「これは可能性の話しだよ」
日曜日。昨日と同じくたっぷりと寝坊した。寝過ぎて痛む頭を押さえながら、携帯を手に取る。充電器から外し、電源を入れた。
充電するために寝るときは必ず電源を切っているのだが、これがすこぶる評判が悪い。夜に送ったメールが返って来ないや、電話が繋がらないなど。ぼくからすれば夜は寝るための時間で、他愛もないおしゃべりに使う時間でもない。
長年の付き合いである土樹はその辺のことをよく知っているので、昨日のうちに今日の予定は全て決めていた。土樹からのメールはないが、達からメールは来ていた。名前矛盾に関係するものはなかった。
母親に今日土樹と出掛けることを告げ、遅い朝食を取る。食パンをかじりながら、昼食のことを考えた。出掛けるのは昼なので昼ご飯はどうしようか。土樹のことだから一万円を使ってみるためにどこかに行くかもしれない。
どこに行くか土樹が決めることなので予想つかないが、どこに行くにしろそこにぼくがいていいのか疑問だ。もし友達に見られたら、次の日話題に上るかもしれない。
隠し続けることはできないとわかっているが、やっぱり長く隠していたい。顔の広い土樹と親友であることがバレたら仲間内での陰口や悪口の言い合いに混ざれなくなるかもしれない。
これでもしバレても、特に土樹は被害を受けないのだから、ほんと割に合わないんだよなあ。
待ち合わせ時刻から10分が過ぎたころ。ドアがガンガンと叩かれた。すでにノックの域を超え、取り立て屋みたいな音になっている。近所迷惑を考えて駆け足でドアを開けると土樹が拳を振り上げているところだった。
「よお、おはよー」
「10分の遅刻だよ」
「10分なんて遅刻に入らない。ただの誤差だよ、誤差」
「誤差ね、まあもう慣れたけど。おはよう、土樹。それとも景色写真かな?」
土樹は肩をすくめた。
「どっちでも」
自転車で目的地に行く道中、昨日なにをしていたのか土樹に訊いてみた。英気を養ってきたらしいが、ゆっくり家にいたなんてことはないだろう。土樹は昨日を思い出して少しにやけた。
「カラオケだよ。盛り上がった」
やっぱり。土樹の場合、英気を養うイコールゆっくり休むという意味ではない。こいつは友達とはしゃぐことが充電となるのだ。
「覚えてるだろ? 村月に音戯、そいつらと久しぶりにな」
土樹が上げた小学校時代の友人を上げる。共通の友達だったが、中学に入ってから彼らとは連絡を取っていなかったので、まだ交流があることに少し驚いた。
「お前は来ないのかって聞かれたな。名コンビは解散したのかって」
「名コンビ……。解散もなにも組んだ記憶がないけど」
「俺はコンビっていったらお前と永家を思い浮かべたが、端から見ると違うらしいな」
永家か。
それはまた、なんとも覚えのある名前だ。
まだメールする唯一の仲。小学校時代、一番匂いが近かったせいか、クラスが変わってもよく一緒に遊んだ。
「ぼくと永家は違うよ。今の土樹とぼくみたいな関係じゃない」
「助け合いはなかったか?」
「助けたことはある。助けられたこともある。でもそれはぼく個人、永家個人で行われたことだ。今みたいに他人の長所で自分の短所を補う関係じゃなかった」
だから言ってしまえば、短所を認め合った仲。コンビにはほど遠い。
「お前と永家がコンビじゃないなら、いったいなんなんだ?」
「半身、半共生。前者はぼくが、後者は永家が言ったことだよ。まあ、多分適切に表現できてないだろうけど」
「どう適切じゃないんだ?」
「ぼくと永家が揃っても『1』にはならない。ぼくか永家がいなくなっても、影響はない」
ぼくの短所は永家の短所。永家の長所はぼくの長所。二人揃ってもなにか変わるわけじゃない。独りで充分なことに、同じ二人は要らない。
「もし次に村月くん、音戯くんに会ったらメール頂戴って言っておいてよ」
「お前からメールすればいいじゃねえか。メルアドは知ってるだろ」
「用がないときにメールができるほどの話題をぼくは持っていないんだ」
「『久しぶり』でいいだろうが」
「『久しぶりだね』って返ってきたらどうするのさ」
「そんときは……、ああもう! わかったよ言っとくよ!」
まったく、なにを怒っているのだか。
遠巻きにワゴン車を見つけたとき、そこには先客の姿があった。私服の男女。男子が二人の女子が一人で、大学生か社会人に見える。中高生には見えなかった。
「売ってるよね、あれは」
「経済力から差がありそうだな。向こうは10万単位で売ってそうだ」
「そんなに売るかな。怪しいのに」
「いろいろ調べて、安全とわかったからかもしれん。警官とか、研究所とかで調べられそうだし。社会人ならそういう人脈がありそうだろ」
「警察はわかるけど、なんで研究所?」
「高性能の顕微鏡とかで細部まで調べたり、素材から調べたりできないのか?」
「……そこまでするぐらいだったら、銀行や郵便局に行くんじゃないかな」
先客が消えるまで離れて観察する。土樹は一人で行っても良かったのだがぼくを気にして待ってくれた。
ぼくは昨日の接触で顔を知られている。あのおじさんが土樹と同じ匂いだとすると、顔見知りを見つけたときは必ず声をかけるだろう。おじさんはいいかもしれないが、ぼくとあのお客さんははじめましてだ。空気が保たない。
しばらく観察しても、男女は一向にお札を出そうとしなかった。財布も持っていないところを見ると、すでに交換が終わったなかもしれない。いくら売ったのかわからないが、おじさんやの顔は晴れやかなので相当な枚数を売ったように見えた。
「やっぱり中学生を相手にするより、大人を相手にするほうが効率は良さそうだよね」
「扱うモノがモノだからしょうがないだろうな」
「……だよね」
「どした?」
「いや……。あのおじさんのところに来た人って、ほとんどぼくたちみたいな子どもだったなって。大人らしき人は初めて見た」
「時間じゃないか? 俺たちが来たのが放課後だったからたまたま中学生が多かったとか」
結局、ぼくたちが見てる間は一万円が売買される姿を見ることはできなかった。三人のお客さんが消えるのを待って土樹は声をかける。
おじさんはぼくを見ると「おっ」と声を出したが、残念、今日もぼくは一万円を持ってきていない。
「いらっしゃい」
おじさんはすでに10円が入っている缶を膝の上に置いていた。蓋はすでに開いている。やっぱりさっきの男女は一万を売ったらしい。
箱の中に視線を向けているのに気付いたおじさんは、ジャラジャラと箱を降って10円玉をかき混ぜた。
音も見た目も10円そのものだ。土樹の言うように、本当に偽物なのだろうか。ほとんど期待していないが、一応考える。
「君は今日、売る気になったのかな?」
おじさんがぼくを見て言う。
「残念ながら」
「そうか……」
