Chapter1; "The sound of the bells that tell the beginning."

1: Dry World

 魔法、魔術、魔導。これは神秘がもたらしたモノの一つである。魔力と呼ばれる、世界の根幹を成す一要素を対価として消費し、あらゆる現象を引き起こす。人間は現状、この魔法というものは扱える。しかし問題点は多く、その効果は個々人で変わる。その原因はセンス、努力の程度、血統、出身地など数多に及ぶ。こうした出来る出来ないというのは、今に始まったことではなく、既に数世紀前からあれこれと言われているものである。

 ただ努力の次第、これは大きく魔法の技術力を向上させる。魔法とはまず、魔力を練り上げ不純物を取り除いた純度の高い魔力を消費する。魔法の詠唱とは、この純度を最低水準にするだけの工程である。近代魔法は『発動体』と呼ばれるデジタルデバイスを用いた魔法の発動もあるが、詠唱を暗記して脳内で詠唱するだけでも、魔力純度は大幅に高くなる。口に出して、支えず臆することなく詠唱すれば、もう生まれ持っての天才レベル――とまでは行かないが、そこまでの力を発揮することができる。

 では、なぜ今も議論され続けるのか。それは魔法の組み合わせの量が無限大だからである。魔法とは概念を人為的に呼び出すモノである。そのため、例えば『火』という概念だけを呼び出しても、生み出された火はどうすることもなく、消えていく。しかしここに『燃える』という概念を追加すれば、火は燃える。これが所謂『発火』と呼ばれる、魔法の等級ランクでは一番下の簡単な魔法である。

 魔法は可能性を秘めている。しかし程度を過ぎれば、術者を身の破滅へと追い込む。そういうものなのだ。


  ■


 乾いた大地にはサボテンが点々と生えているだけだった。遠くに木々が見えるが、とても健康的では無い枯れたような色をしている。土は赤茶、テーブル状の大地こと『メサ』が散見できる。空中に浮かぶ宇宙の篝火かがりびの陽光が、その身全身に降り注ぎ日焼けは避けられないだろう。

 太平洋に浮かぶ東方大陸ガルメルスは中央地域、砂漠と荒地が広がるここは、獣人の築き上げた大国・アービウスタ連邦のど真ん中である。

 雲をいくつか浮かばせる晴れ渡った青空が、どこか腹立つ。そう思ったのは、ジープに揺られる長門だった。その格好は旅行慣れしているように見える服装で、武装は愛用するリボルバー拳銃一丁だけだった。ウィンドウを全開にして、そこに腕を乗せて頭上に覆う空を仰ぎ見ていた長門は、不意に頬に冷たさを感じて、振り向いた。

 そこにはキンキンに冷えている缶コーラを持ったイリスが居た。

「飲む?」

「……ああ、ありがとう」

 微笑むイリスから、仏頂面で缶コーラを受け取る長門。鼻から溜息を吹き出して、缶コーラのプルトップを開ける。シュワシュワという聞き慣れた炭酸の弾ける音が、妙な涼しさを生んだ。イリスも自分の缶コーラを開けて飲み始めた。

「あれ? 運転しているオレには無いのか?」

 とは、運転しながら紙巻煙草シガレットをふかしているバルトロメウス。イリスがまだ開けていない缶コーラを開けて、ストローを突き刺すと、片手をひらひらとさせているバルトロメウスに渡した。

「おー、イリスは気が利くな。ありがとよ」

 と紙巻煙草を吸い終わり、ストローを咥えながらそう言った。

 長門はそれを横目に、また空を見上げた。コーラを何口か口の中に注ぎこみながら。

「……うっ」

 イリスが短く唸った。それに長門は小さく噴き出す。見当は付いている。おおかたゲップを抑えて、何とも言えぬ刺激を鼻で受け止めて、涙目になったのだろう。あえてイリスの方は見なかったが、それを想像しただけで、二度三度笑えた長門だった。

 デルアドの作戦から三日後の今日、新たな作戦である『オペレーション・オリオン』に基いて、特殊作戦群の面々はエルフ国家であるシルグリファ帝国を経由して、陸路でアービウスタ連邦に入国した。しかし今回に限っては、武装を最小限にしており、現地住民に怪しまれないようにしていた。

 では、武器はどう調達するのか。アービウスタ連邦内に唯一存在する駐アービウスタ外国公館――シルグリファ帝国大使館を介して、用意した武器を調達もとい回収するのである。アービウスタ連邦は外交に対して排他的だが、それでは国家として成り立たない。そのため、シルグリファ帝国の助力を得て貿易などを行っているのだ。そうすることで、大使館を設ける必要性を生み出したのである。

