第158話 空戦機動-エア・コンバット・マニューバー(前編)

 マシュー中佐のF-35はとうに大阪をフライパスして、静岡上空へ達していた。

 まだ旅客機の飛行便数は減便されているため、心配していた旅客機とのニアミスが起きることも無かった。

 今はまだレーダーに反応はないが、おそらく迎撃機が上がって来ているはずだ。一瞬たりとも気が抜けない空域に到達しつつあることは確かだった。

 日本国内の迎撃に使われるであろう航空基地にはドローンによる襲撃が敢行されているが、すべてがうまくいくと考える方がおかしい。

いつミサイル接近警報が鳴ってもおかしくない状況だった。

 そろそろAN/APG81レーダーに横須賀港が探知圏内に入ってくるはずだと思い、レーダー画面をタップする。

 レーダーを遠距離捜索モードに設定し、横須賀港に停泊している艦艇を捜索する。

 無論、標的である戦艦ミズーリが判別できるとも思えない。

 しかし、直前に現地に潜入している仲間からの情報によって、おおよその位置は把握していた。

 こちらが撃てるミサイルは、わずかに長距離対艦ミサイルである『LRASM』が2発ずつ。わずかに4発程度のミサイルが、この『作戦』の最終段階だった。

 仮にミズーリが撃沈できなくとも、死者や負傷者が出るだけで調印式に傷がつく。

 それだけで、この『作戦』の目的は達成されるのだ。

政治ショーである式典というものは、少しの瑕疵キズも許されないものだからだ。

 とはいえ、たった4発のミサイルにすべてを託さなければいけないことに、マシューは内心で皮肉を感じていた。

 時震の前ならば、その程度のミサイルなど、1回の任務で使い切る量だった。

 そのうえ、F-35は電子の目こそ今のところ潰されていないが、米軍のネットワークが途絶した今、GPSやデータリンクは使えない。

 データリンクによる瞬時の情報共有こそ、現代戦のかなめである。

 マシューたちはその情報共有から切り離された、脆弱な孤児に過ぎなかった。

 この世界に全地球を結んでいた米軍の情報ネットワークは存在しない。

「ヨアキム、目標とおぼしき艦艇を発見。目標ターゲットM1とM2は俺が、M3とM4はお前に任せる」

「了解、ようやくここまで来たぜ。はやいところ、このデカい荷物を下ろしたかったところでさ」

 ヨアキムはどこまでも陽気な声で応じる。

 それにこたえるのももどかしく、マシューはレーダーでとらえたターゲットにLRASMを設定する。

 もし、データリンクが生きていればこの距離まで近づかずとも発射できたはずだ。

 GPSで位置を特定し、あるいは友軍のデータリンクで目標を修正することも出来るからだ。

 だが、今はこのF-35のレーダーに頼るほかない。

「目標確認、発射」

 短くそう言うと、対艦ミサイルの発射ボタンを押し込む。

 ステルス性能を維持するために機体内部の武装格納庫ウェポンベイに納められていた大型対艦ミサイルが空中に射出される。重さで自由落下しはじめたミサイルは点火したジェットエンジンによって膨大な推力を与えられ、空中を突進し始める。

「これで、作戦は終了だな」

 マシューがそうひとりごちた時、急にレーダースクリーンに先ほどまで映っていた目標が消え、何もなかったところに正体不明の目標が現れる。おそらく電子戦による欺瞞だろう。おそらくは電子戦機によって、強力なレーダー妨害ジャミングが行われつつあるのだった。

「流石に日本軍もバカじゃない、か。今となってはどうでもいいが」

 マシューの声に合わせるようにミサイルの接近警報が鳴る。

「日本軍の長射程対空ミサイルロングランスか」

 ヘルメットディスプレイ越しの視界に、こちらへ白雲をたなびかせながら駆け上がってくるミサイルが視認出来る。すでにヨアキムは回避軌道をとっていた。

 マシューの機体にも、2発のミサイルが接近していた。

 ー警報装置が耳障りな警報音を響かせるなか、ミサイルが後方へ迫る。

 神経が高ぶるなか、マシューは操縦桿を倒しながら急旋回ブレイクターンを行い、急上昇しながら小刻みに回避機動を行う。ミサイルの有限な推進剤を消耗させるための、古典的だが有効な回避手段だった。

 一瞬、太陽のまぶしい陽光が目を灼くが、かまってはいられない。

 永遠にも感じられた回避機動の中で、マシューは自分が生きているという実感を久しぶりに得られた気がした。

 自分は一瞬の油断で空中に咲く花火となりかねない、修羅の空でしか生の実感を得られない人種なのだ。そんな自嘲的な思いに駆られた頃には、後ろを追尾していたミサイルの姿はどこにもなかった。

 ついで、ヨアキム大尉の機体を探すが、どこにも見当たらない。

「やられたのか」

そう言いながら、レーダースクリーンを見るが、相変わらず欺瞞情報のゴーストだらけで使い物にならない。

 結局、肉眼で探すはめになったが、彼を見つけたのはそれから数分後のことだった。

 はるか遠く、戦闘機パイロットの目でなければ見つからないところに、パラシュートの花が開いているのが見える。

「まったく、悪運の強い男だよ」

 そう安堵のため息を漏らしたところで、マシューはきらりと光る何かを空中に見た気がして、反射的にラダーペダルを蹴り込んで、機体を横滑りさせていた。

 何かを視認出来たわけではないが、

 砲弾の火箭かせんがさっきまで彼が飛んでいた場所を撃ち抜いていく。

「バカな、機影は見えなかったぞ」

 マシューは正体不明の機影を探して空中を睨むが、そこに敵機の姿は見えない。

 「いくら何でも見えない敵機など…まさか、光学迷彩ビジュアル・ステルス搭載だとでも言うのか」

マシューは信じられない思いで、目の前の空に目をこらす。

 航空機の機体を透明化する技術-実際には周囲の風景と似た色調に機体表面の色を変化させて、発見しにくくさせる「光学迷彩」は各国で研究が進められていた。

 2020年の世界では、一部の軍事企業が実用化にこぎ着けたと喧伝しているのはマシューも知っていた。

 だが、戦闘機ほどの物体を『光学迷彩』で隠すのに、どれだけの技術が必要とされるのか、皆目見当がつかない。

 しかし、よくよく見れば、空の一部に違和感を感じる部分があるのが分かる。

 陽炎のように不確かではあったが、敵機のおおよその位置は確認出来る。

 どういう技術で光学迷彩を実現化したのかは不明だが、まだ技術が完全ではないのか。 それとも、「目くらまし」にはこれで十分ということか。

 輪郭から分かる機体の形状は、F-35と同じようなレーダーに対するステルス性能を有している機体に思えた。

たしかに、その存在を認識するまではまったく見つけられ無かった。

 いわば『初見殺し』の戦闘機ということだろう。マシューがその射撃を回避出来たのも、ほとんど偶然に過ぎない。

 「まだテスト中の新型機を出してきた、といったところか」

マシューはひとりそう言いながら嗤う。

 最後の空戦の相手としてはこれ以上ない相手に見えた。

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