悪夢の予兆〜前編〜
だが、どうやって解決すれば良いのだろうか…?
航介が悩んでいると、扉の向こうから自分を呼ぶ声がした。
「航介ー?入るよー」
一希はノックもせず、宣言するだけして航介の部屋に上がり込んできた。
「一希さん?せめて俺の返事くらい聞こ?」
「まあまあ、そう堅いこと言わずに飲もうよ?」
今日のお土産は発泡酒2缶とカップ酒2瓶。この2人は割合お酒には強い方なので、普段ならこの程度ではほぼ酔わない。
「それにしても、光希はあまり酒飲まないなー?」
一希と光希は双子と言っても二卵性双生児。だから、見た目も違うし体質も違う。ただ、声がとても似てるので声だけで判断するのはとても難しい。
「まあ、あいつが飲まないおかげでドライバーになってくれるけどなー」
「でもたった1人の弟なんだからむやみに使うのはやめてやれよ」
わぁかってるよ〜、と一希にしては珍しく酔っ払いながら返事をした。
「んで、相談ってなんだ?咲のことか?」
「おい、当てんの早過ぎだろ。心の準備が出来てない。」
航介は仏頂面になりながらうつむいた。
「俺さ、咲に告るの前倒ししようかな」
「何故に?」
「今までは特別議官になってから告ろうと思ってた。でも今の情勢で余裕ぶっこいてられるか?」
ただでさえ国際情勢が緊迫している近年。今回の模擬会議もそれが影響している。
「にしても、情勢とお前の告るタイミングは何の関係がある?」
「今の時点で既に仕事が相当大変なのに、これ以上情勢が悪化したらもっと大変になる。そんなことになったらタイミング失うだろ?それなら早めに砕け散った方がマシだ。」
「砕け散ること前提かよ。まあ良いんじゃねーか?咲は多分OKしてくれるだろ。」
「さすが恋愛の先生。橘航介、頑張りまーす。」
「最初の恋愛の先生はいらねーよ。せいぜい頑張れ。」
んじゃそろそろ俺帰るわ、と一希が扉の方へ近づいたその時。
「先生もリベンジしたら?お似合いだと思うけど?」
「先生じゃねえ…」
と苦笑しながら一希は部屋を後にした。
__________________
咲ら6人がそれぞれの部署で研修を始めてから数日、彼らは食堂で楽しく昼食を取っていた。
数分後に重大なニュースが飛び込んでくることも知らずに…。
「美奈?桃、まだー?」
「まだみたいよ。看護部はシフトの調整が難しいからねー」
「早く来ないかなー」
咲は視線を下にして寂しそうにしていた。
「それより咲、早くご飯選びに行かないと無くなるよ?」
「あー!私のカツ定食!」
「お前、いっつもカツ定食食ってないか?やっぱりそれ以上太る気だろ。」
航介は咲を見て笑う。そして咲は女子とは思えないほど眉間に皺を寄せ、みるみるうちに顔が仏頂面に。
「なによ、航介の分際で。」
「咲さん酷い…」
眉を下げ口もへの字にして航介はしょんぼりとした。まさに“ショボーン”の言葉をそのまま顔に表したようだ。
「てか、何で綾川っていつもカツ定食なんだ?」
「本当だ、俺も気になってた!」
「えー?別にいいでしょ?願掛けとして食べてるだけだし。」
いちいち煩いよー、と咲は鬱陶しがりながら食券機に並びに行った。
「ねえみんな、あれ見て‼︎」
美奈は食堂のテレビを指差した。
「これはいよいよ大変な事になってきたな…。」
「なんでまたこんな…。どういう事よ…。」
彼らのもとに飛び込んできたニュースとは…。
『中東で内戦勃発』
「やっと議会で話し合いが始まるのになにこれ?」
「あと何回起きんの?10年前に人間滅びるくらいの戦争終わらせたばっかりやん。」
咲は、
「こいつ、頭から湯気でるだろ?」
というくらい顔を真っ赤にして怒っていた。それもそのはず、戦争は咲にとって不幸の元凶以外の何物でもなかったからだ。
「また戦争とかふざけとん?もう戦争なんてせえへんって決めたやん。なんで10年前に終わらせたことを蒸し返すん?」
咲は怒ったら関西弁をマシンガンのように口から発する。これは昔からの癖だ。
「咲、落ち着け。お前が怒った所で今の状況は何一つ変わらない。だから、とりあえず上の指示を待とう。」
「指示を待つことしか出来ひんとか、何のための議官やねん。感情だけで行動するんは良くないのはわかっとうよ?でも、待つだけの為に議官なったんちゃう。航介、会議室行こ。」