 というわけで、アルファチームのジープと大型トラックは大使館のあるアービウスタ連邦首都『ノースヒル』を目指していた。

「……しかし、ノースヒルに入れるんですか?」

 長門が疑問をバルトロメウスに掛けた。

「確かに、人類側から侵略行為の中止を訴えられているから、向こうも警戒しているだろう。そこで、レックスを使う。あいつは獣人だからな」

 レックス・フラウロス。特殊作戦群アルファチーム所属の獣頭人身、種族はディープ・ドール。アルファチーム内で一番の怪力を誇り、敵の首を拳一発で吹き飛ばす威力を持つ。全高約二メートル、体重百キロという巨漢。

 魔術を得意とせず、その代わりに圧倒的な身体能力と固有能力である『傲慢な秩序を解き放たん《ビースト・オーダー》』を行使している。その二つを組み合わせたレックスの戦闘能力は、特一級の魔術師を優に超える。

 そんな彼に与えられた役割は、シルグリファ帝国大使館から武器を受け取り、投入された特殊作戦群の隊員たちに配ること。しかし、今回投入された隊員数は二〇〇名。これは後方支援部隊員、非戦闘員を含む数である。そのうち実行部隊の隊員数は百十名。その数の装備を配り回るというのは、骨の折れる仕事である。

 そこで、レックスの他に所属する獣人の戦闘員をノースヒルに入らせる。獣人の数、約四十名。彼らが大使館に運び込まれた百十名の隊員たちの装備を回収するのだ。

「その装備を回収するための、ですか」

「そうだとも」

 長門はちらりとバックドアの窓からジープを追いかけてくるトラックを見た。その運転席には、ドールあかおおかみの頭を持つ獣頭人身レックス、助手席には赤毛の女性隊員アレッシアが座っている。

 レックスは長門の送る視線に気付き、片手を上げて反応する。それが見えた長門は、同じように片手を上げて返事をした。

「しかしまぁ、なんというところに首都を築いたのか……。どうして水害だの地すべりだのが起きる荒地を選んだのか、どうも『黄金の地平線アービウスタ』には見えないよ」

 長門が独り言を呟いた。全くそのとおりである。建国から六十年経つ今日こんにちまで、この一帯はそれまでずっと荒野と砂漠が入り交じる環境であった。サバンナにも見えるが、若干気候が違う。

 この幻想領域で、人類側の地理学は使えない。全ては大気を流動する魔力の濃度によって環境は決まるのである。大まかな地形や気候は人類側と変わらないが、それでも摩訶不思議な環境が幻想領域には広がっている。その要因は一重に、魔力濃度にあると言える。

 どんなに排他的な国家だったとしても、仮にも国の中枢を、こんな非生産的な環境に設ける必要も無かったはずだ。


 しかし長門は、そのことについて既に答えを得ていた。それは作戦開始前の航空機内でのレックスとの会話にあった。


「アービウスタの首都って、なんでこんな辺鄙な場所にあるんですか? レックス」

「それはな、『棲息域』が関係してくるのだ」

「棲息域?」

 長門はオウム返しで質問をした。その質問に、レックスは頷きながら、

「獣人には棲息域を大事にするという風習がある。あくまで口伝くでんではあるが、そういったものを重んじるのが獣人なのだ。アービウスタの場合、当時人々が夢馳せた地であり、またセヴェリク朝始まりの地でもある。ルゥメン・セヴェリクが、その巨大なコミュニティの主となり、そして首都であるノースヒルを自らが住む場所と決めた瞬間から、セヴェリクに付き従う者たちの住む場所にもなった。――つまり、主が決めた住む場所とは、そのコミュニティの棲息域となる」

「じゃあ、ノースヒルにはセヴェリク朝を敬う者が大勢いる?」

「大勢いることには変わらんが、時の支配者とは常に嫌われているものだ。反体制派もノースヒルには居る。棲息域イコールあるじを崇拝する者たちの場所ではないのだ。彼らがノースヒルにいる理由は、単に親族の生まれた地からだろう」

 つまりアービウスタ連邦首都は国家を率いるセヴェリク朝が棲息域として決めたがために、首都として存在しているのだ。しかし棲息域という概念は形に支配されず、身近な存在の生まれの場所というだけでも棲息域と呼ばれる。

