アフリカでは、1分間に○○人の子供が餓死しています(1/2)

 その言葉を初めに言い出したのが誰なのかはわからないし、当初の人数が具体的に何人だったのかも記録に残っていない。それはアフリカの惨状を端的に伝えるという点では極めて優れたキャッチコピーであり、耳にした誰もが心を痛めた。ある者はなけなしの硬貨を寄付に捧げ、ある者はその惨状を他人に伝え、ある者は遠い土地の悲劇を気にかけながらも普段通りの生活を送ることにした。

 人々の憐れみを一身に受けながら、しかしアフリカでは子供たちが相変わらず1分間に何人かのペースで餓死していた。寄付金で助かる命も数多くあったが、多くの人間がよこすのはおおよそ憐れみのみであり、憐れみは腹を膨らまさない。現状はそう大きくは変わらず、人々はアフリカの子供たちを1分間に何人かが餓死するものと捉えていた。

 アフリカでは、1分間に10人の子供が餓死しています。

 アフリカでは、1分間に15人の子供が餓死しています。

 アフリカの子供たちがどうであろうと、所詮海を遠く隔てた他国の出来事だ。大半の日本国民の生活には影響ないが、アフリカの子供たちに近いところで仕事をしている人々はそうもいかない。現在進行形の惨事であり、救うべき対象である。だから喧伝し続けた。

 アフリカでは、1分間に20人の子供が餓死しています。

 アフリカでは、1分間に30人の子供が餓死しています。

 その文言を目にする度に人々は心を痛め、寄付金の額は一時的に増加した。寄付金により子供たちの命はいくらか助かり、そして安心した人々が1分間あたりに餓死する人数を忘れるあたりで、再びアフリカの子供たちが餓死する数がまた報道された。

 アフリカでは、1分間に50人の子供が餓死しています。

 アフリカでは、1分間に80人の子供が餓死しています。

 なんか増えてない?

 人々がようやく気付き始めた頃、アフリカの子供たちは1分間に3桁を超える勢いで餓死していることになっていた。その増加に歯止めはかからず、日ごとにアフリカの子供たちが餓死する勢いは増していった。さすがにこれはおかしいと調査を始める団体もいたが、その報告結果は「実際にアフリカでは恐るべき数の子供たちが餓死し続けている」ということであり、更に「餓死するペースを上回る速度で、どこからかアフリカの子供たちが発生している」とのことだった。

 やがて1分当たりの餓死者数は数千に達し、そして万を超えた。アフリカどころか全世界を食い尽くさんばかりの死者数だったが、それでもアフリカの子供たちは無尽蔵に餓死し続けた。

 いつしかニュース番組の中に、その日のアフリカの子供たちの餓死者数を示すコーナーが設けられるようになった。際限なく膨れ上がっていくその数字には、ある種の爽快感すらあった。

「全国各地のお天気です」

 そう言うのとまったく変わらぬ口調で、アナウンサーは報道した。

「本日のアフリカの子供たちの餓死者数です」

 その日の最低気温みたいな調子で表示されるその数字を見て、視聴者たちは首をかしげながらも、とりあえず「可哀そうに」と同情を示すのだった。


 ***


「当大学としてもこの問題は看過できないと、急遽委員会を組織して派遣する手はずになりました」

 広い会議室の中、机が長方形上に並べられていた。その短辺側、会議室の前に立っている女性が司会進行を行っていた。芯が通っているその声はよく通り、ピンと伸びた背筋には芯が通っているよう、鋭い目つきからはまるで芯そのものが放射されているかの如くであり、全身隈なく直線で構成されているみたいな女性だった。

「皆様にはお忙しい中この“アフリカの子供ちょっと餓死しすぎ問題対策委員会”に出席いただき、まことにありがとうございます」

「えー、そのふざけたネーミング以外にも文句を言いたいところがあるんですけど」

 出席者の一人である私が口を挟んだ。司会の女性から向かって右側の列に座っており、更に言うならばこの列に座っているのは私一人だ。向かいに座っている人数も同じく一人であり、今までに挙げた人間がこの部屋にいる人数の全てを占めている。

「参加者少なすぎません?」

「皆様ご多忙のようでして、欠席の連絡をいただいております」

「私のところには“必ず参加するように”と連絡が来たのですが」

「現地の言葉を使えるのがあなただけですので、あなた抜きでは通訳が必要になります」

「要は人件費をケチったと」

 私は大きくため息をつく。私は言語学を専攻しており、確かにアフリカの言葉をいくつかかじってはいる。しかし飢餓だのなんだのは完全に私の専門外であり、問題解決にあたって必要なのはどう考えても経済やら資源やら食品環境やらそのあたりを修めた人材だ。

「じゃ、向かいの人が食料問題に詳しいわけだ」

「いえ、原子物理学を専攻していらっしゃいます」

「なんで呼んだの?」

 私は向かいを見る。彼は居眠りしていた。なんでこの人は来たんだ。

「クソッ、どうせ三流大学なんだから、見栄なんて張らずに他に任せとけばいいじゃないですか。よく知らないけど、ユニセフとかFAOとかが何とかするだろ」

「まあそう言わずに、当大学の体面を保つためにご協力ください」

「今の言葉で一層やる気が失せた」

「そうなるとこの委員会にやる気のある人間が居なくなってしまいます」

「あんたもないのかよ」

 私もただの大学事務ですし、と女性が言う。上に明らかにやる気がなく、議論すべき内容もなく、そもそも人すら集まっていない。会議とは得てして有意義になりがたいものではあるが、それにしたって不毛に過ぎる。

