3 強襲! 瀬川人!!
・・・
始業式から二週間が経過した金曜日の6限目、今はLHR(ロングホームルーム)という名のクラス会の時間。一応今回はゴールデンウィーク前にあるフィールドワーク(郷土研究)という名目で行われる遠足の目的地と実行委員を決めるとのことなのだが、地元の神社やら遺跡に足を運んで弁当を食べるだけの行事にさしたる興味の持てない現代っ子集団である2年F組は当然のように自席を離れ気の合う仲間と駄弁っていた。決して真面目とはいえない千本木一郎、其ノ神坂スバルの両名も例にもれず、黒板の前で何やら行事の主旨について説明している学級委員を尻目に無駄話に花を咲かせていた。
平和。このクラスにはまさにそんな言葉が似合う。昼食後の眠い時間帯を緊張感のかけらもなく過ごしている自分たちを見ても担任の竹原田恭子28歳は特に咎めようとはしない、どころか欠伸まで出る始末。LHRの初めに、私は生徒の自主性を重んじるスタンスなので自由に進めなさいと一言学級委員男女2名に指示したあとは椅子に座って気だるげに本を読んでいるのみだ。
「でねでね、そのノラ猫が私の前で悲痛に鳴き続けるもんだからつい、ついあげてしまったの! おせんべを! あ、動物ってなんとなく塩分だめな気がしたから一回口にいれて思いっきり吸ったよ? 塩分だけをね! んでね、それをあげたの、ほいって! そしたら超反応だよ、投げたおせんべが地面に着く前にパクって! 動画取らなきゃと思って、もう一回投げたらね、また上手いことパクって! 見てこれ、凄いっしょ?」
「カッちゃん、そんなに興奮したらまた鼻血出るよ、さっき止まったばっかりでしょ」
「はっ、そうだった。すまねぇ、あいりぃ」
一郎の一つ前、瀬川愛理の席を囲ってきゃあきゃあと騒ぐ女子たち、会話の中心でそれをさらに騒がしくしているのは当然一郎のアイドル・勝鬨橋アリスだ。
この声が近くで聞ける、そしていつも視界にその姿がある。それだけで一郎の日常は明るく彩られるのだ。
千本木一郎の高校生活二年目は、忍ぶ恋に押し殺された昨年に比べてかなり順風満帆に推移していると言えた。この二週間大した会話らしい会話もしていないが、毎日一郎に帰りのあいさつを欠かさずしてくれたアリス、スバルの友達で少し話したことがあるから、ほんの少し気にかけてくれただけだとわかってはいる。わかってはいるが、それだけでも一郎の心は満たされるのだ。我ながらなんて安いのかと自分でも憐れに思う。それではいけないと自分を戒めてもいる。そろそろ行動を起こしたい、いや起こさなければならない。でもいったいどうしたら――。
そんな悩ましい日々に溺れていた一郎は後にこの日を、人生が変わった日と呼ぶようになるのだ。良い意味で、なのかはわからないのだが。
……
LHRの時間も中盤に差し掛かった頃だ、スバルが用を足しに席を立ってしまったので一郎はぼんやりと黒板前に立つ学級委員の説明に耳を傾けていた。自分たちにも適当に配布されたプリントを流しで読み上げた学級委員が、今日一番の声を張った。
「さて、じゃあ実行委員男女1名ずつを立候補で決めたいと思います。やりたい人、挙手!」
今回のフィールドワークの実行委員を決めるようだ。先ほどまで騒がしかった教室内はいっせいに静まり返る。当然のように挙手する者は一人もいないわけだが、そんな中アリスが声をあげる。
「はいはーい、質問でーす! 立候補が出なかった場合はどうなるのでしょう?」
「推薦か、最終的にはジャンケンになるなぁ」
「推薦かぁ! じゃあ私、すばるんと千本木くんを推薦したく思うなり!」
一郎は突然の自分の名前が呼ばれドキリとして顔を上げる。推薦? アリスが何で俺を? 推薦ってイジメとかでされたりすることあるよな、まさか俺、知らないうちに嫌われてたのか? マジか? キモがられたか? そんなバカな!
「ふっふっふ、すばるんは今この場にいないので拒否権はないのだよ! そしてすばるんといつも仲良しの千本木くんは友を絶対に見捨てられないと思うのだ! これにて実行委員選出、一件落着! どやっ!?」
クラスメイトからはさすがアリス、天才、かわいいなどの賛辞が飛び交う。
だが一郎の思考は複雑だ。アリスのご指名は嬉しいがそんな面倒なこと是が非でもやりたくないのである。そこに担任の竹原田恭子28歳から救いの手が。
「あー、一応実行委員は男女一名ずつ、という決まりがあるので、この二名なら千本木くんか其ノ神坂くんのどちらか一名と、あとは女子生徒から一名でお願いね」
助かった、と一郎は一息ついた。
「なんだとー! 男二人じゃダメだってのかー! くっそー、千本木くん本当は女の子だったりしない?」
「し、しない!」
アリスに問われぶっきらぼうに返す。バカ野郎、もっと面白い返しがあっただろうに!
