2 - 1: Old soldier and a cigarette with victory

 西暦二〇一三年、米合衆国ステイツ・フロリダ州マイアミ。

 フロリダの南端に位置するこの都市に、ドイツ人移民のバルトロメウス・バイルシュミットは母親と二人で生活を営んでいた。彼ははコーヒーショップでバイトをしながら、マイアミにある州立大学に通っていた。

 その州立大学では、魔術学科を専攻。将来は母親に楽をさせようとして、勉強に励み大学が終わればバイトに行きと余裕の無い生活を続けていた。

 二〇一三年の秋、マイアミは年中通して寒さが訪れない地域であるがために、その日もやはり、バイト先のコーヒーショップは避暑で訪れた客で賑わっていた。

 買ったコーヒー豆でコーヒーを作ってくれる喫茶店も兼ねていたので、その客足は滞ることなく、毎時間が忙しかった。

「バルト、ちょっと」

 聞き慣れた店長の声が、彼の名を呼んだ。接客をしていたバルトロメウスは、近くに居たバイト仲間に接客を任せて、店長が入った部屋に入室した。その部屋は喫茶店とも繋がっている部屋で、喫茶店側の扉は開け放たれていた。

 頭頂部の薄い、腹の出た恰幅の良い中年の店長の前に立った。

「『バルトロメウスを呼べ』と言っている客がいるんだ」

「喫茶店の方にですか?」

「ああ。……まぁ、来てくれ」

 店長に促され、喫茶店の方を覗き見る。店長が指差す先に、新聞を広げて調度良く顔が見えない人物が居た。その容姿は、遠目ながらも男物のスーツを着ている人物だと分かった。

「あの方ですか?」

「そうだ、何かしたのか?」

「心当たりは無いですけど……」

「まぁ、頼むぞ」

「分かりました。……よし」

 店長が部屋に消えると、バルトロメウスは一つ深呼吸をして、ゆっくりと自分を呼ぶ人物の方へと近寄った。その人物が使っている、二人がけのテーブル席には、タブレット端末と黒に近い色をしたコーヒーが半分ほど呑まれた状態で置かれていた。

「あの――」

 声を掛けようとした途端、新聞が折りたたまれた。紙のクシャクシャという音とともに、バルトロメウスの予想を逆転させる人物がそこにはいた。

「バルトロメウス・バイルシュミット、だね?」

 そこには、男性ではなく女性が座っていた。紫がかった艶のある長い髪をポニーテールのように一纏めにした、凛とした顔立ちの美人であった。よくよく見れば、その容姿も男は違った。足はスラっと長く、その身もアメリカ人男性よりは小柄だ。それでも女性としては大柄な部類に入るのだろうか、確かな雰囲気を感じ取れた。

 流暢なドイツ語で自身の名を呼ぶこの白人女性は、すっと手を伸ばしてきた。その手は握手を求めており、バルトロメウスがそれに気が付くと、可憐な微笑みを浮かべた。

「私はティナ・ジャッジだ、よろしくなバルトロメウス」

「どうも、ミズ・ジャッジ。英語で構いませんよ」

 バルトロメウスはその手を取り握手をすると、英語で返事を返した。ドイツ生まれであるが、アメリカに、英語に慣れ親しんだために、遠い懐かしき母国語は違和感を覚えたのだ。

 これもまたキレイな英語で返されたティナは、一瞬驚いた顔をした後、小さく笑った。

「座ってくれ」

「え、でも――」

「仕事中、だろ? 大丈夫だ、君は今日限りでこのコーヒーショップを辞めてもらう」

「……は?」

 理解できなかった。この自分位の年齢だろう彼女の言葉、驚かされ戸惑った。この人は何を言っているのか。バルトロメウスはティナを訝しんだ。当たり前だ。慣れ親しみ愛着のある仕事を手放せと、この女は言うのだ。バルトロメウスは怒りを覚えたが、それは表に出さず、声色だけを変えて問うた。

「なぜ、ですか?」

「なぜ? 私が、君をスカウトするからさ」

「……は?」

 本日二度目の驚きは、たった数秒後に訪れた。

 ティナは、手に持つ新聞をテーブルの上に置くと、タブレット端末を手にして操作し始める。

「バルトロメウス・バイルシュミット。ドイツ内戦の移民。小中高を難民学校で過ごし、その後にフロリダ州立大学へ進学。魔術学科を専攻中。……君には才能があるんだよ、バルトロメウス」

「才能って……それより、なんでオレのことを……っ!」

「あー、落ち着け落ち着け。いいか? これは今後、君の将来を変えることとなるんだ。心して聞いてくれ」

 その後、ティナがバルトロメウスに話したことは、バルトロメウスの魔術的才能についてであった。

 この世界には、『ゴーレム』と呼ばれる生命を宿した人形が存在する。しかし魔獣の類ではなく、自動人形オートマタのような被造物である。そのゴーレムとは、主に土・石などで構成されており、魔力を糸状に練り上げた『魔継糸まけいし』で以って操るのだ。おおかた、巨大な操り人形パペットである。