「えっ!ちょ待っ」
「お願いやからみんなは取り敢えず自分の持ち場に戻っといて!」
そう言って咲は食堂中から集まる視線を完全に無視し、定食のトレーを下げて食堂を後にし、上司が集まる会議室へ向かった。
「おい、咲!」
「なに⁉︎早よして!」
二人は食堂から各部署へと繋がる大廊下を走っていた。
「お前さ、ええ加減感情だけで動くんは止めろ。一応俺と咲はこの学年の代表、ましてや最高学年やからこの国議大の学生代表や。お前の勝手な行動でもしも悪い方向へ行ったら他の学生も巻き添えになるかもしれん。それを良い加減分かれ!」
「…うん。」
「今回の騒動は前代未聞やから、これから何が起こるかわからん。だから、頼むから俺が止められへんような動き方はせんとってくれ。」
お願いやから、と呟き航介は視線を落とし、再び咲と目を合わせた。
「ごめん…。でも、やっぱり動かれへんのは嫌なんよ。これ以上戦争で人が死ぬのは嫌なんよ。代表やからこそ、うちが動かなあかんの。」
行くで。とだけ言って咲は再び白い床の上を走って行った。それを追いかけるように航介も走り出した。
咲と航介は上層部に指示を仰いだ。しかし具体的な命令が出される事はなく、出された命令は、
「全隊員は14時に大ホールへ集合」
という召集だけだった。
この命令は館内放送、及び隊員らの携帯やPHSにも連絡された。
一希と光希と美奈は館内放送で、桃香は医局用PHSで連絡を受けた。桃香以外は自分の持ち場を離れ、とりあえず特別議官事務所に集まった。
「ねえ、そもそも何でこんな事なったん?」
「情報部で調べてみたけど、WW3でイスラエル、ヨルダン、シリア、サウジアラビアの一部だったとこを一つの国としてまとめて、政治をイギリスに任せたじゃない。あれへの反発が強すぎたみたいよ。」
「例の三枚舌外交の影響?」
「そう。イギリスが同時に『バルフォア宣言』と『フサイン・マクホマン協定』って言う矛盾する約束をしたから、結局両方とも実現されることはなかった。そのせいで百二、三十年もの間紛争が絶えなかったわけ。」
中東の領土問題はWW1後から始まる。イギリスの三枚舌外交はWW2後も中東戦争が頻発していた元凶のうちの一つでもある。
「てか、イギリスはそもそも約束守るつもりなんてなかった訳やしフランスとも裏で繋がってた。それやのに責任問われなかったんやろ?なんかむっちゃ腹立つねんけど。」
「WW1の時は責任追及とかはされなかったからな…。」
「てか、騙された二国もかわいそうだね。」
「ところでお三方、なんでそんな難しい話してんの?」
最初から話に着いて行く気などない和田兄弟は事務所横の給湯室で三人のコーヒーを淹れていた。
「そんな難しいこと、なんで知ってるんだよー」
「あんたら、ちゃんと学校行ってたよね?この範囲は中学で習ったはずやで?」
「咲、こいつらの弱点を思い出せ。」
航介はクスクスと笑いながら二人の方を見る。
「あ、あんたら社会あかんかったね。しかも世界史、世界地理とか酷かったもんねー。」
「おい綾川、だまれ。」
二人はむすっとして自分の椅子に座った。
「桃、大丈夫かなー」
桃香は一人シフトの移動が出来ず、召集も看護部の方に組み込まれた。
「どっちにしろ終われば会えるでしょ。咲って本当に桃の事好きだねー。」
「そりゃこんな時に離れ離れになったら怖いやん…。ましてや、あの桃やで?」
「まあ、桃だもんねー。あんだけふわふわしてたらいつか飛んでくんじゃない?」
「勝手に飛ばさんといたってよ。」
束の間の休息に咲と美奈は和やかに会話していた。
「ゴホッ!ゲホゲホッ!!」
「ちょっと!どないしたん⁉︎」
「まっずーーー!誰や俺のに大量のインスタントの粉入れたん‼︎」
航介のカップを見てみると明らかに濃い色をして光っているコーヒーが入っていた。
「俺だよー、一希だよー。」
満面の笑みを浮かべた一希は光希のところへ逃げた。
「お前、次の乱取りの訓練の時に絶対投げてやるからな。覚えとけよ。」
うぇ、まずっ。とぶつくさ呟きながら航介は給湯室へ行った。
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「そろそろ良い時間じゃない?」
