2 太陽神アリスとthe princess of darkness 愛理

二年F組の教室は新クラス特有の自己紹介イベントを追え、一息ついたところである。

 一郎は上機嫌だった。もちろん、HRが終わって午前中のスケジュールが終わり、昼休みになったばかりだというのに後ろの席で早くも弁当をかき込んでいるスバルと同じクラスになれたからではない。もちろんそれもないではないが、一郎の関心は専ら先ほどのHRの時間に保健室から戻った一郎の女神、勝鬨橋アリスだ。出席番号順に並んだ暫定席だが彼女の席は教室の入り口側から二列目、一郎の席の右隣の列の前から三番目だ。一郎の席はといえばつまり入り口から三列目の後ろから二番目、縦に二席挟んで右斜め前にアリスがいるという、変態的な言い方をすれば好凝視スポットだ。

 見ればアリスは鞄から弁当とペットボトルのお茶を取り出しているところだった。そして、ああ、なんということだ――

「これっくらぁいの♪ おべんとばっこにっ♪」

 眩しすぎる笑顔で陽気に歌いながらこちらに近付いてきたではないか。一郎の目の前に迫る太陽、勝鬨橋アリス。一郎には真夏の日差しのように目を焼く光だった。

「あ~いりぃ~! 昼飯にしようぜっ!」

 言いながらアリスは一郎の前の席に座る瀬川愛理の机にドンと意外に可愛げのない白一色のシンプルな弁当箱とお茶を置いた。

「……カッちゃん、ごめんね。私、今日お弁当忘れちゃった。すぐ購買で買ってくるから」

 眩しい笑顔を向けられている瀬川愛理という少女は、明るくて快活なアリスとは対照的に少し地味で、悪く言えば暗い。日本人形のように真っ黒で長い前髪が表情を隠していて、そう、例えるなら一昔前世間にトラウマを植えつけたホラー映画、テレビから出てくるアレな人のような感じだ。そして話し方もボソボソとしていて、なんと言うかこう、陰気なのだ。アリスの邪なものは根こそぎ消失させてしまいそうな輝きを放つ笑顔の前では呪いの言葉を吐きながら退散してしまいそうな存在のようだがしかし、意外にも瀬川は強烈なアリス光線の光量に動じることもなくスラリと立ち上がると出口に向かって歩き出した。

「えー! 腹ペコな私を待たせるっていうのかい? 酷いぜ愛理~」

「じゃあ、先に食べてて、五分で戻るから」

「ぐぬぬ、仕方あるまい! 三分間待ってやる!」

 ごめん、と申し訳なさそうに下を向いて瀬川は教室を出て行った。どうやらアリスと瀬川愛理は見た目は対照的だが相当に仲が良いようだ。そういえば始業式の後、鼻血を出したアリスを保健室まで連れて行ったのは瀬川だったように思う。

 さて、一人取り残されたアリスはというと、しばし弁当箱を見つめて口を接ぐんでぐぬぬとやっていたが、唐突に顔を上げると一郎の方を向いた。

 ドキリと心臓が高鳴る。いかん、目があってしまった。凝視していたのがバレてしまったのだろうか。

「千本木一郎くん、だったよね?」

 何を言われるのだろうとドキドキしていた一郎。というか名前、知っていてくれたのか。

「あ、ああ、……そ、そうだけど?」

 焦りからか、ぶっきらぼうに返してしまった。一郎は基本的に女子と話すときはそうなってしまうシャイボーイなのだ。さらにその相手が意中の勝鬨橋アリスであればなおのことだ。

「ああ! そうだよね! すばるんがたまに千本木くんの話をするんだけどね、私と同じで苗字が珍しいなって! 仲間だねぇ、苗字珍しい仲間!」

 それはあまりにも唐突な女神降臨の瞬間。

 すばるんって、スバル? ってか仲間? 俺が? oh、ナカーマ? あの勝鬨橋アリスの? っていうか、何だ俺、今勝鬨橋と喋ってる!? マジか! 

