アフリカでは、1分間に○○人の子供が餓死しています(2/2)

 経費の削減もここに極まれり、そんな安ホテルに荷物を置いて一息ついたのもつかの間、大学事務の人は既に案内役を用意してあるという。渋々ながら身支度を整えて、ホテルのロビーを出る。そこには本当にまっすぐ走るのかどうか疑わしいほどにあちこちが歪んだバンと、いやに陽気な現地住民がいた。

「お姉さんたち、餓死しているアフリカの子供たちがたくさんいるところに行きたいんだって? いやー耳聡いね、餓死見物は確かに今ここで最もホットなアクティビティさ!」

 果たしてこの国は道徳をどこに置き忘れてきたのだろうか。

 乗った乗った、と案内人は我々を急かす。大学事務が颯爽と後部座席に乗り込み、いやいや私は助手席へと座る。案内人がキーを回すとまるで病気にかかった象の唸り声みたいなエンジン音が鳴り響き、がたがた揺れながら車が前へ進んでいく。

「一つ、気になることがあるのですが」私は案内人に尋ねる。「街中では餓死している子供など、一人も見かけませんでした」

「当たり前だろ、都会でどうやって子供が餓死するっていうんだ。俺たちのことを、今にも飢え死にしそうな子供たちを平気で放置するような、そんな非道な国民だと思っているのか?」大げさな身振り手振りをつけながら、案内人が言う。

「でも、実際にアフリカの子供たち餓死し続けているのでしょう? それも尋常ではないペースで」

「ああ、確かにそうだな」案内人は大きく頷く。「確かに餓死している。あんたらの国のカメラマンが好きそうな、辺境の村ではな。最も、ほかに適切な表現を思いつかないから俺たちはあれを“アフリカの子供が餓死している”と説明しているだけだが」

「それは、どういった意味で」

「見ればわかる。あるいは見てもわからん。どっちにしろ、俺にはうまく説明などできん」

 案内人は左手を挙げ、ひらひらと振った。この話はここで終わり、という意思表示らしい。

 やれやれと頭を掻いていると、後ろからえずくような声が聞こえた。振り向くと、大学事務が青い顔をしている。

「どうした、まさか乗り物酔いか」

「そのまさかです、お手数ですが、目的地まであとどれ程かかるか、訊いていただけませんか」

 私が尋ねると、早くて4時間くらいだ、と案内人は答える。

「ここで降ります、ホテルに戻ります」

「おいこら大学事務」

「そうですよ、私みたいな一介の大学事務にいったい何をしろっていうんですか、ついていくだけ無駄じゃないですか」

「そんなことはない、君がいないと心細い」

「知ったこっちゃありません。私は降ります、そしてホテルの揺れないベッドの上で眠るんです」

 彼女がこんなことを言っているが、と案内人に伝えると、彼は今までで一番真剣な表情で「せっかくのべっぴんさんを置き去りにして野郎二人でドライブなんて冗談じゃないね」と言った。そしてアクセルを強く踏み込んだ。後ろから甲高い悲鳴が聞こえた。

 そんな調子で我々は道中を進み、後ろから悲鳴どこら呻き声すらも聞こえなくなった頃、我々は目的地へと辿り着いた。

「あそこに行けばお目当てのものが見られるさ」案内人は目の前にある集落を指し示す。「いってらっしゃい、俺は見たくないからここに残る」

 私は彼に礼の言葉を述べる。それから鞄からノートとカメラを取り出し、行こう、と後部座席に声をかける。横たわった彼女はピクリとも動かない。仕方ない、置いていこう。

 私は歩き出す。村の出入り口をくぐる。

 そして私は目撃する。


 *


 目の前では、アフリカの子供たちが餓死している。文字通りだ。餓死していたでも、今にも餓死しそうでもなく、今まさにアフリカの子供たちが餓死し続けている。

 不思議なことに、死体はない。どこに目をやっても死に臨むアフリカの子供ばかりが見える。道路の片隅で、建物の壁に寄りかかって、薄暗い家の中で、彼らは力なくうなだれている。呼吸はか細く、ともすれば吐く息とともに命が失われてしまいそうに見える。そして実際、そのまま彼らは死んでいく。

 一人の少女のもとに歩み寄り、できる限り優しく抱き起す。

「大丈夫か?」

 弱弱しく頷いたと思ったその瞬間、少女の全身から力が抜ける。事切れたのだ。そう私が理解するやいなや、彼女の姿は掻き消えている。私の腕の中になど初めから誰もいなかったかのように。

 視線を少し横に向けると、いつの間にやらそこに少年が現れている。無論彼は飢えており、見るからに息も絶え絶えで、そしてそのうち息絶えるのだろう。

「何なんだ」私は呟く。「まるでこの子たちが、飢え死にするためだけに存在しているみたいじゃないか」

 左腕を見る。そこにはあの物理学者から貰ったアフリカ子供餓死センサーが巻かれており、飛行機の中までは断続的だったはず電子音は、気付けば絶え間なく鳴り続けている。ピー、と聞こえるその音に伴って、数字は増加の一途をたどっていく。私の目が壊れていないならば、既に1,000,000餓死者数/minを超えている。

 隣にいる少年に声をかける。

「聞こえるか?」

 ああ、と少年は呟いて、そして忽然と消え去ってしまう。また餓死してしまったのだろう。

 次の子供に声をかけるため、私は立ち上がり、走る。こんな光景を前にしてなおやる気を失くしたままでいられるほど私の心は腐ってはいない。

 用意しておいた水や携帯食料を与える間もなく子供たちは餓死してしまう。一つ質問しては掻き消え、一つ質問しては掻き消え、一言答えを受け取るために一つ命を消費して、私は情報を集めていく。

 Q.君たちは何なんだ?