時計の針は一時五十分を指していた。
「んじゃ、行きますか」
光希の声を合図に他の四人も立ち上がり事務所を出た。
「ねえ咲。さっき橘に大声で廊下で怒られてたの、食堂まで聞こえてきてたよ。」
「え!嘘!」
咲の大声に前の男三人は振り向いた。
「あんたうるさいって!こっちが折角小声で喋ってあげてんのに。」
「え、食堂まで聞こえてたって美奈はさっきの会話は全部聞いてたの⁉︎」
「まあねー。って言っても気になって廊下に出たんだけどねー。」
「良かった…。」
咲はホッと胸を撫で下ろす。
「咲、あんた顔真っ赤よ?そんなに聞かれたくない内容だった?」
「煩いわ!ほっといてよ!」
顔を手で隠しても分かるほど真っ赤になり、プリプリと怒りながら白い床の廊下を歩いて行った。
「なあ、俺らがこんなのに出て意味あんのかよ?どうせ発言権もないのに出るだけ無駄だろ。」
「仕方ねーだろー。どうせ俺らは下っ端なんだからよー。お!あそこに『特別』議官がいるぞ」
その言葉は咲ら五人に向けたあからさまな嫌味だった。この言葉に対して五人が怒らない訳がないが、咲以外は隠し通した。
男二人は咲らと同学年の議官だが、部署が違う為殆ど面識はない。しかし、特別議官候補生はやはり目立たない存在では無かったので、自分の知らないところで有名になっているのは決して珍しくは無い。
男らは咲に詰め寄ってきた。
「あんた達何よ?」
眉を寄せながら咲は尋ねる。
「お前らは良いよな?特別議官候補生だからってちやほやされて。在学中から発言権を持つのもお前らだけ。他の奴らは『特別』なんかじゃないんだよ。」
「それに出るだけ無駄って思ってる奴、俺ら以外にも結構いるんだよなー。お前らみたいにみんながみんな正義感持ってるとでも思ってんのか?」
背の高い方の男は咲に喧嘩を売っているのか…。更に咲に詰め寄り見下ろす。
「あんた、あたしに喧嘩売ってんの?」
「ちょっと止めときなよ。」
流石にこんな男相手に勝てるはずも無い、と美奈は止めに入る。
そこに、ブッチーンと何かが切れる音がした。
「女やからって舐めてたらあかんで?これでもあたし、柔道歴十五年の黒帯やねん。」
「それがどうした?男の俺に勝てるとでも?お前になんか三十秒もあれば十分じゃ。」
ちょっと待ってな。と言って男の身体を三秒程観察した咲は口角を少し上げた。
「美奈?今何分?」
「今はね…、一時四十五分ちょい過ぎくらいかな?」
「なぁあんた?三十秒で沈めるって言ったな?んじゃ道場寄ろ。」
「は?」
流石に男も呆気にとられた。
「当たり前やん。勝てるって宣言したやん。服装はこのままやで。」
またこのパターンかよ…。と他四人は苦笑いしながら咲について行った。
会議前に柔道の試合という異例なことを聞き付けた隊員は観客として道場に入った。
「お待たせ!」
「桃!やっと会えたなー」
「咲、頑張ってー!」
行ってくる!と一言を残して咲は畳の上へと上がった。
先程桃と再会した時の笑顔とは打って変わって、咲は真剣な表情をしていた。
「では只今より試合を始めます。」
「あ、審判。試合時間は三十秒でお願いします。」
「はい?」
「いや、さっき相手の選手が三十秒であたしを倒すって宣言したんで。」
道場中に動揺とざわめきが響き渡る。
「で、では申告通り三十秒で行いたいと思います。よーい、始め!」
審判の合図と共に二人は動き始めた。
流石に三十秒という時間は短いのでほぼ一発勝負だ。
いつ動き始めるのか…。と道場中がと静まり返り、見ている間に咲は華麗な大外刈りを決めていた。
「一本!!」
「よっしゃー!!」
会場は先程とは違った、熱を帯びたざわめきが会場を包み込んだ。
「咲⁉︎あんた、十三秒だよ?よくあんな大男を短時間で倒したわ!」
「咲凄いねー!カッコ良かったよ!」
「二人ともありがとう!」
いくら十数秒とはいえ緊張感が半端じゃなかったせいか、咲の額から汗が滴り落ちていた。
「んじゃ会議行きますか!」
と道場中の隊員に声をかけ道場を後にしようとしたその時、
「おい咲!後ろ!」
「おめぇ、さっきはよくも!!!!」
航介が声を出した時には遅かった。先程対戦した男が咲の背後から思いっきり突進し、咲がよろめいた隙に咲の首を狙った。