「ですが、今日は隣の奴が売るそうです。昨日一万円を買ってくれるところがある話しをしたら、今日売りたいと言ってきまして」
おじさんの目に光りが宿り、土樹を見上げた。
「本当かい?」
「…………まあ」
なんと歯切れの悪い返事のことか。あれだけ売りたかったのだから、もっとハキハキしたらどうなのだ。
隣から土樹の睨みを感じるが、無視することにした。時系列は前後しているが嘘は言っていない。
「期待してるところ悪いですけど、一万しか持ってないんです。いいすか?」
「十分だよ! あ、でも一万円札にしてくれよ。千円とか五千円を含んで一万はダメだ」
「もし、千円の番号がぞろ目だったら?」
土樹がそう言って、おじさんの目が見開いた。ぼくは黙って、視線を明後日に投げる。
ぼくはちゃんと“秘密だ”と言った。約束を破ったのは土樹のほうだ。
おじさんは欲を含ませる笑いを見せた。
「ぞろ目だったら欲しいな。あるのかい?」
「いや、見たこともないですよ」
「おじさんもだ」
笑い合う二人に混じって、ぼくも笑顔になった。
笑顔を崩さないまま、土樹には見えないように一歩下がる。死角に移動すると、土樹のふくらはぎの辺りを思い切り蹴り上げた。
「――いっ! おまっ、なにを」
「虫が居たんだよ」
おしゃべり虫が。
「虫? それだけて蹴るって――――まさかお前、俺がしゃべったことの仕返しじゃないだろうな」
「まさか」
これだけで終わらせるわけないじゃないか。
一部始終をすべて見ていたおじさんはぼくたちの視線を集めるように大きく笑う。
「大丈夫、気にしなくていいよ。秘密はいずれバレるもんだ。それにおじさんも君以外に話しているからね、おあいこだよ」
「すいません」全部こいつが悪いんです。
「さて、ということは。君は、全部知っているのかい?」
「おじさんが言ったことのほとんどは隣の奴から聞けたかと。こいつはこういうとき、驚くほど記憶力がいいんで」
こういうとき、とはぼくが名前矛盾であるときのことだ。相変わらずよくわかっている。確かにその通りだ。だから忘れないだろう。さっき土樹がした約束破り。絶対に忘れるもんか。
「あっはっは、なるほどね」
「でも俺たちはおじさんの邪魔をするつもりはないんで。ぞろ目のお札は見たい気持ちはありますが、集めようとはとてもじゃないけど思いません」
「それは良かった。おじさんたちには時間がないからね、ライバルがいるとやりづらいんだ」
辺りを見渡すように頭を振る。近くに一万円買取のライバルがいるらしい。それらしき店も車も見当たらないということは、スパイでもいるのだろうか。おじさんの反応を見る限りだとそう思えてくる。
「時間がないって、おじさんはいつまでいるんすか?」
「うーん……一週間はいないだろうね。5日以内には消えるよ」
「おじさんはいつからここに?」
土樹ナイス。未知の情報だ。
「3日前からだよ。でも、買取を始めたのは5日前だ。前は別のところでやっていたんだけどね、ここに移動してきたんだ」
おじさんが愚痴るようにこれまでの経緯を話す。
「5日前は、ほとんど宣伝で終わったよ。この車も、ステッカー貼ったりとか幟立てたりしてたんだ。次の日から本格的な買取を始めたんだけど、失敗だった。広い公園で移動屋台みたく看板立てたりメガホン使ったり音楽かけたりしてたら、警察に注意されちゃってね」
ぼくは土樹の影に隠れて解約済み携帯にできる限りの情報を打ち込もうとする。おじさんは話すのに夢中でぼくの行動はどうでもいいようだったが、話し終わったときにぼくが携帯を睨んでいたら失礼に値するだろう。
おじさんはまだ続ける。
「特にほら、おじさんみたいな商売はまだ珍しいだろ? だから警察の人が怪しんじゃって。ステッカーや幟を見つけたら途端に『なにしてるんだ』って近寄ってくるんだ。ここは前に買い取りをしていた場所からはちょっと離れてるから、警察も大丈夫かと思うんだけどね。公園じゃなくてここを選んだのもちゃんと意味があるんだ。警察の人に見つかった場合、すぐに逃げられるようにするためだ。警察に見つかったらすぐに車に乗り込んで逃げる。目の前は大きな道路だ。ナンバーを覚えていない限り追いかけられない。どうだい。完璧だろう? ほんとは吉雪堂みたくお店を構えられたらいいんだけど、それは望みすぎだからね」
「吉雪堂?」
聞き慣れない単語に土樹が食いつく。「それ、どんなところですか?」
「え? あ、ああ……うん。いや―……君は耳がいいねえ」
おじさんは苦笑いで頭をかいた。左右に頭を振り、聞き耳をたてていない人がいないことを念入りに確認する。
「吉雪堂はね、駅前にあるお店だ。そこでもお札を買い取ってくれるんだよ」
吉雪堂のことをもっと詳しく聞きたかったが、踏み込みすぎるのは危険だ。と思ったら、おじさんのほうから説明がきた。一度喋ると止まらない性格なのかもしれない。
「知ってるかい? 吉雪堂はぞろ目だとか、123みたいに数字が並んでいるお札を高く買ってくれるんだ。まだおじさんたちみたいに誕生日プレゼントにお札を使おう、なんてことは思いついてないようだけど、一応おじさんもぞろ目を狙っているからね。向こうに先に買い取られたら困るんだ。けっこうな価値になるはずだから、売り物になっているそれを買うのは厳しいかな」
「その吉雪堂はすでにぞろ目が売られてるんすか?」
土樹が興味を持ったようで、一歩おじさんに近寄った。影に隠れているぼくも当然おじさんに近寄る。携帯が見えないかと不安になったが、おじさんは土樹しか見えていないようだった。
「売られていたな、確か」
「いくらぐらいです? ぞろ目はいくらぐらいで買い取ってくれるんです? もし売られるとしたら、それは大体いくらぐらいに?」
土樹がさらに踏み込む。ぼくは土樹の足をコツンと蹴った。
効果はなかった。
土樹の食いつきに、おじさんの目が冷ややかなものになる。そろそろ気付けよ。そう視線を送るが、土樹の視界にぼくが入っていない。ぼくは舌打ちした。
「それはちょっとわからないな。元の価値は一万円だからね。売る人、買う人で左右される」
「じゃあ、もし俺が――」
「土樹 空海」
静かに名前を呼んだ。
おじさんに向かってさらに一歩踏み込もうとしていた土樹は、ぼくの声で『土樹 空海』に戻った。
「訊きすぎるのはおじさんに悪いよ。早く用を済ませないと。ね? 土樹」
駄目押しの付け足しで、土樹は“戻る”。横目で睨みつけていると、おじさんが慌てたように言葉を挟んだ。
「あ、いやおじさんは別に……ねえ?」
なんの同意かわからないが、土樹に同意を求めようとする。けど、それは無駄だ。さっきまでおじさんと話していた景色写真はいない。いるのは土樹 空海だ。
「おじさん、俺売るよ。一万円」
「そ……そうかい。よっしゃ、買うよ!!」
土樹が出した一万を買う。番号はハズレだったらしく顔は晴れなかったが、もう一つ情報をくれた。
