青色の鍵 2

 赤月界では、八歳以下の子供の親族すべてが病死した場合、その子供は例外なく秩序の守人ヴェルト・リッターの工作員候補となることが義務付けられていた。ヴァネッサも、その一人だった。別段、珍しいことでもない。

 有無を言わさずに放り込まれた訓練施設。誰とどう話せばいいのかわからず、一人でいたところに、手を差し伸べ、声をかけてくれた人がいた。

 黒髪のベリーショートは、正直あまり似合っていない。しかし、青く澄んだ瞳はパチパチと弾けるような光を放っていた。それでいて、揺れると時に翠玉エメラルド色にも見えるその瞳は、とても、とても――きれいだった。

 ヴァネッサは、友人を得た。

 その友人は、戦闘能力だけ見れば劣等生であったが、諜報活動に関してはヴァネッサ以上の能力を発揮した。特に変装技術は素晴らしく、声紋認証さえもすり抜けることができた。

 ある日、ヴァネッサは尋ねた。

「どうして、髪を伸ばさないの?」

「ウィッグつけにくくなるからだよ。ヴァネッサも、変装練習しない? 違う自分になるの、結構楽しいんだよ」

「……向いてない」

「あはは、知ってる。でも、いつまでも変装評価Eはまずいよ」


 ヴァネッサは偶然から親しくなった彼女と自主訓練を共にし、互いの弱点を克服しようと日々研鑽を積んでいた。変装に関する評価も最低を脱し、二人とも無事に最終試験へ挑むことが決定した。

 あの、忌むべき最終試験を。


 訓練場に響くのは、マザーの声。

『二人組を作って、指定の部屋に入りなさい』

「ヴァネッサ、あたしと組もう!」

「うん」

 彼女はやる気を見せた。

 断る理由などなかった。二人で補いあえば、どんな困難にも立ち向かえると思った。

 だが、その試験の内容は、虚の狭間クォータ・フィールドの夜明けを目の前に、ノルドに教えた通りのもの――『ペアとなった相手が裏切り者で、実際は敵のスパイであった場合にとるべき適切な行動をせよ』。

 ヴァネッサは、無慈悲なマザーの声に、従えなかった。彼女を傷つけるなど、想像することすら出来なかった。対して彼女は一瞬でヴァネッサとの距離を詰め、持っていたナイフを喉に突きつけた。そして、囁いた。

「あたしは本当に石翼リトスのスパイだ」

 硬直したままのヴァネッサに、彼女は語りかける。

「ダメな訓練生のふりをして、一番優秀なあなたの芽を潰そうと思ったの」

 喉笛につきつけられた刃。自らの命の危機は、ヴァネッサの指に引鉄を引かせようとした。しかしまだスライドを引いていないから、撃てない――そのはずだったのに。

「あああっ!」

 どこからか放たれた弾丸は彼女の左足に命中し、彼女はその場に倒れた。

「あ……」

 銃弾が友人の足を撃ち抜いてしまった。手が震える。自動拳銃が、手の中でカタカタと音を立てる。

「やったわね……」

 彼女はよろよろと立ち上がって、ヴァネッサを睨みつける。

「死ねっ!」

 彼女はヴァネッサの心臓を狙い、ナイフを投げつけた。


 訓練生なら誰もが銃を持っているはずなのに。

 殺すなら銃を使うべきなのに。


――ヴァネッサの理性はそこまでだった。

 急所をめがけて飛んでくるナイフが視界に入った瞬間、生存本能が理性を凌駕し、ヴァネッサにもう一つの武器を取らせた。左手に短刀を素早く構え、お粗末な投げナイフを弾き飛ばす。右手でスライドを掴みグリップを膝で蹴り、初弾を薬室に押しこむ。即座に乾いた音を五つ鳴らして一気に間合いを詰め、四肢の急所を切り裂く。痛みに耐えられず倒れこむ敵の肩を掴んで、思い切り床に叩きつける。五発の銃弾で両手の甲の骨を砕き、両腕を撃ち抜き、右足の腱を千切り、さらにナイフで各部に止めを刺した。もう敵は立ち上がれない。『四肢の機能を完全に破壊し行動不能にする』という課題はこれでクリアした。