一郎の頭はそんな嬉しさと恥ずかしさで思考ともいえない思考を巡らせるので精一杯。完全に舞い上がっているのが自分でもわかるのだ。

「あ、っていうか私の名前なんか知らないか! ごめんごめん、私ね、カチドキバシアリスって言うの、珍しいっしょ?」 

「し、知ってるよ。さっき自己紹介の時聞いたし、お、俺も、たまにスバルが話すから」

「えー!? まじまじ? 私のこと知ってるの? ちょっと嬉しいかも!」

 う、嬉しいって? 俺が名前を知っていたのが? そりゃこっちのセリフだ。勝鬨橋が俺の名前を知っていたって? それホントに俺か? あとで「へぇ、あんたもイチローって言うんだ」とか言ってロックなカッコしたイケメンか元メジャーリーガーが話しかけてくるとかじゃないの? 千本木(センボンギ)なんて苗字は滅多にいないけどな!

「へいへーい! ところでそのすばるんは私が近くに来ているというのになぜお弁当に夢中なのかにゃ? 私は愛理に見捨てられて昼が食べれないんだぞー! 相手しろーい!」

 唐突に声をかけられたスバルは弁当から顔を上げると、げんなりとした表情で、

「おー、鼻血女。今年もよろしくなー」と面倒くさそうに言った。

「おいおーい、そりゃないぜすばるーん。まったく嬉しそうじゃないじゃないかぁ」

「お前のテンションにはついていけん。今日からお前の相手はほれ、お前と同じ鼻血族の千本木一郎が立派に勤め上げてくれるから」

 言うとスバルは再び弁当の残りを口にかっ込み始めた。

「おぉ! そういえば千本木くん、始業式の時は鼻にティッシュ詰めていたね! なかなかスタイリッシュだったぜぇ。ちなみにそのスタイル私とお揃い! 実は私もさっきまで詰めまくっていたんだよ」

 あはは、と陽気に笑うアリス。

「でも千本木くんよ、私はさっきのを含めて今日二回の鼻血を流している。この意味がわかるな?」

「意味……とな?」

「ああそうだとも! レベルが違うってことなのさ! 私のこの溢れる熱血が止められなくて出てくる鼻血は闘争心の発露なのであるぞ! 鼻血の道は闘いの道! 君についてこれるかい!?」

「あ、いや、俺はいいかな、あんま血がだらだら出てると制服汚れるし、貧血とかなるとあれだし」

「俺も鼻血は勘弁だわ、部活で力でねえとかなったら笑えねえ」

「あは! だぁよねー! 私出やすいからさ! 結構フラフラっとしてる時、あるね! でもね、授業がサボれちゃうときもあるから結構得かもなんてね! っと、愛理が帰ってきた! 千本木くん、すばるんもまたねー!」

 くるりと向けられた背に「お、おう」とどもりながらなんとか返す一郎。アリスは瀬川が席に戻ってくると「お土産はー?」と言って瀬川の持った購買の袋からミニクロワッサンを取り出して食べようとしたところを瀬川に防がれ、ぐぬぬといって自分の弁当箱を開いた。

 どこまでも明るく、無邪気。そんな印象。生の勝鬨橋アリスは一郎が初めて見たときから抱いていた印象そのものだった。

「おい、一郎」

 弁当を本当に旨そうに食べるアリスに見とれていた一郎に後ろから声がかかる。もちろんスバルだ。

「どうよ、俺、ナイスアシストじゃね?」

「スバル、貴方には感謝しています。この施しにはいつか、必ずや御返しを」

一郎の顔面はまるで、地方の悪政から経営難に陥った孤児院を知恵と勇気と自身の僅かな蓄えでなんとか切り盛りしていたシスターが足長おじさん、もとい足長イケメンに子供たちの食糧と幾ばくかの運転資金を支援してもらったかのような表情だ。

「ふふふ、そうだろう? なかなかいい感じだったぜ」

「そ、そうかなぁ」

「けどお前、どもり過ぎだぞ。キモ」

「わかってるよ!」

 なかなか妄想どおりには行かないものだと思う、一郎であった。

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