“精神病”か“否か”の人生は紙一重だ。
誰でも心が折れる時がある。
例えばショックな出来事が起こる。
次に動悸がする。
そして心療内科の扉を叩く。
そして医師の心証により、“不安神経症”という病名が付くか“ストレスによる動悸”という症状が付くか、それは医師の見立てによる。
ここに心療内科の闇が生まれる。
全ての医師が同じ診断を下すことは、内科医でも出来ない。だからセカンドオピニオンは存在する。
ましてや精神科医などという目に見えない心の領域を的確に判別することは、私は現代医学では不可能だと思っている。
“心の鎧”という描写がある。
かつては“心が弱い人が精神病になるんだ”と私も思っていた。
現実は違う。
生活環境が非常に重要だと思う。
そして、全ての人間は“弱い”ものだと思う。
また逆に全ての人間は“強さ”を持ち合わせている。
ようはバランスの問題だ。
だからといって、精神病の人を私は差別しない。
上記に挙げたように、現代の精神科医学はまだまだ発展途上であるから。
明日。自分がそうならないとは確証はない。
しかし、
だからこそ、今日という日、一日を大切に輝くべきだと思う。
“今日という一日は、誰かが生きたくて生きたくても生きることが出来なかった一日である”
年間、三万人の方が自らの命を絶つ時代。
しかし、その辛かった経験は、きっと誰かの役に立つ。
そう、この小説のように。
誰かに何かを言われた時、自分に何かがあった時、
それを
“受け入れる”か“受け止める”“受け流す”か、その情報を客観的に分析出来る心の力があれば、少しでも悩む人は減ると思う。
ただそれも出来なくていいと思う。
全ての人が幸せな人生を歩んで欲しい。
せっかく生まれてきたのだから。