第37話 宮殿にて(後編)

「あれがスウェーデン国王、オスカル・グスタフ・アドルフ、グスタフ五世陛下か。渡航前に見た資料の写真より随分と若く見えるな。」


 新村はそう言いながらパンを頬張る。

 この男はどんなところにいても変わるということを知らない。

 吉永のように組織の中にいてこそ満足に生きることが出来るという男とは、人間としてのつくりが違うのだろう。


 そんなことを思っていると、左耳にはめている完全ワイアレスのヘッドセットに通信音が入る。

 はめているのがわからないように肌色に偽装されているこのヘッドセットは耳栓のような形状だが、しっかりと小型マイクを搭載しており、周囲に気取られないように自然な形での通信が可能だ。


「少佐殿、こちらのモニタリング状況は良好です。しかし、戦時中だというのに流石は中立国。旨そうな料理がありますねぇ。俺も王宮に行きたかったっス」


 通信を通じての軽口に、吉永は思わず舌打ちしそうになる。

 交信しているのは同じく潜水艦渡航組の隅田幸作中尉である。須永も駐在武官の身分が与えられているが、今回の王宮への参内には加わっていない。吉永たちが市内に借りたアパルトメントの一室で待機しながら情報分析とバックアップを行う手はずになっている、


「万年筆型カメラの感度は良好。顔認証システム並びにこの時代の人物のデータベースとの照合システムもきちんと動作しています。誰一人として逃しはしませんよ」


「きちんと仕事はしているという訳だ。この作戦の効果を測定するためにも、データの収集と解析は欠かせない。しっかりやってくれ」


「アイアイサー。それでは早速、それとなく会場を一周してください。もちろん、自然な形でお願いしますよ」


「無理を言う。だがまあ。やってみるさ」


 吉永は内心で緊張感のない隅田の声に僅かな苛立ちを覚えつつも、新村と小野寺に一言断ってから会場を横断するように歩き出した。


「大物揃いですね。右前方で談笑している軍服の男はヴァルター・シェレンベルク。ナチス親衛隊の情報機関、SD国外諜報部に所属するスパイマスターっス。前の歴史では先程の小野寺信少将とも親交があり、連合国との和平工作に従事した人物であります。」


「よし、続けろ」


 吉永は壮年の給仕からワイングラスを受取りながら、さりげない笑顔を浮かべる。

 その仕草はこの時代の誰もが抱くスマートな海軍士官の幻想に沿うものだった。


「その右奥のテーブルにいる連中の真ん中にいるのはアンドリュー・オルソン。そのクソムカつくイケメンが英国大使館員にして英国秘密情報部、MI6の諜報部員です。ああ、その奥のテーブルでウォッカみたいなのをあおってる髭面がワシーリエフ・ロジェストヴェンスキー。ソ連国家保安委員会所属KGB。大使館員の肩書は持っていますが、青年時代から反共主義者を血祭りに上げてきたバリバリのチェキストにして拷問大好きなサディストさんだそうで。戦後の西側での愛称コードネームは『カチンの青髭』。うわぁ…おっかねぇ爺いだな」


 バリバリと何かを噛み砕く音がするのは、近所の菓子屋で買い込んだ「ペッパーカーカ」とかいうジンジャークッキーだろう。隅田というのはいつも菓子を口にしているような男だ。そのわりには太る気配がない羨ましい体質である。


「こちらで情報を撒いていたとはいえ、盛況だな。これで少なくとも各国の上層部には『情報』が伝達される訳だ」


「問題は一般庶民にまで情報が降りていくか、ですがね。まあ共産国はともかく、民主主義国家でも戦時下で情報統制が行われているでしょうから…」


「そこから先は俺達の仕事ではないさ。ここでやるべきことをやるだけだ」


「正論ですな、それでは、私も仕事をするとしましょうか。ちなみにそこの広間の隅の大きなテーブルを占領しているのがアメリカ大使館の連中です。大使館員のグレゴリー・ホプキンスくらいですかねえ、あからさまなのは。典型的なWASPのサラブレッドで戦略情報局OSSのエージェントです。我々の持つデータではあまり目立たない人物ですが」


「我々が積極的に工作したとはいえ、よくもまあここまでの連中が集まったものだ。いかに中立国の王宮とはいえ、敵国同士が」


「敵国同士、だからでしょう。敵国が何を考えているか知りたいのはどの国も同じということですよ。」


――まあ、そういうことだろうな。


 同じ中立国であるスイス大使館の領事に話しかけられ、ひそひそ話を打ち切って英語で挨拶を返しながら、吉永は思った。


 平成日本が進めてきた周到な情報工作は、今ここで準備の時期を終えて、「攻勢」の時期に移ろうとしている。結果はともあれ、おおげさに言えばこの地球の歴史は元の世界のものとは大きく変わる。

