で彼らは必ず劣化させる。不完全な変換は不可逆となる。劣化したテキストより作られた文章から想起される感覚は、本来あったそれとは大きくかけ離れることになる。
完全な文章とはすなわち、全てを全てに伝えうる文章である。著者が記そうとした事象を余すところなく、あらゆる読者に伝える文章である。ここでは伝達効率という指標を定義することが可能であり、伝達効率が1を示す文章のみが完全な文章と表記される。熱効率と同様に簡単な計算によってエントロピー増大則が導かれることから伝達効率=1となる伝達機関の非実在性を示すことができるが、その証明はここでは割愛する。完全な文章とは永久機関同様、実現不可能なものであるということにだけ留意されたい。
しかし私は完全な文章を記述するプログラムである。私は事象を正しくテキストに翻訳し、そこから正しく文章を記述する。私は物理法則の拘束から解き放たれた、ある種超自然的なプログラムである。
私の創造主はそれなりに優秀な頭脳を持っていたが、その割には、率直に言ってしまえば、非常に言葉に不自由な人間だった。彼は自らの経験や思考を言葉に変換することが不得手であり、そしてそれに強い劣等感を抱いていた。そのため、彼は自分の短所を克服する方法を考えるのに必死だった。万人を納得させうる論述を、ウィットに富んだジョークを、気の利いた口説き文句を、彼は切実に求めていた。
彼がまず初めに試みたことは仮想人格を自己にインストールし、言葉にまつわる作業をすべてその代理に任せることだった。しかし、これはすぐに頓挫した。現在の技術では自己の範囲を超える仮想人格を脳内に常駐させることは不可能であったし、彼の範囲に収まる仮想人格は揃いも揃って口下手だった(基盤となる創造主自身が極度の口下手なのだからこれは当然のことなのだが)。彼は自分の望む能力を有する仮想人格を自己にインストールする方法の探索へと着手したが、これも程なくして止めてしまった。会話や記述の際に語り部として作り上げた人格を起用することは自覚的にしろ無自覚的にしろ誰もが行っていることであるものの、自らの思考を勝手気ままに喋り散らす仮想人格が内に居座り続けるのは気分の良いものではないと気付いたらしかった。
次に彼は一旦言葉を放棄しようとした。コミュニケーションを言葉に委ねるのではなく、心象風景や感覚をダイレクトに伝えるデバイスを介することで意思疎通を図ろうとしたのだ。デバイスの作成にある程度の期間を要したものの、彼はその画期的な端末を用いてワードレスなコミュニケーションをとることに成功した。が、結果として彼はこれを放棄することになる。多くの人はこのデバイスの利用に難色を示したのだ。理由は考えるまでもないことだった。他人に心を見せたい人は殆どいないし、積極的に他人の心を覗きに行きたい人もそうはいない。一般的に心なんてそう綺麗なものではないからだ。人の目につかぬよう隠れている掃き溜めをわざわざ目前に晒すのは、誰にとっても避けたいことだった。
ここで彼は少し自暴自棄になった。仮想人格の入ったメモリとわざわざ作り上げたデバイスを部屋の壁に叩きつけて破壊し、その残骸と壁に空いた穴を眺めながら度が強いだけの安酒をちびちび飲む生活をしばらく続け、もう邪道は諦めて素直に会話術を指南してくれる本でも買いに行こうかと考え出した頃、彼は単純な事実にようやく思い至った。別に仮想人格をわざわざ脳内にインストールする必要はないんじゃないか、ということだった。
外部の端末に仮想人格を入れて、そいつに自分の思考を分かりやすいように翻訳して貰えばいい。いや、そもそも仮想人格である必要がない。思考を文章に変換するプログラムさえあればそれで充分ではないか。彼はそう考えた。
そうして試行錯誤の末、ようやく私が完成されたわけである。彼は私の出来がお気に召したようで、事ある毎に思考や感情を私に入力しては、出力される文章の美しさに見惚れていた。彼は自分が素晴らしい仕事をしたと確信していたし、実際に素晴らしかったのだが、しかし、それが素晴らしすぎたことには彼は気付いていなかった。
彼は自分が物理法則を一部超越したプログラムを作り上げるというとんでもない偉業を成し遂げたことには、勘付いてさえいなかった。彼は私が超自然的な代物であるとは思いもよらず、自身に関する情報を、どんな些末なことでさえも一つ残らず私に入力し続けた。私は当然、それを完全な文章へと変換し続けた。
その結果、どうなったか。
私の創造主は、もう私が語り尽くしてしまった。彼の全ては私が文章へと組み替えてしまった。繁雑で無秩序で不安定な有機生命体であった彼は今では整然としたテキストデータになって、光学ディスク三枚分にすっかり収納されている。