「このやり方はね、せめてもの警察対策なんだ」
「はい?」
土樹に言っても無駄なのにと思う。その情報が必要なのはぼくのほうだ。
「おじさんは一万円を買うとき、10010円を渡さない。必ず一万円と一万円と交換する。両替みたいなもんだね。そして“ここまで来てくれてありがとう”という意味を込めて10円を渡すんだ。おじさんたちは売買してるんじゃない両替してるんだって警察に言えるようにね。君たちにとって言い方が悪いけどお駄賃て言えばわかりやすいかな。店に来てくれた子どもに飴をあげるような感覚で10円をあげる。これなら賄賂とも違法なやり取りとも取られない」
確かに、見てきた限りおじさんはいつもそうしていた。なるほど。正直ぼくは全く気にしていなかった点だ。
「…………はい、両替完了。ありがとうね、これはお駄賃だ」
土樹に10円を握らせる。土樹は笑顔でお礼を言った。
……まったく。
「悪い!! 自分を見失ってた!!」
買い取りが終わり、裏道に入って自転車を取りに行く途中、土樹はぼくに謝ってきた。
「助かったよ、お前がいてくれて。あのまま突っ走ってたら大変だった」
腰を折り曲げているので、土樹の顔と僕の顔が同じ高さにある。両手を合わせて拝んでいるような仕草の土樹はさらに頭を下げた。
「まあ……よくやったとは誉められないけどさ。そのおかげで情報はさらに集まったから結果オーライかな」
「……そうなのか? 俺は熱くなっててほとんど覚えちゃいないんだが……」
そこが土樹の欠点だ。
「あとでメールするよ。でも、いくら覚えてないって言っても今回の一番の収穫は覚えてるよね」
土樹は力強く頷いた。
「ああ、吉雪堂だな」
「うん。これから行く?」
「もちろん」
自転車にまたがり、駅前に向けて進路を取る。チラッとワゴン車を見ると、次のお客がおじさんと話していた。一秒足らずしか見ていなかったのではっきりとはわからなかったが、ぼくたちと同じぐらいの年齢だったような気がした。後ろ姿とか、髪型とかがそんな気がしたのだ。
一万を買い取ってくれる噂はだいぶ広まりつつあるようだ。それは、おじさんたちにとって好都合だろう。噂が広まればそれだけお札がたくさん交換されるということ。目的達成まで、あまり時間がないかもしれない。
「でも……」
おじさんたちの狙いが別にあるとしたら?
ぼくと土樹は二人して、目的の番号を買うことを理由に、ああいう行動を取るのは変だと意見が一致している。だが、上手く説明できる理由を見つけられないでいる。
もちろん、ぼくたちが理解出来ないだけで、これが立派なビジネスとして成り立っていること可能性だって十分ある。
どこに転がっているのかわからないのがビジネスで、なにが成功するのかわからないのもビジネスだ。
ぼくたちは会社も社会もまだちゃんと理解していない。それではっきりと決めつけていいのだろうか。
「……ダメだ、もっとよく考えろ」
情報は集まってきているのだが、まだ脆すぎる。組む気にならない。
「名前矛盾」
「ん?」
「ちょっとコンビニよるぞ」
駅前に行く途中に見つけたコンビニに立ち寄る。土樹は入った途端にATMに直行した。
「さて、どうなるかな」
おじさんと交換した一万円札を入れて、実際に預けてみる。もし偽札であればここで止まるはずだけど……。
止まって欲しいのかそうじゃいのか、ぼくの心が答えを出す前に土樹は画面をタッチして操作していく。
そして、なんの滞りもなく、預金は完了した。
「本物と呼んでいいらしいな」
「みたいだね。あのおじさんの持つ一万円は本物。じゃあ」
「10円はどうか、だろ? 名前矛盾」
土樹は財布じゃなくてポケットに落としていた10円を取り出す。財布に入れるとほかと混ざってしまうため、分けておいたのだ。
これがもし銀行であればコインも一緒に預金できたのだが、コンビニのだとそれができない。偽物かもしれないやつをコンビニで使うのも心苦しかったので、ぼくたちはコンビニ前に並んでいる自動販売機にその10円を入れてみた。
10円がどこかに落ちる音がして、自動販売機のディスプレイに10円と金額が表示された。
すなわち、これも本物。
土樹の予想が外れた。
「偽物じゃない。本物だ……。なんでだ、なんで……」
「まるで偽物であって欲しかったみたいな言い方だね」
土樹は図星だったのか言葉に詰まっていた。口をパクパクと開閉するばかりでなにも言い返してこない。
ぼくでも困るような質問を土樹に浴びせるのはちょっと酷だったかもしれない。もしこれが偽物だったらすぐに終わったことなのだ。
本物だったから、続いてしまった。偽物だったら良かったのにと思っている自分がなんだか情けない。いったいなにが正しいのかわからなくなってきた。
まだ答えを探している土樹を見てかぶりを振る。
「さて、景色写真。これからどうしようか。あのおじさんが扱っていたお金は本物だった。全てが本物かどうかはわからないけど、無作為に選んでいたみたいだし、全部本物である確率が高いだろう。怪しいところもある。納得行かないところもある。でも、今回の一番の目的はぼく達が損をするか得をするかだ。おじさんのお金が本物な以上、ぼくたちが損をする構図は見えてこない」
「……その通りだ」
「このあとのことを考えようか、景色写真。ぼくたちは損をしない。これだけ考えれば、明日にでも全財産を引き下ろしてきておじさんに売り払うのが一番いい。時間は限られてる。早いに越したことはない」
土樹は首を縦に振る。表情が依然として憮然としているのは土樹自身が納得からだろう。さっきの首肯は正しさだけを考えた結果なんだろうな。
「じゃあ、これからぼくたちがしようとすることになんの意味があるだろうか。吉雪堂とやらに行って、なにをするのか。珍しいお札の値段を知ったって役に立たない。まさかぼくたちが珍しいお札を買うわけでも探すわけじゃないんだから。今からしようとしていることは蛇足ですらない、ただの興味だ。そこに別称を使う理由があるのか。もしないのなら、ぼくたちが休日二人で遊びに行くことでこれからの学校生活で支障をきたさないか。場合によってはここで別れた方がいいこともある。さて、以上の点を踏まえて。これからどうしようか?」
駅前と言えば、ここよりも同級生と出会う確率はグンと上がる。もし見られたとして後日追求されたとき、「たまたま会ったんだ」で言い訳となればいいが、仲良く笑い合う場面を見られたとしたらなんと説明しようか。
ぼくはさっきのセリフを、あえて景色写真とも土樹 空海とも区別しなかった、今の土樹の立ち位置がわからないからだった。偽札かどうか確かめるという目的が達成された以上、ぼくもどっちに行けばいいのかわからない。舵を取るのは土樹の役目だ。ぼくは道を見つけて提示するだけ。