 ――端的に言えば、獣人たちにとって、生と死が過ぎゆく場所こそ棲息域なのである。


 棲息域というものが関係していることは分かった。しかし、その上で理解できなかった。

 なぜこの地を棲息域としたのか、だ。生産性は大いに欠けており、とても一国家の首都を置くような場所ではない。それはアービウスタ連邦の国民も重々承知のことだろう。

 独立と建国の父、ルゥメン・セヴェリク。黄金の地平線、アービウスタ。この二つがその答えとなるのだろうか。長門は分からないままだった。

「二人とも、疲れたか? 辛抱しろよ、ノースヒルまでまだあるからな。しかし給油をしないとな……」

「この辺に街なんてあるんですか?」

 イリスがシートに全体重を掛けて体を預けながら、バルトロメウスに問うた。

 イリスの疑問も、仕方のないものだった。車の往来で出来た未舗装の道路以外、見渡す限り草臥くたびれた自然が広がるだけだ。動物も、幻想生物の一つも居ない。一言で形容すれば、死んだ世界とでも言える。

「三キロ先にな、目の前の丘を越えれば見えるはずだ」

 バルトロメウスは缶コーラに口を付けながらそう言った。

 長門は内心で、「田舎かよ」と思った。


  ■


 東方大陸ガルメルスアービウスタ連邦。西暦二〇三三年八月十五日午前十一時。

 首都ノースヒルより西へ七〇〇キロ、ハーフィス市。その街に唯一あるガソリンスタンドに長門たちは居た。

 ジープに寄っかかりながら、空を仰ぎ見る長門。その青空は、どこまでも純粋な空色だった。イリスの髪の色よりも色素が抜けたような色で、その中に浮かぶ大小の雲は風に押し流されて、東から西へと流れていく。雲が太陽を隠し辺りが薄暗くなったり、そうでなかったりしている。

 ふと、イリスの方へ視線をやった。彼女はアレッシアと談笑していた。頭一つ分違う彼女たちの身長差と髪の色は、彼女たちを対称できた。

 が、彼女たちには似通った部分がある。千尋にはある脳天気さを、彼女たちは持ち合わせておらず、代わりに普段は冷静な対応を取れる『できる女』である。とは言っても、彼女たちとて人間――イリスは、ハーフエルフだけど――であり、人間らしい喜怒哀楽や数多の感情を、その顔に見せることがある。

 そんなことを考える長門は、不思議と笑みを作っていた。

荒ぶる者セトよ、『黄昏の娘ヘスペリデス』はどうしたのだ? 姿が見えんが」

 ジープがガタンと動く。

 同時にレックスが声をかけてきた。長門が後ろを振り向くと、そこにはジープのルーフに両腕を置いて寄りかかるレックスが居た。彼の重量で傾くジープを見ながら、呆れて笑ってしまう長門。

「千尋のこと? あいつなら来てないよ。っていうか、連れて来なかった」

「なぜだ? 戦力は多い方が良かろう?」

 首を傾げ指で顎を触るレックスに、寄り掛かっていたジープから離れて、数メートル歩くとガソリンスタンドの天井の端から、空を見上げた。そして顔を俯け、レックスの方を見た。

 キョトンとするレックスに、長門は笑いながら口を開いた。

「日本の学生って、いま夏休みなんだけどさ、あいつ宿題終わってないんだ」

「……は? もしかして――いや、もしかしなくとも……宿題をやらせるために連れて来なかった、と?」

 数回頷きながら、長門はガソリンスタンドに沿って伸びる道路に出た。何年も前に敷設されたであろうアスファルトは、見る影も無く朽ちかけている。風に舞ってやってきた赤茶の土砂が、アスファルトに薄く積もっている。足裏でアスファルトを蹴ると、ザラザラといって妙に滑った。

 レックスは、長門の反応に驚きを隠せずにいたが、じわじわと面白さがこみ上げてきたのか、遂にはジープのルーフを盛大に叩きながら、笑い始めた。

「笑うことはないでしょ。あいつ、オレとは違ってんです。常識的に考えれば、こんな仕事はさせちゃいけない。それに勉強しないと高校留年しちゃいますし」

「なるほどなるほど、黄昏の娘ヘスペリデスの家族に迷惑を掛けまいと、お前が抑えこんだのか」

「まぁ、そういうことです」

 レックスは涙目になっていた。こんな巨漢でも、面白い一面があるんだな。そう思った長門であった。

「おいおい、レックス。ジープ壊そうとしてるんじゃねぇぞ?」

 と言いながら、歩いてきたバルトロメウスは、何故か草臥れた紙巻煙草を口に咥えていた。火は点いていないが、先端は焦げて灰が露出している。彼をよく見ると、シャツの胸ポケットに、異様にしなる煙草の箱が入っていた。そこから察するに中身は空っぽだろう。

