第166話 第二次国共内戦


1946年2月15日23時15分(現地時間)

 

 大竹は眼鏡型の暗視装置越しに、周囲の様子を観察していた。

顔には夜の闇に紛れるように黒色の目出し帽バラクラバをかぶり、国籍や階級を示す標章が一切無い黒色の戦闘服に身を包んでいる。

 戦闘服は大陸北方の厳しい寒さに耐えられるように、見た目より防寒性能は高い。

 温度計などあるわけがないが、おそらく気温は氷点下10度近くになっているはずだった。

 周囲は夜の帳に包まれており、三日月の放つ月明かりだけがわずかに大陸の荒野を照らし出している。

 草木もろくに生えておらず、ただただ水平線まで変わり映えしない風景がだらだらと続くだけ。

 ここは延安北方の荒野、『一度目の世界』では戦後、陝西省楡林市と呼ばれる街へ通じる街道上(といっても整備はろくにされていなかったが)だった。

 その荒野が見下ろせる位置にある巨大な岩の上で、大竹は部下の小柴とその時を待っていた。

 彼らが待っている車両群を探知したのは、監視を開始してからゆうに4時間以上が経過していた。

八路パーロ軍だ。情報通りといったところか」

戦略偵察局からの衛星通信で、二人はその車両が延安から脱出してきた中国共産党の軍隊、八路軍であることを知っていた。

 おそらく偵察衛星で、ずっと監視を行っていたのだろう。

 日本軍の撤退をきっかけに、大陸の覇権を巡って中華民国と中国共産党の『第二次国共内戦』は、『一度目の世界』より早い1945年7月に始まった。

 熾烈な戦闘は半年近く続いていたが、この46年2月に佳境を迎えていた。

 中華民国軍が八路軍の拠点を次々と攻略し、ついには共産党の本拠地がある延安市に攻勢をかけたのである。『延安会戦』と呼ばれるその戦闘では、双方ともに兵員数と装備で勝る中華民国軍が八路軍を圧倒した。

『一度目』の史実と異なる結果を迎えたのは、北支事変(正式な宣戦布告がされない紛争であったため、事変と呼称された。いわゆる『日中戦争』)が日本の撤退により一度目の史実より早期に終結。

そのため、中華民国軍の消耗が史実より少なかった事と、日本が影に日向に中華民国を支援したからだった。

 表だっての武器供与こそ少なかったが、八路軍の部隊配置や適切な侵攻ルートなど、戦略情報を密かに情報提供していた。

 また、中華民国政府や軍に入り込んだ共産党のスパイに関する情報が日本からもたらされたため、情報漏洩やサボタージュ工作が根絶されたのも大きかった。

 その見返りに、日本は反日宣伝の停止と戦後の日本製品輸入を蒋介石に確約させていた。

 蒋介石としても、日本との取り引きは自らの政権維持に有益と思ったのか、反日姿勢を転換して融和的態度へ転換したという。

 蒋介石の態度は打算そのものであり、国際情勢次第では敵にもなるだろうが、共産党政権が出来るよりはマシと大竹は思っている。

 仮に蒋介石が大陸に統一政権を樹立させても、できあがるのは『一度目の世界』の台湾のような軍事独裁政権だろうが。

 それを見越してか、日本は南京の汪兆銘政権にも同様の支援を行っている。

「まさに天下三分の計というやつか。まあ、日本に都合の良いという注釈がつくがな」

 そうぼやきながらも、視線は単眼鏡の向こうの車列に向けている。

 あの車列が視界の不明瞭な夜間に移動しているのは、おそらく発見を防ぐためだろう。

 ヘッドライトも点灯しておらず、夜光塗料や懐中電灯のような視認しづらい僅かな明かりを頼りに進んでいる。

 車両群の多くを占めるはソ連から供与されたとおぼしき『BA-3』装甲車だった。

 事故を防止するためなのだろう、速度はさほど出していないらしい。。

 危険な夜間に移動するのは、昼間であれば中華民国軍の偵察機に上空から発見されてしまうからだろう。

 大竹は決意すると、岩のくぼみに隠してあった装備を取り出す。

 それは84ミリ無反動砲カールグスタフM3、スウェーデンのSAABサーブ社から宝輪工業がライセンスを取得して生産している軽量歩兵砲だった。

 戦車や装甲車、あるいはトーチカなど、小銃ライフルでは対処の難しい装甲目標を撃破するために作られた歩兵携行兵器だ。

 大竹は無反動砲を抱えると、訓練でたたき込まれた通り暗視装置付きのスコープで、目標を捕らえようと調整を始める。

 それが終わったと同時に、ハンドサインで小柴へ指示を下す。

 月明かりだけでそれを確認した小柴は心得たとばかりに弾薬を背嚢バックパックから取り出し、無反動砲へと装填する。

 あらためて昼間に確認しておいた僅かな地形の差異を頼りに、距離を測る。

 次の瞬間には無反動砲のトリガーを引いていた。

 後方に燃焼ガスによる爆風が派手に後方へ噴射される。

 夜の闇に紛れてその爆風は目立つことはなかったが、昼間ならすぐに発射位置を知られていただろう。

 同時に、弾頭が射出され空中へと高速で飛翔していく。

 その弾頭は山なりの弾道を描きながら飛翔し、車列の上空数百メートルのあたりで数十万カンデラという強力な光を放ちながらゆっくりと地表へ落ちていく。

「陣地転換、急げ」

 大竹はそう言いながら燃焼ガスが無くなっているのを確認し、すぐに無反動砲を担ぎ上げると移動の準備を始める。

「合点承知。しかし、念のためとはいえ、いちいち陣地転換は面倒ですな」

小柴は背嚢を背中に背負いながらぼやく。

 夜の闇に紛れているとはいえ、照明弾で周囲が照らされている中だ。

 めざとい者に発射位置を特定される可能性はゼロではない。

「その代わり、こいつは軽くて持ち運びが用意だ。そのうえ、弾頭によっては戦車も撃破出来るとあってはな」

二人は事前に何度も確かめてあった退却路を走り出す。

 1発だけではなく、何度もあの車列の位置を照明弾で照らしてやらねばならない。

大岩から移動した大竹と小柴の二人は、予め掘ってあった簡易的なタコ壺陣地へ入ると再びの照明弾の発射に備える。

 スコープ越しに見える八路軍の車列は、明らかに動揺を見せていた。

 夜の闇に紛れての脱出のはずが、いつの間にか明かりに照らされているとなれば無理もないだろうが。

 ほとんど風がないために、照明弾は光が弱まる瞬間までゆっくりと滞空していた。

 小銃弾や『BA-3』が搭載する45ミリ主砲を発砲する音が聞こえる。

 おそらくはこちらの位置を掴んでいないのだろう。

 およそ見当違いの方向に射撃を繰り返している。

 大竹が次の照明弾を発射したと同時に、別の方向から砲弾の飛来する音が響き始める。

 八路軍の車列へ向けて、照明弾を頼りに進軍してきた中華民国軍の戦車が、砲弾を撃ち込んでいるのだった。

 日本からの情報提供によって、待ち伏せをしていた部隊だった。

 八路軍の車両は算を乱して逃げ惑うが、統制の取れた中華民国軍は正確な射撃でそれを撃破していく。装甲が薄く、機関銃弾でも貫通してしまうとされる『BA-3』では、まともな戦車相手では分が悪いのだろう。

 日本が供与した『九十七式中戦車』チハやドイツ製の装甲偵察車『Sd Kfz 222』を擁し、練度も高い中華民国軍には対抗できないだろう。

 位置を暴露された時点で、あの延安からの脱出車両群の運命は決まったようなものだった。 

 まだギリギリこの距離で視認出来る程度に弱まる照明弾に照らし出されていたのは、最後の車両が、快速を利して突っ込んだ『九十七式中戦車』によって蹂躙されたところだった。

 生存者がいるとは、とても思えない。

「内戦とは惨いもんですな。私らが言えた義理じゃありませんが」

  そう呟くと、小柴は珍しくしぶい顔をする。

「もとより、この国は統一政権にまとまっている事の方が珍しい。それに、日本にとっては大陸に強力な統一政権が出来るなど悪夢だからな」

「三度目の元寇でも来られると面倒ですからな」

「まあ、異民族に支配されるのも、彼らにとっては不幸だろうがね。 撤退しよう。我々の仕事はここまでだ」

無反動砲を背負うと、大竹は無表情になる。

「まあ、こちらがどう画策しようと、なるようにしかならんさ」

小柴は大げさに肩をすくめると、背嚢の位置を直しながら走り出した大竹に続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る