第155話 テイクオフ


「君たちの要求を聞きたい、まずは話し合いに応じてくれ」

 ネイビーブルーに塗装された警察車両のスピーカーから、日本語に続いて、英語の音声が流れる。ただ、その英語はいかにもたどたどしい片言の英語だった。

-スマホの翻訳アプリみたいな英語だな、とマシュー中佐はコクピットで思う。

 構わずFー35を地上走行タキシングさせて、滑走路上へと出る。

 銃撃でもされたら、空中では最新最強の戦闘機とはいえただではすまない。しかし、マシューには日本の警察がすぐにそこまでしてくるとは思っていなかった。

 時震の前とはすべてが変わりつつある日本だが、警察官たちに染みついた組織文化とは一朝一夕で変わるものではない。相手が「犯罪者」であるかぎり、可能な場合はまず逮捕を試みるのが彼らの常識であることをマシューは理解していた。

 だから、通常通りの地上走行で悠々と滑走路上へと機体を進める。

 ちらりと電子ミラーをのぞき込むと、ヨアキム大尉の機体も続いている。

 警察部隊の発砲は無かった。

 狙撃部隊でも手配されていれば、ライフルで狙撃された可能性もあったかもしれないとマシューは考える、しかし、さすがにこの場に駆り出されている山口県警の機動隊に、狙撃手はいないようだった

 遠巻きにポリカーボネート製の防弾ライオットシールドを構え、こちらの様子をうかがっているのが肉眼でも把握出来る。

 見たところ、こちらの意図を図りかねているようだった。

「どうしますか、中佐。連中は今のところ、離陸を阻止する気は無いみたいですが」

 格納庫に立てこもっている整備兵たちからの通信が入る。

「奴らもバカじゃない。おそらく、誰か賢いやつがこちらの狙いに気づくだろうさ」

「となると、滑走路を潰すか、直接離陸を阻止するか、あるいは機体そのものを狙ってくるか、ですか」

「事前の計画通りだ、奴らを滑走路に近づけるな。それが最優先だ。俺たちが離陸したらムダに抵抗するなよ。本気になった日本のポリスは面倒だ」

「了解」

そのやりとりをしていた間にに、警察は防弾盾を装備した機動隊ファランクスを格納庫の方へ突撃させていた。格納庫側からは通信への返答がわりに、擲弾筒グレネード・ランチャーからガス弾を発射する。

もうもうと立ち上がる催涙ガスを浴びた機動隊員は、猛烈なくしゃみや鼻水といったアレルギー反応に苦しむことになった。

 訓練で催涙ガスの取り扱いに習熟しているとはいえ、さすがに防毒マスクを装備していない状態で浴びることになってはたまらない。

 そのために機動隊は貴重な時間を浪費することになる。

 一方、機動隊を搭載してきた装甲車PV-2二台が急発進すると、滑走路を進むこちらへ急発進してくる。

「やはり、こちらが本命と気づいたか」

マシューは覚悟したように、彼我ひがの距離を確認する。

F-35の三つある型式のうち、彼が乗る海兵隊仕様のB型は垂直離着陸機SVTOLだった。しかし、たたでさえ武装搭載時の垂直離着陸の燃料消費は莫大である上に、機体構造の複雑さから燃料搭載量は少ない。そのうえ、垂直離陸時は格好の狙撃の的になる可能性もあり、できるだけ避けたい手段だ。

 やはり滑走路から離陸するのが最善だろう。 

こちらが滑走路に出る前に、装甲車に頭を押さえられる確率は五分五分といったところか。

誘導タキシングウェイから滑走路まであとおよそ5分間はかかる。

「いよいよ、覚悟を決める時かな」

 マシューはタッチパネルを操作して搭載武装を表示させる。打ち合わせの通り、25ミリ機関砲弾は満載されている。さすがにミサイルは満載とはいかなかったが、必要十分なものは搭載されている。