 さて、このゴーレムを操り、またゴーレムの構造を決定する魔継糸の生成は、誰でも出来るわけではない。理論上は可能とされているが、やはり魔法には個々によって能力に差がある。魔継糸に関しては、魔術師人口の七割は燃費の悪い魔継糸生成しか出来ない。そこで、この生成に特化した魔術師たちの存在が明らかとなる。

 俗に、『ゴーレム・マスター』と呼ばれる人種である。このゴーレム・マスターたちは、通常の魔術師が使役するゴーレムの性能をさらに引き出し、効率的に動作させることができる。加えて言えば、とても頑丈であることと、その魔継糸が届く範囲であれば、なんら不自由なく操作できるのが、メリットである。

 このゴーレム・マスターこそ、バルトロメウス・バイルシュミットであったのだ。

「――つまり、オレがゴーレム・マスターであるから、話を?」

「その通りだよ、バルトロメウス。どうだ、話に乗ってくれるか?」

「……いえ、その前に――」

「ん?」

「何のスカウトだったんですか?」


  ■


「それが、オレとティナ・ジャッジとの出会いだった」

 日が傾き始めていた。

 ジープと大型トラックは、尚も東進し続けていた。地面を固めただけの未舗装なハイウェイの、小さな凹凸に体を揺らす長門とイリスは、食い入るようにバルトロメウスの話を聞いた。

「そこで初めて、うちの会社ブレイズ・マスターとナベリウスの名を知った」


  ■


「ブレイズ・マスター社? 傭兵部門? ……ですか」

「ああ、私は使えそうな人材をこの合衆国ステイツ内から発掘しリクルートするリクルーター。ブレイズ・マスター社は傭兵部門、ナベリウスのな」

「話を聞く限り、オレに『人殺しをしろ』って言っているんですよね」

「まぁぶっちゃけそうだな」

 否定してくれないのか、とバルトロメウスは頭を痛めながら心の中で呟いた。この無垢な笑みを浮かべる女性が、初めた会った人間に『人殺しをしろ』なんて言うのが怖かった。どこの世界に居るんだ。……ここに居た。

「どうする?」

「考えさせてくれませんか?」

「……そうだな、無理強いはしない。しかし時間は無い、直ぐ様選べ。このまま大学卒業まで仕事場でアットホームな感じで仕事をするのか、それとも『世界を変革』させるかも知れない仕事に就くか、だ」

 バルトロメウスは目を見開いた。彼女が口にした言葉、一字一句聞き漏らしていなければ、彼女は今「世界を変革」と口にした。このフレーズが、バルトロメウスの脳裏にある光景を思い出させた。

 それは硝煙の臭い、飛び出した内蔵の臭い、焦げたような臭い、火災の煙の臭い、共倒れになる人々の死体の臭い。それは、臭いであった。

 積み上げられゆく死体の山、破壊されゆく町並み、空は黒煙に塗りつぶされ、その後遠くから爆発の閃光が、瞳に焼き付く。これは、あの時に見た光景だった。

 ドイツ内戦。

 西暦一九九五年、五月二二日。首都ベルリンにて勃発した、亜人迎合派であったドイツ政府に対して人類至上主義者たちによる武装蜂起を起因とした内紛である。

 それが、幼いバルトロメウスが初めて経験した民族同士の闘争である。片手に火を、片手に冷たい鋼鉄の死を持つ大人たちの熾烈で残虐を極める争いは、トラウマのようにバルトロメウスの脳裏に焼き付いていた。それは、ピラミッドの壁画のようにだ。

 アメリカへの移住が決まった時、生き残って疎開してきた友人が恨むような目付きで、憎むような目付きでバルトロメウスを睨んだ。それを彼は今でも憶えている。

 家を失い、友人を失った戦いそのものが嫌いであった。憎悪するほどに。その感情が大きくなる毎に、それを相殺するかのように肥大したのは、世界を変えようとする考えだった。

「世界を……変革……」

「どうだ? 気に入ったか? お前の行動一つで世界の命運が代わり、常識もまた変わる。もしかしたら、右と左という既存の方向もあべこべになってしまうかも知れない。てのひらの上で、世界の命運を転がしてみたくはないか?」