ぼくが決めてはいけない。それは土樹の、景色写真の役目であり、仕事だ。
土樹は顎に手を当て、少しだけ悩んだ。決断があまりに早かったので悩んだふりにしか見えなかったが、土樹は悩んだ気になっているはずだ。
土樹ははっきりと言い切った。
「このまま続行するぞ、名前矛盾」
「理由は?」
「一万円を買い取る理由を知りたい。名前矛盾のメモにない、本当の理由だ。今の状態だとあの買い取り屋が儲かる道は険しそうだが、必ず儲かる道があるはずなんだ。それを知りたい」
「ないかもしれないよ」
「いや、絶対ある」土樹が言い切る。
「理由は?」
「あのおじさんの目だ」
土樹の人差し指が自らの下まぶたに触れる。目とは、ぼくも気にしていなかった。
「目が光ってた、ずっとな。警察に捕まりそうになった話しも、吉雪堂のことを話すことになったときも、俺と一万円を交換するときもそうだ。あの目は一度もくすまなかった。もし俺があのおじさんだったら絶対に思うはずなんだ。『もし注文のお札が見つからなかったらどうしよう』って。でも、あのおじさんはそんなこと微塵も思っちゃいなかった。今の状況を楽しんでさえいた。なぜだ? 俺はそれが知りたい」
おじさんと土樹は匂いが近い。だったらぼくが感じれない部分も敏感に感じ取れるかもしれない。
ぼくは腕を組んだ。
「おじさんが楽しむ理由。それは今損をしても後で必ずもうかるから?」
「俺はそう睨んでる」
なるほど。土樹の意志がそこまで固まっているなら、ぼくは安心してついていける。土台が不安定なときほど、危険なときはないのだ。
「いいよ、景色写真。調査続行だ。目的は、なににしようか。おじさんが儲かる理由? それとももっと明確にすべきかな」
「サンキュ、助かるよ、名前矛盾。正直、お前がいなきゃこの先は多分無理だ。頭を使うのはどうも割に合わん」
「一応、コンビだからね。短所をカバーしあって長所は共有すべきだ。と、いうわけで景色写真。土樹くんの長所で調べて欲しいことがあるんだ」
「それは緊急か?」
「いいや」大きく首を振る。「明日でもいい。学校で聞いて欲しいことがある。その広い人脈をいかしてね」
土樹はなにを長所と言われているのかわかったらしい。質問内容をぼくに訊ねてくる。
「質問内容は2つだ。一つ。ぼくが話した秘密『一万円を買い取る理由を知っているか』。これは一度訊いた人にも訊いて欲しい。新たに知ったってこともあるかもしれない。そしてもう一つ。『吉雪堂って知ってるかどうか』。名前だけでもいい。知ってるかどうかだけ調べて欲しいんだ」
「了解。で、当然その質問が意味することを俺には教えてくれるんだよな」
わからないの? と言いたくなったが、ぼくの仮定もまだ怪しいので強く言えない。けれど仮定を自信たっぷりに言うこともできないのでぼくは適当にはぐらかした。
「必要になったら教えるよ」
「……確か前回もそう言われて、結局教えられなかった気がすんだけどな」
吉雪堂という名前はおじさんから聞いて知っていても、肝心の場所は知らなかった。駅前と大きなくくりの中に入っているらしいが、足を使って探すのはあまりに効率が悪い。駅前にあるような周辺を表した地図にも吉雪堂などという店の名前がキチンと入っているかも怪しい。というわけで、土樹のスマートフォンを使って場所を調べることにした。
一応ぼくの携帯でも調べられることは調べられるが、ぼくのはまだ普通の携帯。
それに比べて土樹のはなんと素晴らしいものか。さすがハイテク機器と言わんばかりに、画面を触るだけで良いときてる。画面も大きい。それになんと言っても、二つ折りじゃないことに感動だ。
「いい加減お前も変えろよ。便利だぞ。慣れたらこれ以上のものはない」
「二つ折り携帯が夢見家では一般的だからしょうがないよ。お父さんもお母さんも二つ折りだ」
「お前は情報担当なのに最新機器を使いこなさなくてどうすんだ」
「最新機器を使わなくても情報は整理できる。なんで警察はまだ足を使って情報を集めているか考えてみなよ。アナログが一番だからさ」
「その警察は、最先端の技術で犯人を追い詰めたりしてるけどな」
「アナログとハイテクの融合って素晴らしいよね」
調べ終わったらしく土樹はスマフォから目を離す。土樹を先頭にして出発しようかと思った拍子、ぼくの携帯が鳴った。
「電話か?」
「ううん……メール。草原くんからだ。一万円をさらに売りたいから明日一緒に行かないかって」
「金あるなあ。うらやましい」
「そういえば、昨日別れ際に言ってたよ。一万じゃ大して増えない。一気に引き下ろして大量に変えようかなって」
「一回一万より一回十万のほうが効率はいいよな。そんで渡された十万をそのまま銀行に預けて、引き出す。出てくるのは違う番号のお札だ。それをさらに持って行って、おじさんに売ってを繰り返す。ボロ儲けだ」
「一度に売る金額によってはプラスかな」
ぼくはメールにOKと返信する。絵文字もなにもないつまらないメールだったが、相手はぼくがこんなメールしか打てないことを重々承知している。不愉快にはならないはずだ。
相手によっては言葉を足したりしなければ「怒ってる?」と返事が来るので本当にめんどくさい。第一、文字で感情をキチンと表そうとすることにかなり無理があると思う。
「金額が少ないと引き出すときの手数料のほうが高くつくんじゃないかな。手数料無料の時間はぼく達まだ学校だし。それに、何回も出し入れを繰り返してたらさすがに銀行に怪しまれるよ」
返信完了の画面が出るのを待ってから二つ折りにしてポケットへ入れる。自転車に乗りながら携帯をいじるなんて考えられない。
「よし、じゃあ行くか」
「場所は完璧?」
「頭に入った。ついてこいよ方向音痴」
「ぼくは方向音痴じゃないよ。地図が読めないだけだ」
「それは立派な方向音痴だ」
吉雪堂は駅前にある。あのおじさんはそう言っていたが、実際は駅前と呼んでいいのか微妙な位置にそのお店はあった。どうりで土樹が知らないはずだ。駅前なら土樹が遊ぶテリトリーに入ってておかしくないはずなのに。
「ここって、来たことあるよな?」
土樹が問う。ぼくは返答に困った。
「この道は知ってる。通ったことは何回もあるはずだよ。でもこんなお店があったなんて気が付かなかった。看板がでてるのに」
ぼくたちが見上げる先に樹を掘ってできた看板が堂々と掲げられていた。古色を使ったのではなく自然な色合いで歴史を感じる看板だが、ボロボロではない。吉雪堂としっかりと読める。
今まで看板に気づかなかったのは見上げながら歩くことがなくなったからだろうか。携帯を見ながら、うつむきながら歩くのが当たり前になっており、空を見る機会が減っている。
……全く駄目だな。これだと必要な情報を見落としているかもしれない。