 だが石翼リトスは人ではなく兵器だ。再生されては命取り。

 敵の上に馬乗りになったヴァネッサは、銃口を彼女の額に押し付けた。

「そう……石翼リトスだって、脳みそは人間のときのまま。頭を撃ち抜かれれば死ぬ」

 無駄口をたたく敵の脇腹に、ナイフを突き刺した。肋骨が折れる音がした。

次は、『拷問せよ』。

「お前は本当に石翼リトスか?」

「……そうだとしたら?」

 ヴァネッサは、突き刺したままのナイフを捻った。

「質問に答えろ」

 敵は痛みのあまり涙を流し、ヒューヒューと苦しげな息を繰り返している。

「……この程度で答えると思ったら大間違いよ」

 涙に濡れても青い瞳の光は消えない。敵はヴァネッサを睨みつけた。

「撃て」

「それはできない。お前から情報を引き出す必要がある」

 ヴァネッサはナイフを引きぬいて、切っ先を敵の右太腿に浅く刺す。

「く……そんな甘いやり方であたしが口を割るとでも」

 強情な敵の言葉に応じて、少し切っ先を深めてからゆっくりと上下に動かす。敵の表情が苦悶に歪む。強い光を宿していた青い瞳が、少しずつ濁っていく。

「強情な」

 ヴァネッサがターゲットを腕に変えようとした時、敵の左手がヴァネッサの頭を掴んだ。

「まだ動けるのか」

 敵はヴァネッサの耳元で何事か囁こうとしているようだ。

「何が言いたい。無駄口ならば左腕を落とす」

「ヴァネ……サ」

 敵は、ようやく口を割った。

「甘いよ。石翼リトス、は、ノンアクションでも魔術、使え……頭、なんか、掴まれたら、危な、い」

 敵の指摘に思わず冷や汗をかいた。しかし、掴まれた頭に魔術の気配はなかった。

「でも思考……スイッチできるし、判断、早……い」

 息も絶え絶えに、彼女は囁く。

「ヴァネッサ……こそ、秩序の守人ヴェルト・リッター……ふさわし……い」

 彼女の優しい笑みが、雄弁に告げる。

「今まで……ありが、と。出来損ないの……あたしを助けて、くれて」

 それが、彼女の本心。

「生きて」

 彼女は、叫んだ。

「何をされてもあたしは喋らない! さっさと殺せっ! 嬲り殺しだろうが処刑だろうが好きに殺せぇっ!」

 乾いた音と共に、最後の銃弾が彼女の腹を突き破った。



 呼びにくい名前ゆえに誰もがドクターと呼ぶ男性から連絡があったのは、試験に合格して数日後だった。

「彼女の意識が、戻ったよ……会いたいかね? 私は……勧めは、しない」

 怖かった。自分がなにをしたのか見るのが、恐ろしかった。しかしそれでもヴァネッサは、ドクターに付き添ってもらって彼女の病室へ見舞いに行った。


 そこには、ヴァネッサが冒した罪が、そのままベッドに横になっていた。


「来て……くれた……んだ。ヴァネ、サ……嘘、ついて……ごめ……」

 彼女は、それだけ言った。あとはもう、話さなかった。

 ヴァネッサは耐えられず泣き、耐え切れず吐いた。ドクターがヴァネッサのパニックをおさめようと、強い声で呼びかけてくれている。だが、なにを言っているのかはわからなかった。

 だが、その時、聞こえたのだ。


「ヴァネッサ、パメラのことは忘れなさい。これはです」


 そう告げる、冷たく無慈悲な、が。


 マザーの言葉に逆らわず、ずっと従い続けていれば、苦しまなくてすむ。

 そう思ったヴァネッサは、今度こそに従った。

 自らの記憶と心に蓋をして、厳重に鍵をかけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る