第157話 緊急事態

 この日も油谷大尉はF3『迅雷』に搭乗しての訓練に入るところだった。今日の訓練空域は静岡県と長野県の県境付近だ。

 これまでは空戦時に想定される空中エア戦闘コンバット機動マニューバー、インメルマンターンからハイスピードヨーヨーなど、機体に負荷のかかる機動を試験してきたが、本日は共同作戦時の運用を想定した試験が予定されてきた。

 今日はそれだけではなく、アメリカからただ一機が輸入されていたE2-D早期警戒機のコピーである、21式早期警戒機との共同試験までが予定されていた。

21式のレーダーにより標的機を探知し、その誘導によってF3が迎撃戦闘にあたることを想定した訓練だった。

 21式は既存のE2-C早期警戒機に比べて五倍以上の探知範囲を誇る「APY-9A」AESAレーダーを搭載し、条件によってはステルス機ですら探知可能とされる。

 AESAレーダーとは、いわゆるフェーズドアレイレーダーの一種である。旧来のアンテナを回すタイプのレーダーではなく、各アンテナ素子が個々に電子ビームで走査することが可能であるため、短時間に広範囲の目標を探索することが可能だ。21式早期警戒機が日本防空の切り札として、F3と同じく期待されている所以であった。

 

「ラーテルより、マングース。こちら予定空域に到着した。訓練をはじめてくれ」

「了解。これより訓練を始める。予定高度まで上昇…」


「エコー1より、マングース、ラーテルへ。訓練中止、繰り返す訓練は中止だ。緊急事態エマージェンシーが発生した。在日米軍兵士が岩国基地に保管されていたF-35を奪取した。ラーテルは至急迎撃ポイントに急行せよ。迎撃ポイントに関してはデータリンクで確認せよ。」

唐突に21式マングースとの通信に割り込んだのは、岐阜基地の地上管制エコー1だった。

緊急事態の言葉に、油谷の顔が強ばる。

  

「ラーテル、了解。ただちに訓練を中止して迎撃ポイントに向かう」


  油谷は内心に多くの疑問を抱えながらも、データリンクで転送されてきた迎撃ポイントを確認する。

 指示されたポイントのデータを確認する。指定された空域は静岡県と神奈川県の県境、御殿場市郊外の上空だった。

 油谷大尉の搭乗するF3はあくまで試験機だ。たしかにすでに試験自体は完了間近であり、最終的な量産化の決定も間近だろうと言われてはいる。

 そんな完成間近の機体とはいえ、試験機の実戦投入など漫画の世界だと、油谷は呆れている。だが、軍人である以上、任務として命じられれば否応はない。

 とはいえ、増援の有無くらいは知っておきたいところだった。相手は二機、単純に考えて二倍の戦力だ。


「ラーテルよりエコー1、増援は期待できるか」

「無論だ、ラーテル。ただし、少しだけ時間がかかる。百里に降りるはずだった部隊が、基地へのテロ攻撃で降りられずに燃料切れ寸前だ。今空中給油機KC46ーAが急行中だ」

 事前に防空部隊をはりつけていたことがかえって裏目に出たのか、と油谷は思う。空に上がっているのはなにも百里の部隊だけではないだろうが、現代の航空戦は数分、数十秒が勝負を分ける速度戦でもある。必要な時に必要な戦力を動かせなければ妙なことになりかねない。

「了解した。せいぜい期待させてもらうとしよう。 

 敵は米軍のF-35か。妙なことになったな、と油谷は思う。 何故米軍の兵器がよりによって飛行可能な状態で維持されていたのか。油谷にとってはあまりに不可解だったが、細かな事情など分かるわけがないと、意識の外に押しやる。

油谷は預かり知らぬことだが日米間の講和成立の確定を期に、政府はかくした旧在日米軍兵器の国有化を決めていた。『降伏』条件には在日米軍とその兵器に対する取り決めはなかったからだ。

それに加えて、戦後に日本が生き残るための鍵である最新科学技術の流出につながる米軍兵器の引き渡しなどに応じられる訳がなかった。

 そもそも、『在日米軍』の存在は、日本側が意図的に情報を封鎖していたせいで、合衆国では広く知られていなかった。

 事情を知る僅かな者たちも、せっかく築きかけた『降伏』-実質的には講和-を不意にしかねないものを、強引に返還請求しようと主張するものは少なかった。日本を『降伏』させたという事実の方が政治的果実として魅力的だったのだ。

 アメリカとは相容れないイデオロギーを持つソ連が巨大になりすぎている以上、日本との戦争を一刻も早く終わらせて『次』に備えなくてはならないからだった。

 日本側も、アメリカの国内事情を見越して動いていた。平時体制へ移行するからには、これまでのようには予算が取れなくなることを案じた国防軍は、在日米軍兵器で兵力の不足を補うつもりだった。

 しかし、結局、戦争が終結するまで米軍兵器の戦力化の優先度は低く、予算がつかなかった。そのため、あくまで最低限の保守管理だけがなされていたのである。

 戦時中はF-35のような最新鋭兵器を揃えるより、三十式軽戦闘機のような安価で大量に揃えられる戦闘機の方が優先だったためだった。

 海兵隊のF-35がこのとき、飛行可能状態で保管されていた背景にはそんな日米両国の政治事情が複雑に絡み合っていたのである。

「マングースは引き続き現在の空域にて待機。長距離捜索モードで、指定の目標の探知に専念せよ。なお、当該機はステルス機につき、探知には困難が予想される。司令部は貴官らの献身に期待する」

「マングース、了解」

 油谷は交信を聞きながらも、すでに頭の中身は戦闘モードに切り替わっている。『初陣』はあの硫黄島航空戦で済ませているから、不必要な緊張はない。

問題ないノースェット。相手にとって不足無し、だ」

 油谷はヘルメットに隠されて誰にも見えない表情で、獲物を前にした猟師のような顔を浮かべている。 

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