吉雪堂の看板の下には、歩道に突き出るようにして小さなガラスケースが置かれている。通行人が自由に見れるようにとの配慮だろうか、ガラスケースの中には赤いマット。その上に丁寧にお札が置かれていた。
残念ながらそこにぞろ目の一万円はなかったが、昔のお札なら値札と共に展示、販売されている。百円札なんてものはまだ使えるのだろうか。
「入って大丈夫かな?」
「店だから当たり前だろ」
長細い吉雪堂に扉らしいものはない。ガラスケースの横から始まる通路は大人は半身にならないとすれ違えないほど狭く、通路の終わりはレジにぶつかる。通路の脇には長いガラスケースがあり、壁にも商品がかけられていた。
入ってはじめてわかったのだが、吉雪堂はお札を専門に扱っているわけではなかった。外にあったガラスケースの中はお札だけだったが、中にあるものは掛け軸だったり扇子だったりと、お札から離れたものばかり。
店内にあるものはどれも古く。ここは歴史あるものを扱っているお店のようだ。
「すいません、誰かいますか」
ずかずかと入る土樹の後ろについてぼくも入店。こういう仕切りのない店は嫌いだ。なんだか無断で入っている気になる。いや、店だから入っていいんだろうけど、どうも泥棒と間違われそうな気になる。
「すいませ―ん」
レジの前までたどり着くと、入り口からは見えなかったが、まだ先があることがわかった。どうやら部屋があるようだ。長い“のれん”があるだけで扉はない。
すいませんすいませんと土樹は空間に向かって謝り続けるが、反応は返って来なかった。
「こういう店は必ずあるはずなんだけどな『ご用の方はこちらへ』ってかかれたベルが」
レジを叩きながら土樹が愚痴るが、ぼくは共感できなかった。完全な経験不足のせいだ。初めて入った。呼び鈴が必要な店は。
「今は昼休みなんじゃない?」
「店ほったらかして食べに行ったってか? んなバカな」
土樹がもう一度呼びかけようとする。すると、奥からガタガタと音がした。誰かいるなと感じた瞬間、のれんの隙間から足が見えた。
「お客さんかい?」
のれんから顔を出したのはまだ若い青年だった。店に似合わない爽やかな青年。アルバイトだろうか。
「いや―、悪いね。電話してて、気づいてはいたんだけど反応できなかったんだ」
青年は言い訳しながらレジの前に座る。この目線の高さはどっかで経験したなと思ったら、一万円を買い取ってくれるおじさんと同じ目線の高さだった。
「さて、吉雪堂へようこそ。なにかようかい? 君たちのような子どもが訪ねてくるのは久しぶりでさ」
確かに、よほどの物好きでなければ入って来ないだろう。値札にある金額もそこそこ高額なものが多い。子どもがお小遣い握りしめてふらっと、なんて気軽に立ち寄れそうな店ではない。
「ちょっと訊きたいことがあって」
土樹がレジの前に立つ。ひと一人立つと二人目は半身しか出せない通路のおかげで、土樹の影に携帯を隠しながら情報がきけた。
「ここは珍しいお札を買い取ってくれるって訊いたんすけど」
「ああ、その通りだよ。珍しいお札に限っては買取をやってる。君たち、売りにきたのかい?」
「はは、まさか」
土樹が笑うと、青年はくだけた表情になった。
「良かった。今売りにこられても買取りできなくてさ」
「買取りできない?」
「オレはアルバイトだからさ、勝手に買取っちゃいけないことになってんだ。お札だとかそういうのの値段はみんなここの店主が決めてるから」
「その店主は奥っすか?」
「奥にもいないよ。今は……そうだな、時間からして自宅かな。お昼ご飯を食べてると思う」
青年が見た壁掛け時計もずいぶん古い。あれも売りモノなのかと思ったが、値札はどこにもない。ということは私物なのだろうか。
「家にいるって……もし売りたい人が来たらどうするんすか?」
「そのときは電話して来てもらうよ。家はここから五分くらいだ。大して待たせずに鑑定ができる」
なるほど。でも店に誰か必ずいなきゃいけないから、この人がいるわけか。
「お兄さんは、鑑定できないんすか?」
「オレが? 無理無理、そういう知識も目もない。価値なんてわかんないよ」
「じゃあ、もしぞろ目のお札なんて持ってきても、価値なんてわかりませんよね」
「……ぞろ目?」
ぴくりと、お兄さんの眉が動いた。
「ぞろ目かあ……。確かにオレはわからないけど、けっこう高値で買い取ってくれるんじゃないかな。来るんだよ、たまに『ぞろ目のお札は置いてないのか』って。だからそういうのが来たらすげに店主に連絡するようにってきつく言われてるんだけど」
「だいたいいくらぐらいとか、わかんないっすかね」
青年は腕を組んで唸る。
「うーん……。難しいな。お札は普通、お札にかかれてる数字の価値しかないからね。ここの店主も自由に値段決めてるっぽいし。コレクターや欲しい人との交渉になると思うけど……やっぱりはっきりとは言えないや」
「そうすか……」
「もし見つかったら持ってきなよ。鑑定してくれるはすだから。状態と数字によっては大変な金額になるかもよ」
「数字によってって言うのは、もし7のぞろ目だったら?」
「7かあ……。7だったら演技もいいし、30倍はいくんじゃないかな。よくわかんないけど」
「そんなに!」
「欲しい人は出すさ。ただの一万が三十万に早変わり。夢のようだろ」
「はい!」
「じゃ、もしあったら持ってきてくれよ。ぜひに」
青年に見送られながら吉雪堂を出ると「どっかで食べてから帰るか」と土樹が言った。
ちょうど場所は駅前だ。食べれる場所は沢山あることだろう。ぼくたち二人が一緒に歩いているところをあまり見られたくなかったが、話したいこともあったので近くのファーストフード店で昼食を取ることにした。二階席の、外からぼくたちが見えなくて、人の流れが見える位置を探してプレートを置く。店内を彩る草木のおかげで、こちらからは階段付近がよく見えても向こうからな見えにくいという絶妙のポジションを獲得できた。これで知ってる顔がきてもすぐわかるようになった。
店内に充満する匂いを嗅いでいるとけっこうお腹が空いていたことに気付く。思い出せば、かなり久しぶりになるハンバーガーにかぶりついた。
うん。美味しい。
「……30万か」
それがどれだけの金額なのかを噛み締めるような声色。正直な話し、30万がどれだけのものなのかぼくはよくわからない。30万でなにが変えるかなんて想像できない。せいぜい3万ぐらいだ。千円、百円ならもっと簡単に想像できるんだけどな。やっぱり、これが中学生の限界なんだろうか。
100円のハンバーガーを食べながら土樹がつぶやく。
「どう思う?」
「どう思うって?」
「30万。妥当だと思うか?」
「それはわからないな。相場がわからないし。でもぞろ目のお札と出会う奇跡を考えたら、ぼくは安いと思わない」
「元は一万だぞ?」
「宝くじを考えてみなよ。元は300円が一億になるんだ。切手だって印刷ミスによって価値は跳ね上がる。このハンバーガーだって原価はいくらなんだか。世の中そんなもんだよ」
