第156話 百里基地

 森脇少尉が地上に降りてきたのは30分程前だった。


 硫黄島の戦いで戦闘を経験した彼は、休暇を終えて古巣の百里基地に戻っていた。


予定ではこのあと2年以上にわたって空母への転換訓練をみっちりと受けることになるはずだ。


 まだ正式なものではなかったが、訓練に入る前に中尉への昇進が決まるだろうという通知を受けている。


 百里基地所属の航空隊には、降伏文書調印式の日に予想されるトラブルに備えてのパトロール飛行が命じられていた。彼もすでに飛行を終えて、交代機の離陸を確認してから地上待機になったところだった。


彼の搭乗機は、現在燃料補給と整備中だ。


 予定では調印式やレセプションが終わるまで時間がかかることから、30分後には再度空へ上がることになっている。


 それまで、彼らは格納庫近くに設置されている搭乗員控え室でゆっくり休むのが任務だった。


「おい、首相官邸へのテロ未遂だとよ」


 スマホで新聞社のニュースサイトをチェックしていた同僚の水野中尉が声をあげる。


「それ、さっきつぶったーの動画で見ましたよ。フェイクかもしれませんけど、柳橋がひどいことになったらしいですね」


「死者が出なかっただけでもめっけものだな。それにしても、戦争が終わっちゃ困る連中でもいるのかねぇ」


水野の口調はのんびりとした顔だが、目は笑っていない。


 思えば、この奇妙な戦争の『開戦』に立ち会ったのは、水野中尉と森脇が初めてペアを組んだ時だった。


 あれから森脇は硫黄島で再度の実戦を経験し、単独撃墜数12というジェット機時代ではまれになった撃墜王エースの称号を得る事になった。


とはいえ、相手が技術的には化石に等しい機体であることを考えると、自らをエースと誇ることははばかられたが。


「早いところ終わって欲しいですよ。訓練だけやっていればいい時代に戻りたいです」


自分でも驚くほど素直に、森脇はそう言った。


「訓練じゃあ人は滅多に死なないからな」


水野はにやりと笑って同意する。


 彼らはともに二桁を上回る米兵の命を奪っているが、すべて仕事として割り切っている。直接敵兵の姿を視認する陸戦ではそうもいかなかっただろうが。


 空戦のほとんどを占める誘導弾ミサイル戦で、相手はレーダーやカメラを通してしか認識できない。


 まったく罪悪感を感じないわけではない。


 あえて考えないようにしようと努めているのだった。


 あれこれ考え過ぎてしまえば、精神を病んでしまうだろうから。


 だからこそ、森脇は戦争が終わってほしいと願っていた。


 そんな森脇の思考を、耳障りな警報音が遮った。


「何事だ。空襲じゃあないだろうな」


 アメリカ軍は自国の正式な外交使節団が入っている日本に攻撃を仕掛けまい。

 クーデターでも起きれば別だろうけど。


 だとすれば、この警報音の原因は何なのだろう。

 彼はそう思いながら、重い控え室の防爆ドアを開けて屋外に出る。


 その答えは急スピードで滑走路上を走るトラックが教えてくれた。

 いや、一瞬トラックに見えただけだった。


あれは基地防空用地対空誘導弾11式短距離SAMとかいう、航空基地を誘導弾や敵航空機から防衛するための車両だ。


 その向こうには20ミリ対空機関砲VADS-1改が引き出されている。

 対空機関砲の方はすでに射撃を開始していた。


 軽快な連続射撃音が響き、滑走路脇の芝生の上に高温に焼けた薬莢が落ちて跳ねる。


「空襲か?」


後ろにおいついてきていた水野中尉がそんなことを呟く。


「そこの搭乗員、屋内に退避しろ!ケガでもされると困るんだよ」


 防弾ベストに旧式の89式小銃を構えた基地警備隊の隊員が怒鳴る。


そのとき、ちらりと視界の端に『脅威』の姿が見えた。一昔前まで、ネット通販や店頭で見かけた中国製の民生用ドローンに見える。


 ただし、何か箱状のものを搭載しているのが視認出来た。


「中尉、ここはおとなしく指示に従いましょう」


「ケガをしてもつまらんな。ここは撤退だ」


 水野中尉は駆け足で待機室へ駆け出し、慌てて森脇もそれに続く。


 そのとき背後で爆発音が響き、森脇は思わず背後を振り返る。


 見ると、ドローンが地表近くで爆発した音だった。


 そのきょうたいの小ささからすれば、その爆発は意外なほどに大きい。


 地面の芝生がクレーター状にえぐれているのが遠目にも見える。


プラスチック爆弾C4、か?」


パイロットでしかない森脇の限られた知識では、そうとしか思えなかった。


 視線を正面に戻して走り抜ける。

 耐爆扉の前で水野中尉が待っていた。


 もう一度後ろを振り返ると、同じような形状のドローンがフェンスの向こうから複数接近してくる。


 ずいぶんと面倒なことになっているな、と耐爆扉を閉めながら森脇は思った。


 あのドローンは民生用でさほどコストも高くない。


 おそらくは遠隔操縦ではなく、事前に突入進路をプログラムしておくタイプだろう。ドローンの能力としては、はっきり言って低レベルでしかない。


 けれども、滑走路の使用を一時的に不可能にするくらいは可能かもしれない。


 ドローンによるテロ対策はネット・ランチャーやドローン捕獲用ドローンなどがある。一部は国防軍にも導入されていたはずだ。


 だが、今見た限りでは既存の対空兵器しか活用されていない。

 

 目標の高度が低空過ぎるし、あの小型筐体ではレーダー反射や赤外線反応も小さく、対空機関砲やミサイルでは厄介な相手だ。

 

 撃墜が不可能とは思わないが、


―予算の制約か。


 森脇はあんたんたる思いに、思わずかぶりをふる。


 正面装備を揃える方にはなんとか予算がいくのだが、長靴ちょうかやトイレットペーパーなど基本的なところの予算が削られがちなのが防衛省と自衛隊の悪癖だった。


 防衛省の政治力が弱すぎて、財務省に歯が立たず、予算が削られ続けたのが主な原因なのだが。


 いまや、財務省は戦時体制をてこに、国税庁という政治権力の源泉を剥ぎ取られた。


 そのかわりに歳入省が誕生し、政治の後押しで「戦時特別予算」が実現したわけだが、すべてが一朝一夕に変わるわけではない。


 当面は戦争相手のアメリカ軍相手の装備が優先され、ドローン対策は後回しになったのかも。これまで戦争をしていたのだから無理もないが、その間隙を突かれた立場になってみれば、文句を言いたくもなる。


「そうか、百里だけとは限らないのか」


「どういうことだ?」


 水野中尉の質問に、もどかしい顔で森脇はこたえる。


「『やつら』の目的は、この基地の航空機の発進阻止でしょう。既に発進している連中もいますが、燃料の問題がある」


「他の基地にも同様の『攻撃』があると?」


「断言はできませんけどね。まあどちらにせよ、忌々しいことに一部の目的は達しつつあります」


森脇は心中で舌打ちしながら、壁にかけられている自分のパイロットスーツを手に取る。


「まあ、どちらにせよ仕事が出来るようにしておくだけです。また爆撃を見逃すのは業腹ですからね」


水野中尉の方を見ずに、森脇はこたえた。


 すでに顔つきはパイロットのそれになっている。

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