 だが、それはある意味で必然だ。


「我々が持っている未来の技術はこの世界にとって劇薬だ。扱いを間違えればこの国どころか人類そのものを滅ぼしかねない。今でこそまだ世界の誰もが半信半疑だが、もし我々の技術が真に世界を革命しうるモノだと知ったなら、それを独占するための第三次世界大戦が起こりかねない。そして、我々は今戦争の只中にある。いずれ、戦争が激化すれば必ずその技術レベルはバレる。


 だからこそまず対米戦争を終わらせる。世界最強の国家を敵国から同盟国へ変えるのだ。それが出来なければ、日本という国家と大和民族は消滅する。」


 この情報工作作戦「まほろば」の立ち上げ会議の席上で演説をぶっていた奇妙な少女の姿を思い出す。 あの時は二十歳にもならぬ少女の戯言として聞き流していたが、今となってみれば彼女の言葉は重く感じられてくる。


 この作戦どおりに行けば、――当面は目の前の戦争を戦わねばならないとしても――いずれ世界は争って日本の未来技術に手を伸ばしてくるだろう。 

 

スイス領事との会話を終えたあとも、いくつかの国の武官や外交官に挨拶まわりをしつつ広間を巡る。戦時中のささやかなパーティというわりには、主要国の大使館が誰か一人は顔を出しているようだった。


 腕時計に目をやると予定時刻になっていた。新村の方に目をやるとすでに準備に入っていた。広間の壁には映画のスクリーンのような白い幕が吊り下げられている。現地調達での制作のためによく見れば継ぎ目がはっきり見えたりもするが、映画を上映する訳ではないから問題はないだろう。


―この場面が将来映画として上映されるような日が来たりするのかもしれないな。

 そんな益体もないことを考える。


「ドローンからの映像を確認しました。念のため王宮周辺の警備状況を確認しましたが、今のところこちらを妨害する動きはなし。衛星伝送システム、音響設備ともにオールグリーン。予定通り行けます」


「作戦終了まで、緊急事態を除いて通信は切っておけ。」


「了解。それじゃ作戦終了までだんまりを決め込みますわ。バックアップはおまかせ下さい」


 いつもどおりのお気楽な隅田の声に、吉永は内心で苦笑しながら新村たちと再度合流すべく足早に広間を横切っていった。 


「さて、宴もたけなわではあるが、少しお時間をいただこうか。ニホン大使館の皆さんがちょっとした『余興』があるということだ」


 国王の威厳に満ちた声に、談笑のざわめきが止まる。

 同時に広間の電灯のいくつかが落とされ、そこを見計らって新村は白布をかぶせておいたプロジェクターの電源スイッチを入れる。

 プロジェクターが壁のスクリーンに投影したのは、首相官邸の首相執務室だった。執務机に座っていたのはやや緊張した面持ちの桐生首相だった。


 広間の四隅に設置された小型スピーカーから、意外なほどの高出力で音のビームが拡散する。


「スウェーデン国王グスタフ五世陛下、お初にお目にかかります。日本の首相、桐生正尚と申します」


 大写しになった日本の首相の姿を見て広間は騒然となる。


「こんばんは、でいいのかな。ニホンの首相殿。いかにも私がスウェーデン王グスタフ五世である。だが、私の記憶が確かならばニホン帝国の首相はトージョー殿だと記憶しているのだが」


 グスタフ五世は少なくとも表面上はまるで驚きを示しておらず、電話で話しているかのような印象を与える口調だった。プロジェクターの脇に設置されている集音マイクは、グスタフ五世のバリトンボイスをしっかりと捉え、ノートPCで処理された音声信号は地球の裏側の日本へと衛星回線を通して伝えられる。


「馬鹿な。日本とこのストックホルムとで何千キロもあるというのに。」


「あらかじめ収録されたものだろう。とはいえ、フィルムのリールが見当たらない。本当に映写機なのか」


 大使や武官たちは疑念に満ちた目を、奇妙な映像を投影している見慣れぬ機械に向ける。


「いやいや、各国の大使や武官がお疑いの目で見るのも無理はない。しかし、我が国の技術でならば日本とストックホルムの間で音声だけではなく、映像も交えての相互同時通信が可能なのです」


 新村は胸を張って自信たっぷりに言い切って見せる。吉永は首相と国家元首の会談中に割り込んで見せる新村の図太さに呆れを通り越して笑いがこみあげてくるのを顔に出さないように苦労していた。


「私は第99代の日本国首相です。東条英機首相は私が就任する70年以上前の第40代の首相です。にわかには信じられないでしょうが、私はこの西暦1942年の世界ではなく2020年の人間なのです。」


 それから桐生は簡潔に時震のことを説明した。

 各国の大使や武官は呆れた顔をする者や失笑をこらえている者、あるいは困惑を隠せない者まで様々であった。


「まるで空想科学小説のような話だが、私はニホン人がその手の冗談や戯言を好まない人々であることを知っている。まずはそれが事実として話を進めよう。首相殿、貴国がわざわざこのような手段を取って公開の場で会談を申し込んできた用件なのだ。よほどの用件なのだろう」