 バルトロメウスは、ジープ運転席側のドアを開けて、ライターを取ると、紙巻煙草に火を点けた。一度吸い込んでから、すーっと吐き出した。

「まぁいいや。ナガト、かねは後で返してやるから、オレがいつも吸ってる銘柄買ってこい」

「オレ、未成年ですよ」

 煙草をふかしながら、胸ポケットに入っていた空箱を取り出すと、長門に見えるように高く掲げる。それはオーン・トン・オーン配色で、赤色の明暗がペイントされたものだった。そこには英語で“Give the Victory!勝利を与える”と書かれていた。

「ここいらじゃ、お前よりも歳下のガキだって吸ってやがるさ。――ああそうだ、もしこの銘柄が無けりゃ、青と黄色の箱のやつを買ってこい」

 と言いながら、バルトロメウスはハンドサインを作る。ピンと伸ばした右手を、手首から直角に曲げて、“行け”と命じる。

 長門は嫌な顔をしながらも、店が立ち並ぶ繁華街(みたいなところ)へ、駆け足で向かうことにした。

 その光景を見ていたイリスは、バルトロメウスを呼んだ。

隊長ボス、私もナガトに付いて行きます」

 バルトロメウスは煙草をふかしながら横目でイリスを見た。数秒の沈黙が流れた後、手をひらひらさせながらバルトロメウスは笑った。

「……行って来い」

 その了承を得ると、イリスは長門が走っていった方向に向かって走りだした。

「若い、ってのは良いねぇ」

 バルトロメウスは笑いながら煙草を吸った。


「待ってっ、ナガト!」

「……イリス?」

 煙草を置いている店を探していた長門は、呼び掛けられた声に反応して振り向く。そこには結っていない淡い水色の髪をなびかせながら、駆け寄ってくるイリスが居た。そのことに長門は内心驚いた。

「どうしたの?」

 頭を掻きながら、長門は近寄ってくるイリスに声を掛けた。

「私も付いて行く。良いでしょ?」

「別にいいけど……煙草買うだけだよ?」

 微笑みながら頷くイリスを見て、長門は辺りを見渡した。

 ガソリンスタンドからは2、300メートルほどのところに位置するハーフィス市の繁華街。首都ノースヒルとシルグリファ帝国国境を繋ぐ唯一のハイウェイ、そのすぐ側に鎮座するのが、この街である。

 見渡す限り獣人だけで、建物はコンクリート建築と木造建築が混濁したような作りで、その外観はアメリカの西部開拓時代のようであった。

 市場のように、店前に商品を置いて屋根代わりにほろを張っている。それとは別に、コンビニのような店を見つけると、その店に足を踏み入れた。中には店主と思しき猿顔の獣人と、数人の屈強な――それでも、レックスに比べれば遥かに劣っているが――『ワンダー・タイガー』の獣人たちが先客として居た。

 店の中を軽く見て回る。ふと、長門は店主の方へ目をやった。猿顔の店主の背後には、いくつか煙草の箱が積まれていた。長門は店主の居るカウンターに歩み寄った。

「すみません、煙草が欲しいのですが」

「……どの銘柄でしょう?」

 訝しげに長門を見る店主は、煙草の箱が置かれる棚の方を向いた。

「ええと、赤っぽい箱で“Give the Victory!”って描かれているやつなんですけど……」

「ああ、それなら売り切れちゃったよ。ほら、今に話しかけているワンダー・タイガーの男さ」

 店主の言葉に、咄嗟に振り返る長門。そこには、嫌がるイリスとちょっかいを掛けるワンダー・タイガーの男が居た。

 男は大きな声で、

「嬢ちゃん、おっぱい大きいねぇ! 俺ってそういう娘が好みでさぁ、ハーフエルフだよね? 匂いで分かるんだよね。すごいだろ? ヘヘッ」

 などと下品な言葉を発していた。イリスは一層嫌悪感を示した。

 確かに、彼女は素晴らしいものを持ち合わせている。男を惹きつけるには十分過ぎる魅力が、そこにはあった。大きな双丘が、服の上からでも分かる。ワンダー・タイガーの目線は、そこに固定されていた。