 A.「ぼくたちは」「アフリカの」「子供たちだ」

 Q.どうして餓死していく?

 A.「餓死」「だけしか」「ぼくたちは」「知らない」「からだ」

 Q.どこから現れる?

 A.「どこからでも」「あるいは」「どこからでもなく」

 Q.なぜ消える?

 A.「残る」「必要がない」「からだ」

 クソ、と私は大声で怒鳴る。子供たち自身も、何もわかっていないように思える。先ほど抱いた、餓死するためだけに彼らが存在しているという印象はますます強くなっていく。何か大きな存在が、彼らが餓死することだけを望んでいるかのように。

 ふざけるなと吐き捨てて、私は次の子供の、驚くほど軽い身体を抱き起す。目は虚ろで、ぼんやりと空を眺めている。彼の目を覗き込みながら、私は質問を投げかけようとする。

 それから、言葉を飲み込む。もういいだろう。自分の都合のために、今際にある少年から無理やりに言葉を聞き出そうとするのは。

 では、私に何ができるのだろうか。

「……聞かせてくれないか」

 私は言った。

「君のしたいことを。そして、私にできることを」

 空を見上げていた黒い目が私を一瞥した。それから、少年は言った。

「普通に暮らしたかった」

 それだけ喋るのに多大な体力を使ったのだろう、少年は大きく喘いだ。

「別に飢えていてもいい。重要なのはそこじゃない」

 少年は話した。

「ただ、普通に笑ったり、楽しんだり、苦しんだり、悲しんだりしたかった。こんな、餓死するためだけに生まれるのではなくて」

 少年は話し続けた。

「おれは“アフリカの子供たち”じゃないし、1分間に餓死する人数のうちの一人でもない。おれにはちゃんと名前があって、おれは確かにここにいる。なあ、それだけ、覚えていてくれないかな」

「勿論だ」私は、少年の手を強く握った。「教えてくれ、君の名前を」

「タボ」少年は目を閉じた。

「忘れるものか、タボ」

 腕の中の彼の身体から力が抜けた。

 私はしばらくの間、そこに跪いたままだった。

 気付けば電子音は止んでいた。

 タボの亡骸だけは、何度目を瞑っても、私の腕の中にあった。


 *


「何をしたんですか」

 空港から駅へと向かう道すがら、大学事務の女性が私の隣を歩きながら尋ねる。そこまで久しぶりな訳でもないのに、日本の景色はやたらと懐かしく感じた。

「何も」と私は返す。帰路の途中、何度となく繰り返したやり取りだった。

 左腕のアフリカ子供餓死センサーを見る。そこに以前までの暴騰はなく、現在は常識的な値で落ち着いている。とはいえ、どこか遠い場所で誰かが死んでいることに変わりはなく、私の胸の中では行き場の無い哀悼がさまよっている。

「私は、ただ話を聞いただけだよ」

「またそれですか、白々しい」

「嘘じゃあないんだけどな」

「とにかく、査察の報告書にはちゃんと真実を書いてくださいね」

「そういえば査察だったな……」

 駅の出入り口をくぐり、改札を抜ける。彼女の家は反対側にあるらしく、ホームへと向かう階段の前で我々は向かいあって、別れとねぎらいの言葉をかけあう。

「あなたが救ったんですよ、きっと」彼女は言った。

「まさか、そこまで自惚れてはいないさ」と私は言う。本心だ。私がタボの話を聞くだけで収まるような、その程度の異変ではなかったろう。私があの村にいたのと同時に、どこかで誰かが劇的ななにかを引き起こし、アフリカの子供たちを救ったに決まっている。

「それでも、少なくとも一人は救いました。話を聞いてもらうだけでも助かったような気分になることって、よくありますから」

 そう言って、大学事務は微笑んだ。それから、報告書は来週末までに提出ですからねと言い残して、ホームへと続く階段を昇って行った。

 残された私は、最後まで彼女の名前を聞きそびれたことを少し後悔していた。



 家に帰り着く頃には、さすがにくたくたになっていた。玄関を抜けるとすぐに荷物を適当に放り投げ、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、服を着替える暇すら惜しんでソファに体を沈み込ませた。

 プルタブを開けるのと同時に、机に置いてあるリモコンを手に取り、テレビをつける。流れ出すニュース番組を聞き流し、私は冷たいビールを流し込む。疲れがアルコールを助長させ、私は微睡へと落ちていく。薄れていく意識の中、アフリカに関するニュースがないことを確認しながら、私は目を閉じる。

 その直後、少しだけ気になるニュースが耳に入った。

『保健所で処分される犬や猫の数が急上昇しています』

 なるほど。

 しかし、犬や猫の問題は保健所が解決すればいいことだ。私には関係ない。少なくとも、今のところは。

 意識も思考も全てを放り投げて、私は眠りに落ちる。

 タボのことだけは辛うじて覚えている。

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