「では、男子のほうは立候補者がいないので、とりあえずは其ノ神坂くんということで」
学級委員がスバルの名前を黒板に書く。ご愁傷様だ、スバル。
「じゃ女子の方はどうしようかね」
学級委員がそう言うと途端に女子どもがざわめき始める。
「其ノ神坂くんと一緒なら私、ちょっとやりたいかも」
「ここで立候補とかあんた露骨過ぎでしょ、其ノ神坂くん狙ってる子多いんだから」
などという声が微かに聞こえる。ちくしょう、スバルめ、相変わらずモテやがる。
気はあるようだが誰も手をあげないまましばしざわざわとした時間が続く。そんな中、ついに沈黙を破る、静かだが少し上擦った声が微かに室内に響いた。
「わたし、やります……」
意外にもその声の主は、勝鬨橋アリスの相棒、貞……瀬川愛理であった。
教室内が水を打ったように静かだ。だがアリスだけは、
「おー! いいねぇ! あいりなら安心して行事を任せられるぜ! ね、みんな!」と瀬川愛理の立候補を推した。
「そうだね、瀬川さんなら真面目そうだし」と言う声もあれば「何あの子、もしかして其ノ神坂くん狙い?」「いやいやあの見た目でそりゃないっしょ、ってか無理でしょ」という声もある。確かに瀬川は暗いがアリスの友達をけなすような発言に一郎は少し苛立ちを覚えた。
しかしだ、まさか暗く、控えめな印象の瀬川愛理がこんな役目をやりたがるとは思わなかった。いったいどういうことだろうと瀬川とアリスに視線を移してみると、瀬川の方を見ていたアリスと目が合った。瞬間、どぎまぎとした一郎だったが、アリスは一郎に向かって凄まじいアリス光線を放つ笑顔に両手を使ってピースサイン、いわゆる、ダブルピースというヤツだ。一郎はその光量に昇天しかけたが、ぎりぎり意識を保てた。一郎は長男だからなんとか保てたけど次男だったら絶対耐えられなかっただろう。今のアリスを一生忘れまいと心に誓う一郎だった。
しかし今のサイン、その意味するところはやはり瀬川愛理の想い人は一郎の親友スバルであるということなのだろうか。今までそんな素振りには気付かなかったが。と、ここまで考えて気がついたが、いつもアリスの傍にいるので瀬川が視界に入ることは珍しくないが、基本的にアリスしか見ていない自分がそんなことに気付くはずもないのだ。
へぇ、意外だな。と思うと同時に、スバルってこういう子にもモテるんだな、と改めて親友を尊敬(嫉妬ともいう)したのだった。
「じゃあフィールドワークの実行委員は其ノ神坂くんと瀬川さんで決まりってことで」
学級委員がそういいながら黒板に瀬川の名前を書く。そこにちょうど用を足しに出ていた(サボっていた)スバルが手に購買の袋をぶら下げて教室に戻ってきた。
「あれ、俺の名前が黒板に。どゆこと?」
「すばるーん! よくぞ戻った! その袋は私へのお土産だな!?」
「いや、ちげーよ。ってかなに? 俺何かやるの?」
「んーふっふー、すばるんがいない間にこの私の勝鬨橋権限で君をフィールドワーク実行委員に任命したぜ! ありがたく思え!」
「は? なんだそれ、ってか実行委員なんて俺やれねーぞ、放課後部活あるし」
「ダメだダメだー! そんなものは認められん!」と歌舞伎のような動きで大きく頭を振り乱し、手を大きく開いてスバルに詰め寄るアリス。そこに竹原田恭子28歳が一言。
「あ、そうだった。其ノ神坂くんバスケ部だったわね。バスケ部はGWの強化合宿参加メンバーの選出があるから部員には今回の行事の仕事はなるべく避けるようにって頼まれてたわ。顧問の本多先生から」
それを聞いたアリスは「えー! 横暴だよー! そりゃないぜ本多のとっつぁーん!」と肩を落とす。チラリと瀬川を見るアリス、瀬川は少し下を向いた。
「そういうわけだから、他の人、よろしく」と竹原田恭子28歳。その発言を受けて学級委員が続ける。
「それじゃ、さっき相馬くん以外で名前が出た千本木くん。頼めるかな?」
「え、いや俺はーー」
冗談じゃない! だれがそんなものやるかと思っていた一郎。即座に拒否の姿勢を示そうとしたがそこへスバルが耳打ちをする。
「待てイチロー、どうしてお前がやることになってるのかわかんねーけど、これはチャンスかもしれん」
「ど、どういうことかね? スバルくん」
「将を射んと欲すればまず馬からって言うだろ? つまり、まずは瀬川だ。瀬川と行動をともにすれば自然と勝鬨橋もついてくるってことだぞ?」
「スバル、お前ってなんなの? 天才なの?」
スバルは返事をせずにどや顔だ、その笑顔に目で感謝を送り、一郎は黒板に向き直って答えた。
「俺、フィールドワーカーになります!」
これこそ、千本木一郎の人生を変えた決断だったのだ。くどいようだが、良い意味でなのかはわからないのだが。
勝鬨橋さんと千本木くん。~竹原田恭子28歳の事件簿~ 池面太郎 @sakamoto
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