「あの」

「ああん? なんだてめぇ」

「彼女はオレの連れだ。何か粗相でも仕出かしたのか? だったら、謝る」

「……はぁ? 野郎はすっこんでろや。そもそも人間ヒューマン風情に獣人の俺に勝てるとか自身ぶっこいてんのか?」

 ワンダー・タイガーの顔が狂った笑みで歪む。野蛮な表情だ。まるで、自分が世界で一番強いとでも思っているかのように、調子に乗っている。男は腰に携えたマチェットの柄に手を掛けた。

「ま、その女を置いてこの街から出て行ったら、許してやるよ。あ、そうだ。それと土下座も忘れずにな。……ほら、早くしろよ」

 男は柄に手を掛けたまま、大口を叩いていた。それまで控えめながら険しかった長門の顔が、相手を射殺すように鋭く、そして恐ろしい表情に変貌した。

「会話は成立しない、か。どうやら、人の言葉はに通じなかったか。誇り高きワンダー・タイガー族も地に落ちたものだな。――イリス、こっちへ」

「あっ、おい待てっ……てめぇ、巫山戯ふざけんじゃねぇよ! もう許さねぇからなぁ!? てめぇを半殺しにした後、そこの女を目の前で犯してやるよ!」

 そう言うと、獣人はマチェットを引き抜いた。引き抜かれたマチェットが高らかに掲げられると、そのまま腕力に物を言って振り下ろした。

 大振りな攻撃であったために、長門は簡単に躱した。それに腹を立てたのか、男の顔が茹でたタコのように真っ赤になる。

「動くんじゃねぇっ!!」

「止まったら死んじまうだろっ」

 長門は無鉄砲に振り回されるマチェットの攻撃を躱しながら、どんどんと男の方に詰め寄る。すると、長門は携行していた愛銃の大型リボルバー拳銃をホルスターから引き抜いた。

 弾は既に装填済み。重たいハンマーを引き下げて、トリガーに指を掛けた。

 ワンダー・タイガーからの攻撃が始まってから、既に一分は経過していた。長門はワンダー・タイガーの隙を突くと、リボルバーの銃口を男の腹に突きつけた。

「てめぇ……! 卑怯だぞっ!!」

「これは罰だ」

「うるせぇ! 俺はこの国の兵士だぞ! てめぇら人間とは格がちげぇんだよ!!!」

 世迷い言を、そう思い笑う長門は腹に突きつけたリボルバーのトリガーを引き絞った。乾いた発砲音とともに、ワンダー・タイガーの男は悲痛を訴える咆哮を上げてその場に倒れた。

 穿たれて出来た傷を両手で抑えながら唸る男は、痛みに耐えて長門に吼えた。

「てめぇはぜってー殺す! 必ず殺す! 首洗ってやがれぇっ!!」

「もう一発いっとくか」

 瞳から光が消えた長門は、冷酷にもトリガーをもう一度引いた。今度は距離が有ったので、辺りに血が飛び散った。

 男の瞳孔が広がりつつあることを遠目で確認すると、既に虫の息となった男の体を弄った。そして、長門はお目当ての品を掴みとると、懐にしまった。それはバルトロメウスが愛煙する銘柄の煙草だった。

 この超短期間で起きた凄惨な事実に、直面した店主は半分夢の世界へ誘われていた。長門は放心状態の店主の手に、煙草代を握らせておくと店を後にしようする。

「てめぇは……ぜってーぶっ殺……す……」

 男がぼそりと呟いたが、長門の耳には届いていなかった。


「ありがとう、ナガト。助かったわ」

「良いよ、イリスが無事で何よりだから」

「でも……」

 顔を俯かせ、躊躇うように言葉を詰まらせるイリス。長門はイリスの顔を覗きこむように、体を屈めてみる。イリスは沈むように暗い顔をしていた。それを見た長門は、なんと声を掛けていいか迷った。

 しかしその迷いも無用。イリスは意を決したようにして、顔を上げて口を開いた。

「……ここは私たちにとっては、それも緊張状態の続くアービウスタの国民を撃ったってなると、長門は停職だけじゃ済まなくなるわ……」

 その言葉に、長門はすっと即答した。

「それについては問題ない、よ。他国の国民に重傷を負わせた場合、それは事件の起きた国の法で裁かれる。けど、アービウスタにはその制度は存在しない。長らく他国との接触が無かったから」

