第168話 戦略偵察局画像解析部
衛星軌道上の偵察衛星から撮影された画像データを24時間体制で解析し、情報として使えるようにするのが任務である。
終戦後になっても、画像解析部は縮小されるどころか人員の増強が図られている。
日本が地球規模で各国の軍事情報を把握する必要に迫られているからだった。
『一度目の世界』と違い、アメリカの『下請け』としてではなく、自国の安全保障を自前で達成するための情報が必要となったからだ。
中でもより慎重に、人員と時間が投入されているのはソヴィエト連邦を担当する
「秘密都市『RT-231』の画像です。またロケット生産工場が新設されています」
プロジェクターから投影されている白幕の画面にレーザーポインターをあてながら、第三班班長となっている
「こちらの画像では工場から引き出されるロケット本体が見えています。おそらく、ドイツのV2ロケットのコピーであるR1ロケットに相当する機体と思われます」
「ドイツ国内のフォン・ブラウンをはじめとしたロケット技術者は、ソ連国内の秘密都市に移送されているそうだけど。これは彼らの産物、というわけね」
画像解析部長の
この会議は、不定期に行われる各班の報告会議だった。
各班の責任者から個別に情報解析の結果報告を受け、今後の解析方針を決めることになっている。
この殺風景な会議室内ではいささか浮いて見える、体格が良く活発そうな外見の彼女は憂鬱そうな表情を浮かべる。
実のところ、まだ三十代前半の南方は楽平より年下だが、人物としての迫力で大きく負けていた。村役場の係長といった風体の楽平は、いささか押しのきかない風采の男だったからだ。
「つまるところ、『一度目の世界』におけるアメリカの『ペーパークリップ作戦』のようなものね」
『ペーパークリップ作戦』は、アメリカが崩壊したドイツから、ドイツ人物理学者、ロケット技術者を自国に
その象徴が、ロケット兵器V2号を開発し、戦後アメリカで月ロケット開発を主導したフォン・ブラウンだ。
ソ連側も同様の作戦を行い、多数の技術者を自国に連れ帰っている。
「まさにそれです。『一度目』では英米軍を含む連合軍がヨーロッパへ上陸、米国とソ連の科学者を奪い合いましたが、この『二度目の世界』ではソ連軍がドイツの技術者を総取りしています。ソ連のロケット技術が想像以上に進んでいても、おかしくはありません」
楽平の報告に、南方の渋い顔がさらに渋くなる。
「この件に関しては、引き続き解析を続け定期的に報告を寄越すように。次は、秘密都市『NT1』に関してリポートを」
「この都市は急ピッチで実験施設や研究所、工場等が建設されていますが、著名な物理学者が集められています。カール・フォン・ヴァイツゼッカー、ヴェルナー・ハイゼンベルク、ハンス・ガイガー…そのどれもが、ドイツの反応兵器開発に召集されていた科学者たちです」
「たしか、ソ連にはマンハッタン計画の情報が漏洩していたのだったな」
「はい、ルーズベルト政権下で進められたマンハッタン計画には、ソ連側の協力者が数多くいました。この『二度目の世界』でも、多くの設計図や技術情報がソ連にもたらされていると思われます。
「つまり、こちらも『一度目の史実』よりも早いスピードで開発が進められる可能性が高い、というわけ。まったく、楽しくなってくるわね」
南方は女性的魅力-というにはけれんみが多すぎて、いささか人を選ぶ種類のものではあるが-溢れる、皮肉げな笑顔を浮かべる。
楽平はこの人は面倒ごとが大好きという悪癖がなければ、もっと出世していてもおかしくないんだがな、と心中でつぶやく。
「つまるところ、彼らはいずれ時間さえあれば、
ろくでもない言葉を好むというのも、この南方という変人の悪癖の一つだった。
この戦略偵察局において
画像解析部の気風として、常識や前例にとらわれない思考を促す意味でたいていの発言は(仕事に差し支えなければ)黙認される傾向にあったからだった。
「ま、まあそういう事になるかと思われます」
「分かった。引き続き、これらの施設については最重点目標とします。なお、同種施設の建設が確認された場合も速やかに報告を」
「了解しました」
「それで、先日報告のあった『トラクター工場』はどうなったの」
南方の質問に、楽平は心の中で嘆息する。
トラクター工場とは、戦車生産を行う工場の事だ。
平時において農業用トラクターを生産する工場は、生産ラインを修正することで戦車生産に切り替えることが出来る。ベルサイユ条約で兵器生産を制限されたドイツは、トラクター工場を戦車生産施設の隠れみのとして利用したのである。
ソ連にしてもスターリングラードのトラクター工場で、数多くの戦車が生産されたことは有名であった。
「戦車工場ですね、了解しました」
楽平はあえて言い直すと、ノートパソコンに無線接続されているトラックボールを操作して資料を表示させる。
「こちらの衛星写真を見てください。ハリコフ、キーロフスキー、そしてドイツのドルトムント工場の写真です。三ヶ月前の写真と比べても、主力戦車『T-34』の増産体制が取られております。戦争が終結してから三年以上経過しているにもかかわらず、です」
「型番は?」
「おそらく1946年型、つまり85型です。新型のV-2-34エンジンに換装したタイプですね」
「生産台数の総量はどれくらいになる?」
「あくまで概算ではありますが…各工場の合計でおよそ年間三千両前後に達するかと」
「航空機の生産は?」
「ソ連国内に関してはほぼ先日の報告書通りですので、詳細は省略します。概略としては戦時中と同じペースでの生産が続けられております。ジェット機などの新型機に関しても、開発が継続されているようです」
「そういえば、赤いドイツでも航空機生産が再開されていたという報告を受けたわね」
「ブレーメンのフォッケウルフ工場や、アウクスブルクのメッサーシュミット工場がほぼ無傷でしたからね。今や、赤い星のついたTa152や
「いや、いい。それについてはあとで資料にまとめて。
「了解しました」
「報告はここまでとします。重点監視施設に関しては、今後も変化があれば報告を。下がって良い」
楽平は軽く頭を下げると、ノートパソコンの電源を切り、プロジェクターとの接続ケーブルを引き抜く。
南方がスイッチを操作したのか、これまで閉められていたカーテンが電動で開けられていく。
陽光に照らされた八王子の雑然とした町並みが遠くに見え、この研究施設の殺風景さが際だって見えた。
無駄に広い画像解析部の研究施設前庭のヘリポートには、ネイビーブルーに塗装された軍用ヘリコプターが止まっている。
おそらくは、南方が官邸との往復に使っているものだろう。。
「まったく、どこまでもこの世界は面白い。朝鮮戦争やベトナム戦争の心配が無いかわりに、やってくるのは第三次世界大戦か。まったくこの世は火宅とはよく言ったものじゃない。人類とはどこまでも度し難い、度し難い」
南方はそう楽しそうにつぶやきながら、自身のノートパソコンを立ち上げていた。
局長を通じて国家安全保障会議へ提出される報告書でもつくるつもりなのだろう。
もはや、楽平のことなど意識の中から消え去っているにちがいない。
後片付けが終わった楽平は、逃げるように彼女の執務室を後にする。
悪魔に仕える司祭のような表情の彼女から、一刻も早く逃れたかった。
-自宅のローンだってまだ15年も支払いが残っているし、長女は今年高校受験なんだ。 ついこの間でかいのが片付いたばかりなのに、また戦争なんて冗談じゃない。
ああ嫌だ、これだから
軍人でもあるまいに。
ぜんぶ、くたばっちまえばいいんだ。
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