「え⁉︎なに!ちょっ!苦し…!」
「おい!あれチョークスリーパーじゃないか⁉︎確か反則技だったはずだぞ?一希、どうだった?」
「チョークスリーパーは気管を圧迫するから反則扱いだよ。てか、早く助けないと危ない!」
光希の危ない、という声より咲に航介が走り出した。
「お前!咲を離せよっ!」
航介が男に殴りかかるも身長差があるせいか、顔まで十分に届かない。
「咲を離せ!」
航介は飛んで男の鼻を殴った。
「痛っ!!」
男が痛がっている隙に咲から男を引っぺがし、畳の端へと移動した。
「咲!大丈夫か⁉︎」
「けほけほっ、大丈夫。大丈夫だから。」
精神的には大丈夫でも、身体が悲鳴を上げていた。咲はそのまま膝から崩れるように倒れ、意識を失った。
「おい咲!起きろよ!」
「橘どいて!桃が診てくれるから!」
「男子は来ないでよ!ってかみんな会議行って!」
と言い、桃香と美奈が咲を道場に併設されてる救護室へ運ぼうとしたが、どう頑張っても二人では運べそうに無かったので、航介に手伝ってもらって咲は救護室のベッドへ寝かされた。
咲はぐったりとしていて、呼吸は速いがしている。脈拍数が高いのが心配だが、そのうち戻るだろう。というのが桃の見解だ。
取り敢えず応急処置は終わったから、と
「光希?さっきのチョークスリーパーの説明もう一回出来る?」
「はいはーい。あの技は気管を圧迫する技だ。最悪相手の呼吸を止めて死に至らせることも出来る。あの男、ひょっとして咲を殺す気でいたんじゃないか?」
「どういうこと?」
気の強い咲ではあるが、流石に殺されるようなことはしていない…。と全員よく分からなさそうな顔をしていた。
「ひょっとすると、咲の両親の事も知ってるんじゃないか?」
「それなら情報部で探りを入れてみるわ。」
絶対暴いてやるんだから見てなさいよ…、と美奈は闘志を燃やしていた。
「まあ、後は看護師よりも先生に任せよう。」
「ごめん、俺ここに残ってて良い?」
「なんで?」
「誰か一人くらいいた方が…。ほら、咲も安心するじゃん?」
「航介にも考えがあるんでしょう?んじゃ後は頼んだよ?」
みんな、行こう。美奈は声をかけ何もせず救護室を後にした。
最後、扉を閉める前に
『頑張れ』
と口の動きだけで言われた事以外は。
_____________________________________
終戦の前々年の冬、私は父と会話をした。この会話が最後になるとは知らずに。
「ねえパパ?」
「どうした?」
「いつになったらきれいな青いお空が見えるん?」
「もうすぐ見えるさ…!」
「そのときはたくさんお外で遊ぼな?」
「そうだなー。咲の笑ってる写真も撮ってやるよ!」
「ありがとパパ!」
「だから、パパが帰ってくるまで待っててくれないか?」
「うん!咲、ええ子にして待っとうよ!」
この会話を最後に父は家を出て行った。出て行った、と言うのは捕らえられたという意味でだ。
そしてその翌年の春、母とこんな会話をした。
「ねえママ?」
「どうしたの?」
「いつになったらパパは帰ってくるん?」
「そうねぇ…。」
「咲な、パパとお約束してん!」
「え?」
「青いお空が見えるようになったらお外で遊ぶんよ!ほんでな、お写真撮ってくれるって約束してん!」
「咲。よく聞いてね。パパは当分帰ってこないの。ママももうすぐいなくなるわ。だからこうくんのお家で暫く過ごして。お荷物はまとめてあるから。」
「なんでなん?また会える?」
「会えるわきっと。だからその時まで大切にこの首飾りを着けておいてね?」
「うん!わかった!」
その時私は気付かなかった。母は涙を流していた。どうして気づかなかったのだろう。
そして航介と一緒に生活して一年半。終戦を迎えた。その頃には父と母が居ない生活に慣れていた。いつかまた、三人で暮らせる事を信じていたからだ。
しかし、残酷にも父と母と再び暮らせる日はこなかった。終戦から二ヶ月、私の元へ一通の手紙が届いた。
それは裁判所からだった。
遺された人々 りるる @miyu1169
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