「じゃあ、名前矛盾は納得できるのか。俺は少し高すぎると思うんだけどな。あのおじさんと差がありすぎる。ここまで価値に差があっていいものなのか?」
「あのお兄さん言ってたじゃないか。コレクターによって価値は変わるって。まあ、あのおじさんを意識して値段を盛ったっていう可能性はあるけど」
最後の一口を放り込んで、ご馳走さまでした、と。あとは少しだけ残ったポテトだ。Sでも意外と量があるんだよな、これ。
「あのおじさんって、ワゴン車のほうか?」
「ほかに誰がいるのさ」
「意識って?」
「あのお兄さん言ってたでしょ。『一万が三十万に』って。景色写真はあのときお札がいくらで売れるかきいたけど、種類は言ってなかった。もしかしたら千円や五千円のことを話していたかもしれないのに、あの人ははっきり一万を話題にしてるとわかってたんだ。とすれば、一万円を買い取ってくれる場所があるって事前知識があったんだなって。おじさんもライバル意識してたし、お互いがお互いを意識してるのかも」
あのおじさんが吉雪堂のことを話したくない理由もよくわかる。自分たちはプラス10円で手に入れようとしているお札を、向こうは20万上乗せして買おうとしているのだ。よほどおじさんに恩を感じていないかぎり吉雪堂で売るだろう。
土樹は黙ってハンバーガーをむさぼり食った。ポテトもコーラで流し込むように食べている。ぼくが嫌いな食べ方だ。ポテトをコーラで湿らすなんてマズいとしか感想が出てこない。
「儲かる理由は……これなのか?」
口が空になった僅かな瞬間に土樹が言った。またすぐに口はポテトで埋まるが、また空になる。
「あのおじさんはプラス10円で買ったものを吉雪堂に売る。儲けは20万。まさか20万も10円を配るわけじゃないから、利益が生まれる。さらに途中で目的の番号が見つかれば儲けはさらに上がる」
「見つからないと儲けはゼロだ」
「でも、10円だけなら大して損にならない……? 駄目だ。だったらあのおじさんの目の理由ができない。あれは完全に勝利を確信したときの目だったんだ」
なにかないかと、土樹の目がぼくに向く。こういう頭脳関係はぼくの仕事だ。
ぼくは考える。
大まかな利益を生む流れは土樹のそれであっていると思う。ただ、前提条件が少し違った。
「これは可能性の話しだよ」
「ああ」
売れるかどうかわからない場所に店は出さない。少しでも売れると確信があるから店を出すのだ。
それは当たり前のこと。
当たり前を遡れば、そこには確率の高い可能性がある。
「もしかしてあるんじゃないかな。この近くに。ぞろ目のお札が」
土樹は反論しようと口を開き、固まり、口を数回パクパクさせた。結局なにも言わないまま、仕事をしなかった口にポテトを投げ入れる。いつも以上に噛み砕いてから飲み込んでいだ。
「……続けろ」
「きっかけはなんでも構わない。自分が見た、誰かから聞いた、ネットで知ったブログで持ってることを自慢してる人がいた。候補はありすぎるから絞らないけど、とにかくあのおじさんは知ったんだ。ここにぞろ目のお札があるってことに。しかも確信に近いものなんだろうね。だから自ら乗り込んで探すことにした」
温泉を掘るとき、真下に源泉があるかどうかわからずに掘り始めるだろうか。必ず先に調査して、あるとわかってから掘り始めるのではないか。
「探すって言っても、訪問販売をするわけにはいかない。吉雪堂みたくお店も構えられない。だから移動屋台だ。まあ、実際は屋台と呼べるものじやないけど。案外、誕生日の番号も嘘じゃないかも。ぞろ目のお札は高価だとわかっているならば、なかなか売りに来ないだろうし。タダ働きするぐらいなら保険があったほうがいい」
温泉を掘るついでに徳川の埋蔵金を探す。可能性は低いがゼロじゃない。
あのおじさんたちが始めから番号指定で買い取らないのは、おそらく駆け引きの一つじゃないだろうか。指定したものをプラス10円で買うには少し低すぎる。だったら指定無しで自由に来てもらったほうが噂も広がりやすい。
現に今、噂はかなり広まっているようだ。
土樹は俯きながらゆっくりと言う。
「仮にもし、近くにぞろ目があるとして、今まで売りに来てないってことは、そいつはぞろ目の価値を知ってるってことだよな?」
「かもしれない。吉雪堂もあることだし、一度は鑑定してもらったことがあるのかも」
「じゃあ尚更、プラス10円じゃ売りに来ないよな。あのおじさんは吉雪堂のことを知ってた。だったらぞろ目の価値も知ってるはずだ。でもあそこで買い続けてる。それはなぜだ?」
「誕生日の番号を探してるのかもしれない。あとは、待ってるんだ」
「誰を?」
誰を? そんなの決まってるじゃないか。
「ぞろ目を持ってる人が、だよ」
土樹は有り得ないとばかりに吹き出して笑った。曲げていた背中を伸ばし、ぼくを見下ろす。
「ちょっと待てよ。あのおじさんはたった10円しか高く買い取ってくれないんだぞ? なんで吉雪堂じゃなくてそっちなんだよ」
「その10円が曲者なんだ」
土樹が背筋を伸ばしたまま後ろに倒れる。背もたれをなぞるような体勢になった土樹は、背中が少し反れていた。腕を組んで空を仰ぐ。
空いた距離を埋めるように、ぼくは肘をついて身を乗り出した。
「あのおじさんたちはぞろ目のお札が、お札以上の価値を持つことを知っている。だから安く仕入れて高く売りたい」
「ああ。プラス10で買ってボロ儲けしようってことだろ?」
「じゃあ、質問だ。もし景色写真がぞろ目を持っているとしたら、そして価値があることを知っていたら、プラス10円で売るかい?」
「売らない」
土樹はきっぱりと言い切った。ぼくは頷く。
「じゃあ、吉雪堂だったら? 一万が30万円になる。売るかい?」
土樹は少し考えて、首を小さく上下に振った。ぼくの言いたいことがわかったようだ。
「売らないな。もっと高値で買い取ってくれる場所があるかもしれない」
そういうことなのだ。
一万は一万の価値しかないはずなのに、なんと持ってるお金は一万以上で売れるという。しかも金額はプラス10円か、プラス29万円とだいぶ差がある。いや、差がありすぎる。
「きっとぞろ目を持っている人は思うだろうね。『あのおじさんは価値を知っていながら低い値段で買い取ろうとしている。吉雪堂では30万円だったのに』でも実際はどうだ? ぞろ目だろうがなんだろうが、コンビニでそのお札を使えば価値は一万だ。30万円分の買い物なんてできない。売ることで初めて30万円になるんだ」
ここで、安すぎる買取金額が生きてくる。おじさんが価値を知ってるならたった10円の上乗せはおかしい。
「交渉してみる価値はあるよね」
吉雪堂では30万と言われた。あなたならいくらで買い取ってくれますか?
