第153話 ハンガー・ゼロ

 マシュー中佐はかつて着ていたパイロットスーツに、二年ぶりに袖を通していた。

 違和感は、思っていたよりもない。

 自分が予期していたよりもブランクは感じない。

 この二年間、民生用のPCで独自に開発したシミュレーターである程度の訓練を行っているからだろうか。

 パイロットとしての能力を十二分に発揮できるような予感はあった。

「整備は任せておけ。MPを制圧しておけるのはあと一時間もないだろうが、それで十分だ」

 そう言って胸を叩いて見せた整備兵の言葉を信じるほかない。

-この作戦、ここまでは嘘のようにうまく言っている。

 その原因は隣で林檎のマークのついたスマートフォンにブルートゥースで接続しているイアフォンでご機嫌な音楽を聴いているらしい男だった。

 ヨアキム大尉はパイロットの腕だけでなく、特殊作戦めいたことの才能もある男だった。

 彼の立案して見せた『作戦計画』は、マシューからしてみればかなり綱渡りに見えた。

 元々の発端は在日米軍でもごく一部の者しか把握していない秘密倉庫『零号格納庫ハンガー・ゼロ』の存在であった。

 『ハンガー・ゼロ』は基地の敷地に隣接された私有地の地下に建設された、広大な倉庫であった。地下道によって岩国基地とは繋がっているが、その入り口は巧妙に隠蔽されている。

 元々はベトナム戦争時に核兵器が岩国基地へ持ち込まれた際に、秘密裏に保管する場所として建造されたという。極秘に工兵部隊によって建設されたため、日本政府もその存在を把握していなかった。

 冷戦が終わったあとも、その存在は機密事項として秘匿され、ごく一部の将校だけが把握するのみとなっていた。

 時震当時の『ハンガーゼロ』は、騒乱状態やテロが起きた時に備えての歩兵装備や、航空機関連部品などが多数備蓄されていた。基地を占拠された場合における反撃を想定していたのだった。

 さすがに、日本政府による占領までは想定されていなかったが。

 その中にはどういう経緯で持ち込まれたのは不明ながら、無人攻撃機『リーパー』も含まれていた。リーパーは一度解体され、秘密裏に外部へ持ち出されている

「電気系統異常なし、システム関連も特にいじられた形跡はない。どうやら、明日に移送予定だったという情報は間違いないようです」

「移送予定が明日で助かったな。さすがに今日以前に移送される予定だったら、作戦の前提が崩壊していた」

「助かった、と言っていいか迷うところではあるがね」

 マシューは陰鬱な表情を隠すことなく、そう返した。

「どちらにせよ、もう我々はルビコンを渡っている。今さらやめることはできない」

 ヨアキム大尉は自分の上司の浮かない顔を、驚いたように見つめている。

「これからこのニセモノの講和をぶっ壊しに行ける。オレは正直言って興奮しますがね」

 迷うこと無くそう言い切る大尉の言葉に、整備兵たちがうなずいて見せる。

 彼の言葉は、その場にいる在日米軍将兵の気分を見事に代弁していた。

 この戦争が始まってから、彼らは傍観者であることを強いられていた。

 覇権国家たる合衆国将兵の誇りはズタズタに引き裂かれている。

「たとえ、この先にどんな刑罰が待っていようと、後悔することだけはありませんぜ」

 整備兵の一人が拳を振り上げて見せると、他の整備兵たちも同じように拳をあげて見せる。

そんな光景を見ていると、かえってマシューの気分は鉛を飲み込んだように重くなっていくのだった。

 マシューにとって、この日本という任地は合衆国に次いで居心地の良い場所だった。

 民間へ発注した補給物資、は注文した期日通りに間違いなく届いた。

 なにより備品が翌朝に消えていることもなかったし、基地職員の母親が年に30回以上死ぬこともなかった。

 日本人は何を考えているのか分かりかねるところはあったが、少なくとも仕事の相手としては信頼できたし、友に相応しい人間もいた。

 俺たちはその彼らから、ようやく手にした平和の希望を奪おうとしているのだ。

 だからといって、この『作戦』をやめる気には到底なれないのだけど。

 ヨアキム大尉の陽性の感情しか現れていない顔を見つめる。

 なるほど、そうか。オレはうらやましいのだ。無邪気に『命令』のまま動けばいい彼らが。かつてはオレもその一人だった。

 しかし、その命令がもう沖縄キャンプ・バトラー、そしてその上の本土から来ることは永遠にないだろう。俺たちはこの1945年の世界に放り出された孤児なのだ。

 日本の奴らがうらやましい。この地獄のような世界大戦の時代とはいえ、祖国を失わずに済んだのだから。

もはや俺たちは軍隊ではなく、ただのテロリスト集団に過ぎない。少なくとも、日本人はそう判断するだろう。 

 そのテロリスト集団にも指令を下す人間は必要だ。

 自分に命令を下す人間はもういない。

 なんという孤独、なんという欺瞞。

「整備終了。システム・オールグリーン。二機とも、今すぐ発進可能!」

 整備兵が怒鳴るように声を上げ、マシューは無意識のうちに愚にもつかぬ思考の迷路から飛び出す。

「ヨアキム大尉、二番機に搭乗せよ。おれは一番機で出る」

「了解。これが最後の出撃だとか、つまらん事は言わんでくださいよ」

「言ってろ。いいからさっさと搭乗しろ。遅れたら罰走させてやる」

 ヨアキム大尉は笑うと自分の機体の元へ走って行く。

 マシューもヘルメットを装着しつつ、自分の機体へと小走りに駆け寄る。

ラッタルに足をかけると、静かな興奮が自分の身を包んでいるのを意識する。

座り慣れたコクピットに身体を滑り込ませると、スイッチを押してハッチを閉じる。

 既に身体に染みこんだ発進前の手順を、一つ一つをほとんど意識することなく行っていく。

 すべての神経を自分の機体へと集中させる。

 機体と接続したヘルメットディスプレイが、様々な情報を表示し始める。

 タッチパネルを操作して機体に異常が無いことを確認している時、チャンネルをあわせてある無線から切羽詰まった声が響く。

「マズいことになった。日本の警察ポリス部隊だ。いかんせん人数が足りない。装甲車をもってこられたら、ちょっと危ないかもしれない」

マシューは無線を瞬間落とし、うなるような声を上げた。すぐに無線のスイッチをオンにする。

「滑走を妨害するようなら、最悪破壊してもかまわん。こっちは既に離陸準備を完了している。悪いがなんとしても持たせてくれ」

 そう言うと、マシューは開いていく格納庫の扉をまぶしそうに見つめた。

「頼むから、せめて飛ばせてくれよ」

これが最後のフライトになる予感を感じながら、マシューはただそれだけを祈った。

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