 機関砲弾といえど地上で使いたくなかったが、離陸を阻止されては元も子もない。

-うまく引っかかってくれよ。

 刹那、マシューは久方ぶりに神に祈った。

 彼の父親は熱心にメガチャーチに通うプロテスタント信者だったが、マシュー自身は教会というものが集金装置にしか見えなかった。そもそも神と向き合うために、巨大なホールにあれだけの人数を集めねばならない事が理解出来なかった。

 神が愛や慈悲に溢れているのならば、めったに教会に行かないことや、そもそも教義に疑念を抱いていることなど気にもとめないはずだ。

「我らに対する神の愛を我ら既に知り、かつ信ず。神は愛なり、愛に居る者は神に居り、神もまたかれに居たもう……か。我に神の恩寵あれ、だ」

 よく自分でも思い出せたものだと思う新約聖書の一節を暗誦したマシューは、苦笑いを浮かべる。

「相手が戦闘機であることを理解してるのか?」

 こちらへスピードをあげて阻止行動に出ようとする装甲車の英雄的行動に、思わず感嘆の声を上げる。日本の警察官が治安維持のために時に命を危険に曝すことを知ってはいたが、こうして目の前にすると妙な感動を覚えざるを得ない。

 フロントガラスの部分に装甲板らしものがせり上がっている。視界は当然閉ざされているようだが、カメラ映像を便りに運転しているのだろう。

 しかし、その英雄的行動が実を結ぶことはなかった。

 誘導路まであと数メートルのところまで接近しかけたところで、急に車両の前輪のタイヤが大きな破裂音をたてて破損する。タイヤが破損した原因は、異常が生じたあとを見れば明らかだった。

 巧妙に偽装カモフラージュされて設置された直線上の装置が急にせり上がり、鋭い金属製のツメスパイクが横一線に突き出したのだった。

 装甲車ということで防弾タイヤだったかもしれないが、これだけ鋭利な刃物を突き立てられたらたなかったのも無理はない。

 あらかじめ、マシューが命じて設置させておいた車両停止装置だった。 元々は車両による自爆テロ対策として基地内に保管されていた装置であり、こういうときのために何カ所かに設置したのだ。

 さすがに軍の車両相手には効果が無かっただろうが、警察の装甲車両にはなんとか通用した。

横転した車両は猛スピードで直進していた勢いそのままに、つんのめるようにして横転。そのまままま地面を削るようにして十数メートルを進み、滑走路へとつながる誘導路の終端部分に鎮座する。

 上になった右側面真ん中のドアから慌てて運転手らしき警察官が顔を出すと、なんとか全身を引っ張り出す。そして、2メートルはありそうな車両側面から思い切りよく飛び降りる。

 たいしたケガもなかったのか、あっぱれな逃げっぷりではあった。

「……これだから日本人はすばらしい。まさに敵にするに相応しい奴らじゃないか、なあヨアキム大尉」

 満面の笑みを浮かべながらマシューはわらう。

「たいしたやつですよ、確かに。ガッツがあると認めてもいい」

ヨアキム大尉にしては珍しく、どこか影のある声だった。

「だが、俺たちの敵でもある。そうなっちまった」

見せかけの陽気さが剥げ落ちた声に、マシューはさらに嗤った。

 なんだ、大尉、

「我らが神に栄光あれ、あなたがたが神の敵に立ち向かうならば、神の恩寵があなたに与えられるだろう」

「リパブリック賛歌ですか、縁起でも無い。あの歌の原題は『ジョン・ブラウンの屍』ですぜ」

「知っているさ」

 そう言いながら、マシュー中佐は装甲車の脇をすり抜けて滑走路へと機体を進める。ヨアキム大尉の二番機も続けて滑走路へ出る。

-さあ、ここまで来た。止めてみせろよ、日本人。英雄はあの警察官でしまいじゃなかろうな。

 心の中でそう呟きながら、マシューはスロットルを開放し、離陸に向けて速度を上げる。 滑走路上に障害物はない。彼が空へ戻ることを妨げる者はもうなかった。

 重力のくびきから解き放たれ、彼は空の住人となったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る