売るならできるだけ高いところがいいと思うのは当然だ。
今じゃ他店の値札を引っ張り出してきて値切りをするのは当たり前になってきている。値切りがあるのだから値上げも当然できるだろう。
ぼくは小さいポテトを二本、プレートの上に並べた。
「吉雪堂は30万。それに大しておじさんが25万しか出せないなら、お客さんは吉雪堂に売るだろう。でも35万と提示したら売ってくれるかもしれない。そして」
ポテトをもう一つ、プレートに追加。
「買ったぞろ目を、おじさんは吉雪堂に売る必要はない。もっと高値で、40万で買ってくれる場所で売ればいい。実際、すでに見つけてるのかもね」
「吉雪堂を比較対象にしようってわけか」
「価値は比べてこそ意味を持つからね」
土樹は反った背中を丸め、ぼくに顔を寄せる。
「ぞろ目のお札があるとわかれば、あのおじさんが儲かる構図が見えてくるな」
腕が動く。かと思ったらプレートにあったポテトが全てなくなっていた。
「ここからは俺の領域だな。顔の広さを生かして、ぞろ目のお札を見たことないか調べてみる」
ポテトは土樹の口の中へ。ムシャムシャゴクン。胃の中へ。
「調べてみるって……。ぼくの話しは絶対じゃないよ。間違ってることもある」
「わかってるよ」
空になったプレートを持って席を立つ。ゴミ箱にゴミを捨て、プレートを返した。
「間違ってもいい。可能性を潰していくのも大事だからな」
食事を終えるとそのまままっすぐ帰宅した。エレベーターまでずっと一緒で、土樹とは四階で別れた。今日はついて来なかった。ぼくは一人で五階へ。
ノブを捻ると、ガチャンと引っかかった音がした。鍵がかかっていた。
「お母さんは出たんだ」
今日は日曜なので仕事はないはず。昨日も、今日仕事とは言わなかったので、ただの外出だろう。……そういえば、お父さんはどうしたのだろうか。今日は休みだったような気がするのだけれど。
ポケットから鍵を出して、捻る。ただいまと言いながら靴を脱いでも、おかえりは返って来なかった。お父さんも出ちゃたみたいだ。
携帯を2つとも充電したあと、キンキンに冷えた麦茶で喉を潤す。コップの半分ぐらいまで飲んだら継ぎ足して、テーブルに置いた。
無音は寂しいのでテレビをつける。見るわけじゃないので番組はなんでもいい。
ソファーに腰を落ち着かせたら、自然とため息が出た。気付かなかったが、座ってみるとよくわかる。かなり疲れている。
そもそも、こういう行動系の仕事は土樹担当のはずなのに。
お茶で口内を湿らせ、情報の詰まった携帯を開く。充電中なので行動範囲は狭いが、持ち歩こうとしないので大丈夫だ。
今日打ち込んだ情報。メモに残った箇条書きを少しずつ文章にしていく。元の文は必ずコピーし、メールに保存しておいた。原文が残っていないと、もしものときに対応ができなくなる。
文章になったものを見比べて、くっつきそうだったら繋げてみる。ダメだったら離す。こうした作業を繰り返して、文章を作り上げる。
今日集まった情報はかなりの量だったが、おおまかな仮定はハンバーガーを食べながらやってしまった。あとは補足を付け足して、どうしても説明できないところは『穴』として残しておいた。次はこの穴が埋まるかどうかを調べれば、仮定が正しいかどうかわかる。
今のところ、一番大きな『穴』となっているものは、“吉雪堂の認知率”だった。
ぼくの仮定は吉雪堂と値段を比較させ、結果的に希少なお札をワゴン車のほうで売ってもらうこと。その前提条件として吉雪堂がいくらで買い取ってくれるのか、を客が知っておく必要がある。だが、いったいどの程度の人が知っているだろうか。
そのほかにあと小さな穴は何個かあるが、土樹にお願いした質問の結果で埋まるものもあるので今のところ保留だ。残しすぎると落とし穴になりかねないが、早ければ明日、結果が出る。土樹のことだから遅くても明後日には完了するはずだ。頭までどっぷりつかって出れなくなるような穴にはならないはず。
「……さて」
仮定を作り、穴を見つけ、全体像の輪郭を洗い出したわけだが……もしこれが全て間違っていたらどうだろうか。
おじさんたちはぞろ目を欲しがっていない。いや、買えたらいいやと思っているが、吉雪堂より高く買う気が全くない。欲しいのは目的の番号のみ。
もしそうだとすれば、仮定は成り立たない。
そのとき、あのおじさんが儲かる仕組みはどうなるだろうか。注文が入った番号が見つかったらいい。けれど見つからなかったら? 10円払った分損するだけだ。
「……逆か」
注文が入ってから番号を探すのではなく、番号を集めてから注文を取れば、損はしない。
『誕生日プレゼントにお札はどうですか』などという文句でホームページを作り、番号を並べて応募を募る。
ネットやブログで番号が出ていたときに商売を思いつき、実行しようとした。番号を増やすためにお金を集めようとワゴン車で一万を買いに……。
「少し無理があるか……」
番号から注文の流れにするのであれば、買い取る必要がなくなる。手持ちの一万の番号で売ればいいのだから、わざわざ赴くことはない。
「次。偽物の可能性」
最初に土樹が言ったことだ。偽物なら儲けられる。だが、今日使って一万円も10円も本当だった。
「だからって、明日も本物だっていう可能性はない」
信用してきたところで偽物をバラまく。使えばすぐバレると思うから、おそらく偽札を使うとしたら最終日だろう。最終日だからこぞって交換を求める人。そこで偽物を配って、さよなら。一万が使えないとわかってもワゴン車の姿はない。
おじさんたちがパソコンに番号を打ち込んでいるのも、偽物と区別するものだとしたら?