「でも報復されるかも」

「かもね。でも、さっきの奴、ヘタしたら一生寝たきり生活だ」

「……?」

 長門の言葉の意図を理解できなかったイリスは、はっとして長門の腰にぶら下がるホルスターからリボルバーを引き抜いて、回転弾倉を見た。そこには、確かにリボルバーの規格にあった銃弾装填されているが、緑色のラインが一本入っていることが伺えた。

 イリスは、この銃弾の正体を知っていた。

封魔弾ふうまだん……っ!」

 封魔弾。名の通り、魔を封じる力が込められた銃弾のことを意味する。通常弾より殺傷力が低い代わりに、被弾した対象の有する魔力を封じ、魔法を司る『大霊回路だいれいかいろ』を機能不全に貶める特性を持つ。

 その特性上、昨今需要高まる魔術師の職業生命を絶つ非人道的な兵器として、国際憲法上で使用を禁止されている。

 しかしそうなると、長門は国際憲法に抵触してしまう。回転弾倉は六発入るようになっている。そのうち二発は、既に『あの獣人ワンダー・タイガー』の腹中にて、封魔の力を弾け飛ばしているだろう。

「今日は凄く色んな事に関心持つね、どうしたの?」

「人を無感情みたいに言わないでっ……って、そうじゃなくて! どうするの?」

「どうする、って封魔弾のことだろ? これはそもそも、ナベリウスが支給したモノだからオレにはその点で責任はない。使っちゃいけないモノを使った、そりゃヤバイ。けど、問題はない」

「なんで……?」

 長門の一連の発言に、多くの疑問を抱くイリスはその表情も徐々に険しくなっていく。しかし、その疑問は長門の言葉で解決してしまった。

「そりゃ、アービウスタ連邦は『部分的』にしか国際憲法に合意していないからだ。国際社会の引き篭もりっ子には、周りの空気が重たいから政府は部分的にしか合意していない。その合意内容に、封魔弾の使用を始めとする『非人道的行為の禁止』は含まれてはいない」

「じゃあ――」

「オレは咎められない、かな」

「……」

 一息吐いて、安堵の笑みを浮かべる長門に、イリスはどこか恐怖心を抱いた。感情の起伏が激しいという意味でだ。東欧の作戦では、自身の意思に関係なく襲いかかってきた被害者をむ無く殺害、自責の念を負っていた。

 しかし、今はどうだろうか。封魔弾を使い、冷酷で慈悲は無かった。その後、咎められないということに安堵した。この感情の動きが、イリスから見たら少々異常であったのだ。

 だが、それは彼女が長門のを知らないからそう思えるのだ。

 ――閑話休題。

 繁華街からガソリンスタンドへ戻ると、いつでも出発できるのか、残っていた三人は車に乗り込んでいた。先ほどと変わらず、バルトロメウスがジープでレックスとアレッシアがトラックに乗車している。

 長門とイリスが、ジープに乗り込むとバルトロメウスが笑いながらこちらを向いてきた。

「お前たち、なんかやったろ? 銃声がここまで聞こえてきたぞ」

「……絡まれて、向こうが凄く好戦的だったから、止む終えず……」

「そういう話には双方に非があるんだよ。――そのうち、仕返しがくるかもな……注意しろよ?」

「そのつもりです」

 そう答えたのはイリスだった。バルトロメウスは、一瞬キョトンとしたが大凡おおよそ経緯いきさつを察したのか、シケモクを口に咥えたまま、静かに笑った。

 口に咥えられたシケモクが上下に動くのを見て、煙草を買ったことを思い出して、懐を弄ると煙草を取り出した。

隊長ボス、これを」

「おっ、サンキューな。……この銘柄がここでも売ってたとはな」

「その煙草に、なにか思い入れがあるんですか?」

 長門が不思議がりながらバルトロメウスに尋ねた。ハンドルを片手に、もう片手は箱の封を切って煙草を取り出し口に咥えて火を点けていた。

 バルトロメウスは煙草を一つふかすと、人差し指と中指で挟んだ煙草を頭よりも高い位置に上げてこう言った。

「これは、『ティナ』が生前吸っていたもんだ。形見、みたいなものだな、この煙草は」

 車内の雰囲気が、ゆっくりと沈んでいく。長門はバルトロメウスの言葉に顔を俯けて、沈鬱な感情を沸かせる。イリスは『ティナ』という名を初めて聞いたが、その人物が既に死んでいることに、なぜか悲しくなった。

 後部座席が物悲しい雰囲気を放っていることに気付いたバルトロメウスは、一つ昔話をしようと考えると、煙草を咥えながらこう話し始めた。

「――二〇年前になるな」

 そう、呟いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る