「しかし、こんな無駄な時間を過ごしている間にも、アフリカの子供たちは刻一刻と餓死しているのです」

 女性は頭上にある電光掲示板を指さした。本来時計があった場所にそれは設置されている。大きく赤く光っている数字はもう10万に達しようとしており、右下に書かれた単位は“餓死者数/min”。いまだかつて聞いたことのない単位であり、できることならこれからも耳にしたくない。

「アフリカ子供餓死センサーです」

「アフリカ子供餓死センサー」

「アフリカの子供たちが餓死するときに放射される微弱な電磁波を検知するそうです」

「なんだその仕組み」

「そこの原子物理学者が開発しました」

「アフリカの子供たちは放射性同位体かなにかなの?」

 私は再び向かいを見る。彼はまだ居眠りしていた。一応、彼がここに来る理由はあったようだった。

「御覧の通り、現在もその数は増加し続けております。餓死者数/minは指数関数的に増大しているとの報告がありますし、このまま手をこまねいているわけにはいきません」

 ピ、ピ、と電子音が鳴り、その度に電光掲示板の数字が一つ増える。変動を続けるその莫大な数字にはちっとも現実感が備わっておらず、人の死をあくまでも無機質に計上していく。積み重なっていく膨大な死は悲劇ではなく単なる現象として理解され、どこまでも他人事なそこに感情が入り込む隙間はない。

 明らかに生まれえぬ数の人間が生まれ、そして餓死していく。そんな意味不明な事態をどうすればまともに受け止めることができるというのだ。

 増えていく数字を見ながら、私はどういった気持ちでそれを眺めればいいのか悩んでいる。

「ともあれこの人数では討論も意見交換もなにもありませんし、さっさと査察のための打ち合わせを始めましょうか」

「本当に行くんですか?」この人数で、と私は暗に言う。

「もちろん行きます、明後日から」

「明後日?」

「明後日」こともなげに女性が言う。

 私は絶句する。静かになった部屋で、ピ、ピ、と電子音が餓死者数/minの増加を告げている。


 *


 飛行機の座席に私は座っていて、一つ空席を挟み、大学事務の女性が背筋の伸びた姿勢のままアイマスクをつけて眠っている。我々一行が座る座席はこの一列のみで事足りている。一行とは勿論私と彼女の二人だけを指し、両者ともにやる気を持ち合わせていない。そもそも何をやればいいのかさっぱり分かっておらず、やる気を向かわせる場所がないのだから、結果として都合が良い。

 私の左腕には小型の腕時計のような端末が巻き付けられていて、ピ、ピ、と電子音を鳴らし続けている。あれから一日で驚異的な小型化に成功したらしく、あの物理学者は空港のロビーにてこれを私に託したのちに「面倒だから」という理由で再び去っていった。事実、彼は自分の仕事を期待以上に遂行しており、そういった意味では間違いなくこの委員会の中で最も優秀な人物であるのだが、端末にマナーモードを搭載し忘れた彼のことを私は素直には評価しかねる。

 耳障りな電子音を鳴らし続ける端末に表示されている数字は今現在、数十万という規模になっている。マンボウの稚魚だってもっと生き残る。

 一応この“アフリカの子供ちょっと餓死しすぎ問題”について、私も説明を試みてみることにする。

 ① 実際にはアフリカの子供たちは、数字に示されるほど餓死などしていない。全てがたちの悪い冗談だ。……そうであってくれればいいものだが、しかしこんなに趣味の悪いジョークを世界中に広めることで、どこの誰が得をする?

 ② 実際に子供たちは生まれており、餓死し続けている。我々が知らない間に、アフリカで人口爆発が起こったのだ。1分間に10万人もの餓死者数を生み出せるほどの人口が、今現在アフリカに住んでいる。1時間で600万人、1日に1億4400万人。……これで絶滅しないためには、一体何人の人間が必要なのだろうか。私には見当もつかない。

 ③ アフリカの子供たちはもはや別種の生命体に変貌している。過酷な生活を続ける中で驚異的な繁殖力を彼らは獲得した。しかし、環境はその変化に対応しきれなかった。いきなり食糧生産能力が飛躍的に向上することもないだろう。アフリカの子供たちは増殖しすぎるあまり、深刻な食糧危機に陥ったのだ。……アフリカの子供たちをなんだと思っているのだろう、私は。

「ぶつぶつうるさいですよ」

 アイマスクを外し、女性がこちらを睨みつける。知らず知らずのうちに言葉に出てしまっていたらしい。

「なんにせよ、飛行機に乗ってしまったのですから、あとはもう行くしかないのです。現地のことは現地で考えるとして、今は身体を休めてはいかがですか」

 言葉に微妙に棘があるが、おそらくは励ましの言葉だろう。

「そうだな、ありがとう……」呼びかけようとして、彼女の名前を知らないことに私は気付いた。「えーっと、大学事務の人」

 けっ、と分かりやすい悪態を吐き、大学事務の人はアイマスクを再装着した。

 私も彼女を見習って、眠ることにした。そもそも考えるほどの材料を私は何も持ち合わせていないのだから、考え込むのも無駄である。

 私は目を閉じる。途切れることのない電子音と少しずつ近づいてくるアフリカに、多少うんざりした気持ちになりながら。

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