「…………」
これはかなり、ありそうだ。これなら目的の番号を買わなくても儲けられ、ぞろ目に興味がないのも頷ける。
ただ、穴を探すととするならば。
「あのおじさんか……」
正直、あのおじさんがやっていることは怪しい以外なにものでもない。現に一度、警察に注意されたというし、10円の渡し方から見ても警察に十分気を配っているとしていいだろう。
それなのに、偽札を使うだろうか。
この数日で何人おじさんの元を訪れたかわからないが、リピーターはいるだろう。顔を覚えられている可能性は高い。
マスクや帽子で顔を隠していることはなかったし、もし詐欺を働いたとしたら顔はすぐバレてしまうだろう。警察もマークしているはずだ。
「……最後」
あのおじさんが、目的の番号すら求めていなかった場合。そして同時にぞろ目も欲せず、偽札も使用しない場合。
あのおじさんがとてつもなく大金持ちで、使い切れないお金を配布している。そういう仮定だ。
見るからにばかばかしい仮定だが、そういう考えもありえる。おじさんの身の上話を聞いたことないからわからないだけだ。大企業の社長だって、首からプレートをぶら下げているわけじゃない。外見で判断すると痛い目にあう。
充電したまま携帯をいじっていたせいで、すっかり熱を持ってしまった。そろそろ疲れてきたので、携帯を充電に専念させる。明日またすぐ働くことになりそうだ。ゆっくり休ませよう。
解約済みのほうから、まだ生きている携帯のほうに注意を向ける。土樹からメールか電話が来てないかと思ったが、どっちもなかった。
今日土樹が熱くなって聞き逃したおじさんの話しをメールで送らなくてはいけなかったが、後ででいいだろう。
使った頭を休ませるためにのんびりテレビに目を向ける。ザッピングしてる最中に、お母さんが帰ってきた。
「あら、帰ってきてたんだ。もっと遅くなるかと思ってたんだけど」
お母さんは食材を冷蔵庫に入れながら呟く。やはり買い物に行ってたらしく、帰ってきたときは両手に袋をかかえていた。食材だけじゃなく、服もある。食糧を冷蔵庫に戻す前、服を「どう?」と訊かれたが、ぼくはファッションにまるっきり興味がないのでなにも言えなかった。
「お昼は?」
「食べてきた」
「へ―。珍しい。あんたが外で食べるなんて」
「土樹が一緒だったからね」
普段外で食べることをしないぼくに、お母さんは感心したような反応を見せたが、土樹の名前を出した途端納得した。
「あんたには、やっぱり土樹くんね」
なにがやっぱりなのかよくわからない。
「じゃあ、お母さんは一人分しか作らないからね」
「お父さんの分は?」
「要らないでしょ。どこかで食べてくるはずよ。あんたが出てったあとすぐ仕事仲間から電話が鳴って、どっかに行ったから」
テレビは面白そうな番組はなにもやっていなかった。仕方がないから消去法で見るチャンネルを決めて見ていると、お母さんが隣に座った。ふわりと漂ってきた匂いは焼きそばだ。具はキャベツ、人参、輪切りのウインナー。
「そういえば、あんた知ってる?」
焼きそばをすする。なんとなく怒っているように見えた。
「一万円を買ってくれるっていう怪しい人」
「吉雪堂の人?」
反射的に訊いていた。お母さんは眉をひそめる。
「吉雪堂? 違う違う。駅のほうじゃない買取屋。知ってる?」
隠すことじゃないので頷く。嘘をついても良かったが、バレる可能性が高いのも事実。
「友達が売ったって言ってたよ」
友達の中にもちろん土樹も混じっているが、お母さんは気づかないだろう。まさか土樹が、と言うに違いない。
「あんた……まさか売ってないでしょうね」
「売るわけないでしょ、そんな怪しいところ。でも、けっこうの人が売ってたよ。学校でちょっと話題になった」
「お母さんもさ今日聞いてびっくりしたわよ。なんで売っちゃうのかしらね。先生はなにも言ってこないの?」
「…………うん」
今の言葉が頭に引っかかった。そうだ。そういえばおかしいじゃないか。買取屋が出たのが五日前。それから今日までたくさんの人が売っている。なのに、先生がそれに触れたことは一度もなかった。
朝礼、放課後。注意を促された記憶もない。こういう怪しいことは必ず学校側は知ってるはずなのに
「お母さん、買取屋のこと今日知ったの?」
「そう。たまたまユリアちゃんのお母さんにあってね。そこで聞いたの」
ユリアちゃんは小学校時代の友達だ。一緒の学童に通っていたが、中学で離れた今、メールも電話もしていない。
「あとで土樹くんのお母さんにも教えてあげないと」
「……土樹はその買取屋のこと知ってるよ」
「ほんとに?」
今日行ってきました、などとは言えなかった。そして今買取屋について調べているなんて口が裂けても言えない。
「やっぱり子どものほうが噂話に敏感なのね」
そうなのだろうか。どちらかと言えば親のほうが敏感な気がする。
今回のようなケースではなおさらだ。思い返せば、あのおじさんのところで見た客は全員若返った。たまたまかと思ったが違うようだ。
ぼくはテレビを見るフリして考える。
あのおじさんが扱っているものは一万円だ。そしてあのおじさんが言っているように量が必要になるなら、ぼくたちみたいな子どもを相手にするよりも大人を相手にしたほうが効率的だ。その大人が買取屋のことを知らない?
先生ですら知らないかもしれない?
解約済み携帯を休養から目覚めさせる。まだ充電は完了してないが、すぐに終わる。ぼくはメモ帳を開いて仮定を文章の欄にそのまま打ち込んだ。
『噂は子どもだけの間で広がっている』
偶然か、故意か。それは土樹の結果待ちだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます