第160話 調印式典

 調印式典は静かに始まろうとしていた。

 ミズーリの艦上の艦橋と第二砲塔の間に設けられた特設会場には、すでに英国大使館をはじめとした連合国各国の大使や武官が顔をそろえている。その顔ぶれのほとんどが正式な礼装であるモーニングコートにシルクハットといった出で立ちであり、この式典が国際政治上重要な意味を持つことを暗に示していた。

 この式典には日本に急接近しつつある英連邦の外交官の数が多く、その反面急速に英米と関係を悪化させつつあるソヴィエト連邦からの外交官はひとりも姿を見せていない。

 国土がソヴィエト連邦軍に占領されつつあるフランス大使は傲岸不遜な態度を見せており、本土をようやく回復したものの東西から共産主義国に包囲されつつあるオランダの大使は浮かない顔だ。

その反対側には、日本国の全権代表である羽生田外務大臣と、紫香楽幹也統合参謀本部議長が腰掛けていた。羽生田外相はいつも通りの飄々とした表情であり、紫香楽議長の顔にも緊張の色はない。

 その光景は、この式典の実相を暗喩しているかに見えた。

 そんな外交の風景を、米海軍の水兵たちは主砲塔の上や艦橋から、遠巻きに見つめている。彼らは外交官たちとは対照的に、戦争が終わる開放感と異国を征服した高揚感に満ちている。

 バーク元帥は純白の礼装に身を包みながら憂鬱な表情を隠そうともせずに、甲板に置かれた椅子に腰掛けていた。

 いや、ふんぞりかえっているという表現が正しいだろうか。

 居並ぶ将兵や外交官たちの顔を険しい顔で眺め回し、今にも怒鳴り声をあげそうな雰囲気に見えた。

「元帥閣下、そろそろお時間です。調印式前に演説をいただきたく思います」

様子を見かねた広報官に促され、バークは渋々といった表情で立ち上がる。

 「分かっているさ。仕事だからな」

 制帽を被り直しながら、表情を引き締める。

 その瞬間を待っていたように、広報部のカメラマンが一斉にシャッターを切る。

 会場の艦橋側に設けられた演台に歩いていく途中、大音量でサイレンが鳴らされる。

 バークは思わず周囲を見渡し、ついで空を見上げる。

 肉眼では空に何か変化が起きているように見えない。

「空襲警報だと?何が起きた」

バークは視界の遙か向こうのヤマトタイプの戦艦の高角砲が旋回しているのを確認する。

 そこへ、いつの間にか走り寄ってきたのは、日本軍の紫香楽議長だった。

 手には見慣れない小型の無線機のような端末を持っている。

「ヘイ、ストップ!」

 水兵に押しとどめられそうになっているのを、バークは一喝する。

「やめろ、日本軍のトップだぞ。礼を失するな」

「ありがとうございます、元帥閣下」

 妙齢の女性が見れば卒倒しそうに魅力的な笑顔を浮かべながら、紫香楽は敬礼をして見せる。

 ハリウッドスターのようなやつだな、とバークは嫌悪感むき出しの顔をする。

「礼などはいい。何か情報を知っているのだろう」

 バークは、紫香楽が手に持っている小型端末を見ながら言う。 

「まことにお恥ずかしながら、この調印式の妨害を目的としたテロ攻撃が行われようとしております。閣下並びに、各国の要人には一刻も早くミズーリから退避されますよう」

「テロ攻撃だと?」

「対艦誘導ロケットであります。閣下はその威力についてはよくご存じのはず。このミズーリへ到達するまで、あと3分もありません」

 そう言われて、バークは呻いた。

 あのロケット弾の威力は、十分過ぎるほどに身をもって知っている。

 いかな新造戦艦といえど、ただでは済むまい。

「迎撃は可能なのだろう?あの戦艦や、巡洋艦は飾りではあるまい」

「無論です、閣下。我々はそのために日夜訓練をしておりますから」

紫香楽は整った顔に涼やかな表情を浮かべてこたえる。

 バークが思わず殴り飛ばしたくなるほどの、男性的魅力に溢れた態度であった。

「ならば、式典は続行だ、シガラキ大将。今さら逃げたところで、3分ではろくにここから離れられまい。このミズーリの艦上にいたほうが安全だろう」

自分ながら芝居がかっているな、と思いながらバークは可能な限りの爽やかな笑みを浮かべる。

 国家の尊厳とはつまるところ、やせ我慢なのだ。

合衆国に命を捧げると決めたのならば、このクソッタレな政治劇も演じて見なければなるまい。

バークの意図を理解した表情で、紫香楽は敬礼する。

 「了解いたしました、閣下。避難は中止するとしましょう」

 紫香楽はそう言うと、すぐに小型端末を操作し始める。

バークは、そばで呆然としていた広報官の肩を叩く。

「聞いていたな。艦長に伝えよ。敵ロケット弾接近中、対空戦闘用意。ただし、式典は予定通り続行すると伝えよ」

 広報官は慌てて命令を復唱すると、艦橋へ向かって駆け出す。 

 紫香楽はバークに向けて、丁寧に敬礼をしてみせる。

 その様子を見ること無く、バークは演台に急いだ。

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