第154話 ターゲット、シュート

「距離2800、11時の方向。速度を多少は落としているようですけど。おそらく狙撃出来る時間は数秒ってところですわ」

 武美軍曹の冷静な声に助けられながら、智香曹長は必死にスコープを調整する。

 もとから迎撃コースを想定してシミュレーションしてきたとはいえ、やはりあまりに準備時間が少なすぎて付け焼き刃だったか。

そんな後悔をしながらも、彼女は無意識下でも正確に動作出来るように訓練されている動作で、スコープに接近してくる『リーパー』の姿をスコープに捉える。

 あらかじめレーザー測距計で橋の周辺のランドマークまでの距離は計測してある。

 武美の読み上げに頼らずとも、おおよその距離は把握可能だった。

 まだこの距離で撃っても命中は期待できない。

「狙うのは方向転換の一瞬のみ。そうは言っても動体、しかも航空機相手の狙撃とか、うちの連隊長も無茶を言うわ。勲章と俸給アップ、それに長期休暇の三点セットでも無ければ割に合わない」

「それだけ暢気にしゃべるんだから、よほどの自信があるのでしょうね」

 武美軍曹は呆れた声でいいながらも、目標を単眼鏡で捉え続けている。

 ここまでいいながらも、彼女は困難な狙撃を同僚がやってのけると信じて疑わない。

 リーパーは発見を恐れてか、川面の上を高度百メートルを切るような高度で飛行していた。遠隔操縦をしている連中は、腕によほど自信があるのだろう。

 目標までの距離は、あっという間に2000メートルを切る。

 あと、わずか20数秒程度で狙撃想定ポイントまで到達する。

 最初は相手が向かう進路上に位置する柳橋で迎撃するべきとも考えたが、相手は速度の速い航空機。であるからには、面積が最大化する上に、スピードの落ちる方向転換の一瞬を狙うしかない。

 そんな理由で、彼女たちは両国橋の中央区寄りに狙撃ポイントを構えたのだ。

 それが吉と出るか、凶と出るかはまさに神のみぞ知るといったところだ。

 狙撃に失敗すれば、リーパーは中央線に沿って流れる神田川を北上し、首相官邸を目指すだろう。もちろん、その途中にも狙撃に使えるポイントはあるだろうが、市民に被害を出すことなく撃墜することは難しい。

 そもそも、狙撃チームの準備が間に合うかどうかも怪しい。

「距離800、風は0.8メートル。幸い風が凪いでいます。天佑我にあり、ですわ」

「当たるんなら、天佑でも女神様でも何でも構わないけどね」

そう言いながらも彼女はスコープから眼を離さない。

-動く目標とはいえ、相手が方向転換をはかるタイミングで面積は最大化、距離は200メートルもない、絶対当たるはず。自分を信じろ。

「私は美人、私は頭もいい、私はおっぱいも大きい、だから、当たる!」

 小声で自己暗示にしてはひどい台詞を呟きつつ、彼女は引き金に手をかける。

 もし相手がレーザー誘導爆弾の投下を決意すれば、逃げることはかなわない距離だ。

-けれど、相手の目標はあくまで首相官邸。狙撃兵二人相手に爆弾は使わない、はずよね。

 もちろん、智香の思うそれはただの希望的観測に過ぎなかった。

 もはや彼らは国際法上「正規軍」ではなく「ゲリラ」、もしくは「テロリスト」に過ぎないのだから。

「方向転換!今ですわ!」

智香は答えるかわりに呼吸を止める。

呼吸によって発生する振動が、射撃の弾道に影響を与えるからだ。

 智香はスコープから大きくはみ出すほどに大きく見えている『リーパー』の胴体部分へ向けて、引き金を絞る。

 肩を持って行かれるように錯覚する衝撃が再び肩を襲う。

「あたしは天才なんだから!あったれぇえええええええええ!」

智香は止めていた呼吸を、雄叫びとともに吐き出す。

彼女が放った12.7ミリNATO弾は、重い弾体特有の安定した弾道を描きながら音速で空中を突進する。大気との摩擦、重力、地球の自転速度などあらゆる数学的なパラメータによって、その弾道はわずかに変化していく。

 それでも、その弾道の変化は智香と武美が計算して織り込んでいた範囲内の変化であった。人間の眼には捉えることの困難な山なりの弾道を描きながら、後部のエンジンが内蔵されている膨らんだ部分に命中する。

 12.7ミリ弾は対物狙撃銃という名前に見合う破壊力を発揮した。

 エンジン部を粉々に粉砕し、機体は前後二つに分解しながら、錐もみ状態で落下する。

 垂直尾翼だったパーツや、電子部品らしき砕片がバラバラ砕け散りながら水面へ叩きつけられて水柱を上げる。

 しかし、リーパーは撃墜されるまでの僅か一瞬にレーザー誘導爆弾を放っていた。

 機体から離れる時に弾丸の衝撃を受けたのと水面が近すぎたために、姿勢制御翼が作動する前に水面へたたきつけられる。

  その瞬間に爆弾の信管が作動し、轟音とともに爆風と水柱が柳橋の橋脚や橋桁を襲う。 すさまじい爆圧は昭和四年1929年、1世紀近く前に完成した古い鋼鉄製の橋を襲った。

 東京大空襲でも無事だった橋の橋桁が大きく歪み、その上の橋台の道路部分のコンクリートに大きな亀裂が入る。高欄の部分もほとんどが崩落しており、復旧するまでにかなりの時間を要しそうに見えた。

射撃が命中したのを見届けるなり、土嚢で作られた臨時待避壕へ素早く待避していた二人はその柳橋の有り様を見てうめき声を上げる。 

 幸い、両国橋と同じく道路封鎖が行われていたため、巻き込まれた自動車や歩行者はいないようだ。しかし、人的被害が皆無とはいかず、橋に近い場所で爆風に巻き上げられた破片で傷を負った人はいるらしい。警察官が救護に向かうように無線に怒鳴る声が風に乗って聞こえてくる。

 待機していた救急車がすでにサイレン音を響かせて接近してくるのが遠目に見える。

「一応は任務成功、そう思っていいのかしらね」

「さあ、どうでしょう。あの文化財クラスの柳橋があの有り様ですから。少なくとも長期の有給休暇や俸給アップは無理なのではなくて?」

 武美軍曹はさして残念そうにも思わないクールな態度で言う。

「でも、少なくとも死んだ国民はいない、わよね?だったらせめて勲章と金一封くらいは…」

「私に聞かれても困りますわ。師団長や連隊長に具申してみればいかが?」

 ぴしゃりとそう言う武美に、智香は恨めしげな視線を向けている。

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