 その言葉に、息を呑んだ。

 ――ここで頷けば、オレは世界を変える力を持てる。

 そう心中で呟くバルトロメウスは、一つ息を吐いた。

「何が出来るか分かりませんが、やれることはやってみます」

「その意気だよ、バルトロメウス……あー、君の名前、ちょっと長くないか?」

「バルト」

「……ん?」

「バルトで構いませんよ、ミズ・ジャッジ」

「……それなら、私のことは気軽に、ティナとでも呼んでくれ。ミズ・ジャッジは寒気がするからな」

 ティナが話終えると、バルトロメウスは眼前に座る彼女の性格を垣間見ることができた。その言動に、思わず吹き出してしまう。ティナも、バルトロメウスに釣られて口を開いて笑った。

 この時こそ、バルトロメウスが生涯の中で最高の相棒パートナーを見つけた瞬間であった。


  ■


 ティナ・ジャッジ。

 男勝りな性格を見せるも、やはり女性であった。男しかいない部隊の中では、仲間と肩を組んで下品な話に興じてはいるが、着替えなどは拳銃をチラつかせて「絶対に覗くな」と念を押しているところを見ることがある。

 彼女の体格は、決して男に勝るような体ではない。しかしファッション的に筋肉を付けているのとはわけが違うわけで、彼女の肉体はギリシャ彫刻のように美しく繊細であった。

 ――そう、バルトロメウスは日記に綴っていた。

 彼の女は、同僚からはメスゴリラと呼ばれているが、とてもそうには見えなかった。確かに彼女は、ティナは女性である。男と並んで筋トレをするティナの体は、男の筋肉むきむきの体とは違い、どうにも女性特有の丸みを帯びていた。

 そして何より、彼女のコンプレックスであったものは、部隊の中では『オカズ』になった。――胸である。即ち、おっぱいだ。彼女は、兵士である依然に女性であったために、必要以上に大きく盛り上がってしまったのだ。

 彼女は、自身の双丘についてこう語っていた。

『こんなものは肉塊だ。バーベキューで焼いて食っちまいたいね』と。

 確かに、タクティカルベストを着込むにも息苦しい。だからといって外して、ライフルに装備してあるスリングを体に廻しても、胸の谷間に滑り込んで強調される。これでは、目の保養どころか目の毒になってしまう。

 このような問題を、常に彼女の部隊は抱え続けていた。それとは別に、もう一つの問題が存在した。

 男関係である。一部では、ティナ・ジャッジはビッチだという噂が流れていたが、これは全否定できた。

 何故か。彼女がレズビアンだからである。男をイタズラに煽っておいて、本人は男に全く以て興味が無かったのだ。それを飲み会で盛大に宣言していたのだ、間違いではないだろう。

 だからと言って、ティナが女好きというわけでもなかった。彼女は勇ましい。煙草をふかすのにも、一つ一つの動作が、凡百の男たちよりも格好がつく。そのためが、自然と女が寄って来るというわけだ。

 そして女性たちを虜にしたもう一つの要因は、彼女の吸っていた煙草にある。なんとも軍人らしい銘柄であったのだ。

 オーン・トン・オーン配色で、赤色の明暗がペイントされた箱。英語で“Give the Victory!勝利を与える”と書かれているその銘柄は、一九五〇年代に軍人の間で密かに人気を集めた煙草であった。独特の香りを放つこの煙草は、とても良い香りであった。

 彼女を見ると、いつもその煙草を咥えている。バルトロメウスは一度、ティナに尋ねたことがある。「その銘柄を愛煙しているのか」と。答えは頷きで返ってきた。

「私の恋人、さ」

 その言葉に、とても意味深なものを感じたバルトロメウスは、生涯二度と、彼女にその意味を教えてもらうことは無いだろう。

 ――全てが終わった後、バルトロメウスは煙草を吸い始めたのだ。彼女に近づくために、という願掛けも含めて。


  ■


 愛煙する煙草の秘密についてを聞き終えると、神妙な表情になった長門とイリスが居た。バックミラーで二人の様子を見たバルトロメウスは、口角を少し上げて笑った。

 ――あんたティナもそこに居るんだろう……?

 そう心中で、荒野の彼方に消えていった彼の女に問い掛けて、助手席の方を向いた。開いたウィンドウから肘を出して頬杖をしながら、煙草をふかす懐かしい横顔がそこにはあった。紫がかった艶のある髪は、ポニーテールのように一纏めにしている。憧れたその人物が、バルトロメウスの視界の中に、居たのだ。

 ――安心しろよ。オレはもう、こんなオッサンになっちまった。老兵の世話しようなんて考えてるなら、どうか若い世代の連中たちを見守ってくれ。

 彼の女が、ゆっくりとバルトロメウスの方を向く。目と目が合うと、煙草を噛みながら口を三日月形にして笑った。透けていく彼女の体を見続けるバルトロメウスは、胸を撫で下ろすように息を吐いた。

 ――頼むぜ、ジャッジ隊長。

 老兵の願いは、死者に通じたであろうか。


 

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魔を祓う武具創成の魔術師《ウェポンキャスティング・ウィザード》 月永アマハル @amaharu_67

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