「このような不躾なお願いにも関わらず真摯な対応を有難うございます、陛下。非礼を承知でお願い申し上げます。現在不幸なことに日本と連合国は戦争状態にあります。しかし、これは1942年の日本と連合国との戦争であり、我々2020年の日本と1942年の連合国が戦う理由はありません」


「なるほど。そう貴国が思うのも無理はない。だが戦時の連合国にそれを信じてくれというのも無理がある。朕とて心底から信じているわけではない。この映像通話を見て、ようやく聞き入れる余地があると判断しているまでだ」


「残念ですが、当然のことです陛下。それに納得していただくには相応の『証拠』が必要となりましょう。ですが、日本が平和を求めて無条件に停戦交渉のテーブルに着く用意があることだけはまず示しておきます。

 交渉のたたき台として日本が提示する停戦交渉の提案条件は、一つ日本が1941年12月8日以降に占領したすべての領土の放棄、二つ連合国に与えた損害に対する賠償金の支払い、三つ日独伊三国同盟の即時撤廃であります。


 逆に日本側の連合国への要求は、一つ民族自決権を理由とする連合国各国のアジア植民地、英領インド、マレーシア、ベトナム等のアジア植民地諸国における高度な自治権の承認、二つ満州国の承認、三つ国際連盟を改革し国際紛争解決機関、四つブロック経済の撤廃と自由貿易の推進のための多国間貿易条約締結であります。」


 桐生首相が読み上げた条件に広間のざわめきは最高潮に達する。


「なるほど、貴国の提案は了解した。だが、あまりに無欲な要求であるな。貴国は領土を得るどころか賠償金を払う。そして植民地諸国が自治権を得ても貴国は名誉は得ても利益どころか連合国の恨みを買うだけだろう。」


「いえ、我が国はそれ以上の利益をあげるつもりでおります。国際的なルールに基づく自由貿易と、自治権の拡大による植民地諸国の購買力増強が実現すれば我が国の製品を輸出できる巨大な市場が出現します。優れた技術と人材で製造された我が国の製品はこのスウェーデンの市場すら圧倒することになりましょう。」


「ほほう、貴殿がそこまで言う貴国の製品とやら。一度購入してみたくなったぞ」


 グスタフは血統による魅力というほかない、快活な笑顔で笑って見せる。 


「自由貿易の下では植民地などというものは過去の遺物となりましょう。植民地を経営するよりも、彼らに製品を購入する消費者になってもらうほうが儲かるのですからね。優秀な人材の多い貴国スウェーデンにも我が国の企業が工場を建設し、北欧諸国へ自動車をはじめとする製品を供給するなどという未来もあり得ます。我が国が貴国の経済発展に未来の技術で貢献することをお約束します」


「フフッ、面白い。貴国の無欲に見えてなんと強欲なことよ。良かろう、このスウェーデン王たるグスタフ五世が貴国の停戦交渉の仲立ちをすることを約束しよう。だが、あくまで我が国は交渉のお膳立てをするだけだ。それから先の交渉は貴国の外交力にかかっている」


「重々承知しております。それではさきほどの話に出てまいりました証拠の一端をお見せします。これからお見せする映像は我が国の首都東京から千数百キロ離れた孤島硫黄島の映像であります。

 言うまでもなく、硫黄島は東京都小笠原村に属する紛れもない日本国の領土で、現在アメリカ軍の攻撃を受けております。」


 次の瞬間、映像が切り替わる。

 耳を聾する艦砲射撃の轟音が轟き、アメリカ軍の水上打撃部隊による整然とした射撃の光景が、アメリカ艦隊の上空からのアングルで映し出される。

―おそらく無人偵察機ドローンからの映像だろうな。


 吉永は予想以上の映像と音響の迫力に驚いていた。


 9.1チャンネルスピーカーとそれに接続された立体音響サラウンドシステムは、十分以上の威力を発揮していた。わざわざ苦労して日本から持ち込んだかいがあったというものだ。


 事実、映像だと頭では分かっているにも関わらず、その場に頭を抱えたまま崩れ落ちる外交官の姿も一人や二人ではなかった。

 映像は艦砲射撃のシーンから、次第に輸送艦が接岸して兵士を上陸させていく情景へと映っていく。


 誰もがその映像に釘付けとなっていた。


「この映像は録画ではありません。まして、特殊撮影技術を用いた虚構でもありません。今この場に伝送されてきている、今現在の映像です」

 吉永の言葉に、誰かが唾を飲み込む音がやけに大きく響く。


――今この場で確かに歴史が変わりつつある。この映像を見た人間の衝撃は必ず全世界に拡散する。それがこの「二度目の世界」にとってどんな結果をもたらすのだろうか。


 戦慄に似た思いが全身を駆け巡り意味もなく駆け出したくなる衝動を抑えながら、吉永は映像の衝撃に打ちのめされている人々を眺めていた。

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