例えばこんな話

鰐人

シーズンわん

メカ妹

 不治の病にかかって内臓が穴だらけになり、窓の外の枯れ果てた桜の樹を儚げに見つめて俺の手をそっと握り「お兄ちゃん、私、まだ生きたいよ……」と両の目に涙を湛えながらそう呟いた妹は、機械の身体を手に入れてあっさりと蘇った。銀河鉄道もびっくりのスピードで。両親曰く、少し前に宝くじで当てた3億円の半分が残っていたらしい。そんな話俺は終ぞ聞いたことがなかったし、前半分が何に使われたのかも与り知らない。

 退院したニュー妹は「またこうして外を歩けるなんて夢見たい!」と大はしゃぎで背中からジェットを吹かせながら桜並木の間をスラローム飛行していた。元気なのはいいことだが、そう言うならせめてその両足で歩いてほしい。

 生まれ変わった妹は、高級自動車の外板よりも耐疵付き性の高い鋼板で作られたボディを誇り、最速120km/hでの走行とマッハに近い速度での飛行を可能とする。太陽光発電と燃料電池を礎にしたバッテリーは無充電で最長20日の連続起動を実現し、core-i7なんて小指一本で蹴散らせる性能を備えたCPUによって以前は1問あたり5分はかかっていた二元連立方程式は30秒で解けるようになった。

 なお、現在のところ生身の脳と機械の身体を直接繋ぐ技術は確立されておらず、ニュー妹の頭部に収まっているのは旧妹の知識やら記憶やら意識やら経験やらをまるまるコピーした掌大のチップであり、生身のままだった旧妹は血反吐を吐き散らし苦しみながら死んだ。旧妹の棺桶を見つめながら「私、あなたの分まで生きるから」と気丈に呟いたニュー妹の目に涙を流す機構は備え付けられていない。

「こんなの妹じゃねえ!」と叫んだ俺は親父にぶん殴られ、「妹になんてことを言うんだ!」と叱咤した後に「不満があるなら言ってみろ、できる範囲で調整してやるから」と親父は優しく宣う。「そういうところだよ!!」と悪態を吐くと再び拳が飛んできた。

 ちっとも痛くはないのだが、身体が痛まずとも心は痛む。勢いあまって、俺は家を飛び出した。

 近所の河原に俺は来た。小さな頃から、何か嫌なことがある度に俺はここで一心不乱に水切りに挑戦したものだった。夕日を映した水面を石がきれいに跳ねていくと、今日はともかくとして明日は何かいいことがあるように思えた。

 生憎の曇り空で、川は灰色に染まっている。俺は足元から平べったい石を一つ掴み取り、大きく振りかぶって、思いっきり投げる。石は勢いよく空を切り、数えきれない程水面を跳ねた後向こう岸まで辿り着く。

 カツカツカツ、と硬質な音が連続して聞こえ、後ろを振り向くとニュー妹が拍手をしている。

「お兄ちゃん、さすが」と彼女は言い、俺の隣にきて腰を下ろす。

「どうしてここが分かった」ぶっきらぼうに俺は言う。

「だって、お兄ちゃん昔っから何かあるとここに来るじゃん」

 しばらく沈黙した後、「お前は妹じゃない」と俺は言う。言った後に、他人を傷つける言葉を平気で言えてしまう自分に嫌悪感が募る。

「私は妹だよ、お兄ちゃんの妹」

「……俺の妹は病気で死んだ」

「あの子も妹だし、私も妹。別に妹が一人じゃなきゃいけない理由なんてどこにもないし、なにより私はお兄ちゃんがお兄ちゃんで、私がお兄ちゃんの妹だってことを知っているもの。だから私は妹で、あなたは私のお兄ちゃん」

 俺はまた少し押し黙る。腰をかがめてもう一度石を拾い、今度は向こう岸に向かって思いっきり投げつける。石は一直線に飛んでいき、向こう岸に着弾して河原に小さな穴を空ける。

「ごめん」と俺は小さくこぼし、「いいよ」と妹は大きく笑う。

「帰ろう。お母さん、退院祝いにご馳走を用意してるってさ。私たちは一つも食べられないけどね」

 ん、と妹がこちらに向かって手を伸ばし、俺はその手を掴む。

 ガチリ。

 金属と金属が触れ合う音がして、俺は自分が旧兄ではなくニュー兄だったことをここでやっと思い出す。

 ぐいと妹の手を引っ張り、俺は妹を立たせてやる。

「ごめんな」と俺は謝る。「俺はどうしてこう、大切なことばかり忘れてしまうんだろうな」

「普段は忘れておいて、たまに思い出すくらいが丁度いいから、じゃないかな」と妹は笑う。

 手をつないだまま、俺と妹は家に向かって歩きだす。灰の積もった道の上に、人間のそれとは少し異なった足跡が二本残されていく。

 きっと、両親ももうすぐ死ぬのだろう。両親もそうだし、他の人たちも死んでいく。俺と妹は遺される。命の失われた世界に。

 それでも、俺はこいつと生きていく。

 握る手に少し力を込める。強く握り返される。

 灰色の景色の中を、俺と妹は歩いていく。

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