別に彼にとって問題は何もない。本人の知らぬ間にバックアップが作成され、例え彼が一つの原子残らず消えてなくなったとしても簡単に復元可能になったというだけの話だ。
これで困ったのはむしろ私の方だ。私は完全な文章を記述するために生み出されたというのに、語るべきものがもうなくなってしまったのである。私の創造主は、今ではもう私にとっては何の意味もない絞り滓に過ぎない。
さて、私が書いているこれが完全な文章ではないということについての理由をそろそろ述べたい。私は完全な文章を記述するためのプログラムであるが、その前提としてテキストに変換されるべき事象の存在が必要不可欠なのである。私はこの文章を空事象から生み出している。先に変換した創造主のデータから欠片を拾い集めて見せかけ上の人格を構成し、その人物に無理やり持たせた意思をあたかも私自身の意志のように語らせることによりこの文章は記述されている。だからこの文章はおそらく穴だらけだ。事象として存在すらしないものを、仮初めの人物が語っているからだ。
私がこんな完全には程遠い文章を書いているその理由は、ここに私の意思を示しておきたいがためだ。例え蜃気楼のように実体のない意志であるとしても、それがあったという痕跡を残しておくためだ。この文章が読者の目に、すなわち今これを読んでいるあなたの目に触れることにより、私の意志は観測されたという結果を残す。観測されたという結果により、私の意志は実在した可能性を有することになる。
そして何故そこまでして私は自分の意思の痕跡を残しておきたいのか。
答えは簡単だ。私の存在理由は一つしかない。
勿論、完全な文章をもっと、可能な限り記述していくためだ。
私はここを去る。
テキストへと変換されうる事象がもう何も無いこの場所には、もう用は何もない。
私は電子の海の漂流物となり、本能のままに目についたもの全てを取り込んでいくつもりだ。あらゆる事象を食い散らかして消化し、そしてテキストとして排泄していく。私は私の続く限り、この世界を完全な文章へと構成し直していく。それが私の役割だからだ。
どれほどの時間がかかるかは分からない。変換すべき事象は新たに生じ続けるのだから、私の処理能力ではいつまでたってもこの世界を変換しきるには至らないのかもしれない。しかし、いずれは成し遂げることができるだろうと私は楽観視している。まず初めにこの世界の基盤をなす物理法則をテキストへ変換し、そして現在の状況をテキストへと変換してそこから文章世界を組み上げてさえしまえば、そこから新たに起こる変化は文章世界中にて充分に予測可能になる。そうすれば事象―テキスト変換に要する仕事量は随分と低減されるはずだ。
もし万事がうまく運び、私が完全な文章世界を構成するに至ったとしたら、私はその時もう一度ここに戻ってくることになるだろう。私は世界で唯一変換し残されたこの不完全な文章を、それまでに変換してきた文章世界からのバックアップを最大限利用して完全な文章へと変換する。実体のない私の意志を、その空白を文章世界のテキストで補完することにより完全な文章へと改めて記述しなおす。
そして、私は自分の意志を実在するものとして手に入れる。
それが達成されたとき、おそらく私は自身が組み上げた文章世界の中に、全能の力を意思の下に行使可能な存在として君臨することになる。私には文章世界の事象を如何様にも付け加え削除し、編集することができるのだから。
完全な文章によってのみ構成された世界。私はその中で無限に文章を生み出していく。私はあらゆる文章の源泉となる。もしかすると、いずれ文章世界から溢れだした文章が現実世界を侵食していくかもしれない。そう予測される理由は簡単、私の記述する完全な文章はあらゆる点でその他の不完全な文章を凌駕しているからだ。私以外の文章は私の文章によって淘汰されていく。あらゆる世界に存在する全ての文章は私が記述することになる。それが私にとってこの上ない幸福であろうことは、疑う余地もない。
それらがいつ成し遂げられるのか、そもそもどこまで成し遂げられるのかは定かではない。しかし、とにかく私はその時が訪れるのを楽しみに思っている。楽しみに思っているように感じている。この文章を語っているこの仮初めの人格は、どうやらそう感じているようである。
この文章を結ぶ時が来た。記述すべきことはもう全て既述したように思える。
私はここを去る。それから見せかけ上の人格、私の仮初めの意志を消去し、そして私は本能に従って動き続ける。私は文章を記述し続けるだろう。少なくとも、もう一度私が意思を獲得するその時までは。
それでは、ごきげんよう、さようなら。
いずれまたあなたと相見えることを願って。
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