第148話 発火点
1月16日6時55分 豊島区荒川野球場付近
まだ正月気分の覚めやらぬ中、早朝からトレーニングに励んでいる人たちがいた。
特別法により1945年の暦を使うことになっているので、今日は火曜日。
それでも、会社をリタイアした人間にとっては関係がない。
年金暮らしで悠々自適な者が多いシニア野球チーム、東荒川ヤンキースにとっては今日も絶好の野球日和だった。
チームの最年長の自称キャプテンが朝から管理事務所に並んで球場を押さえに行っているなか、平均年齢65才の面々は意気軒昂だった。
球場自体は8時から開場なので開いていないが、周囲のランニングコースは自由に利用できる。ウォームアップのための走り込みにはほぼ全員が顔を出し、汗を流している。
かつては甲子園で名を馳せていた者も中に混じっており、その動きはおもいのほかきびきびしている。
「いやあ、つい先日まで『戦時中』で肩身が狭かったが、今日からはのびのびと野球が出来るな」
ランニングを切り上げたヤンキースの先発投手、満井がストレッチをしながら言う。
「何言ってんだい、みっちゃん。昨日ものびのびやってただろうに」
八百屋の店主を息子に譲って悠々自適の小山キャッチャーがタオルで汗を拭きながら答える。
「おいおい、俺は周囲の目線を気にしてたぜ」
満井はがはは大口をあけて暢気に笑う。
それにあわせて、カメラのシャッターを切る音が響く。
「なんだ、徳さん来てたのかい。相変わらずすごいカメラだな」
「本体もだが、レンズもだぜ。しめて三桁は超えてるな。カミさんには内緒だぞ」
元広告代理店勤務で今は福祉系NPOに務めている徳光が、一眼レフカメラを構えながら笑う。基本的に代打や指名打者専門で、カメラを構えているプレイヤーだ。
「しかし、この戦争も長いこと続いたよなあ。二年だぜ、二年。あの湾岸戦争やイラク戦争だって数ヶ月であっという間に終わったのによ」
「たしかに。ウクライナのどこかにロシア軍が攻めていった時も、かなり早く終わったよなあ。それを考えると、ミサイルをぼんぼん打ち込んでやりゃあ、いくらアメリカでも白旗あげたかもしれん」
満井の言葉に、小山はうなずく。
「おまえら政治ってものがわかってねぇなあ。戦後を睨んで戦争をやるのが大国ってもんだ。ドンパチは勝利したけど世界中が敵に回りました、じゃあ割にあわん」
徳光がにやりと笑いながら講釈をたれる。
「なにしろ、戦争が終わったらまた世界中を相手に商品を売らないといけない。そのためには、アメリカが手を上げるまで戦うなんぞ割にあわん」
「まあ、そう言われてみればそうかもしれんがな」
満井はどこか不満げな顔だ。
「じゃあ『降伏』ってのはどうなんだい。この戦争、どう考えても日本の勝利だろうがよ」
小山の問いかけに、徳光はさらに笑う。
「相手に花を持たせて実利を狙うのは商売の基本だぜ。なにしろ、アメリカ様は傲慢な大国だからな。負けを認めるなんてしたら政権がもたない。」
「…ったく、理屈をこねたら徳光にゃ敵わないわ」
さすがに面倒になったのか、満井はお手上げのポーズをしてみせた。
そのときだった。
満井はかすかなエンジン音を聞きとり、川面の方に視線を向ける。
いつも通りの川辺の朝の風景に見えたが、違和感を感じて目を細める。
「なんだありゃ」
違和感の正体に気づいたのか、小山も手をあげてわめいている。
「おい徳さん、あれ」
「分かってる。くそっ、早い」
徳光はあわててカメラのレンズを構えると、手慣れたてつきでスポーツ写真を撮るモードにダイヤルをあわせてシャッターを切る。
その間はわずか数秒に過ぎなかったが、やたらと長く感じる時間だった。
目の前を通り過ぎたその違和感の正体を知るべく、もどかしい手つきでカメラの背面のタッチパネルを操作して、撮影した写真を表示させる。
「さすがにピントをあわせるのは難しかったか…あった、この一枚だけちゃんと写ってる」
徳光はその写真を見るなり、絶句して固まる。
そこには灰色に塗装された航空機が写っていた。
ただ、先ほど肉眼で見た時のサイズとあわせて考えても、あまりに小さい。
全長はどう見ても10メートル前後に見えたし、コクピットのように外が見えるガラス製の構造部がない。ハンマーヘッドとかいうサメの仲間を思い出す外見だった。
「なんだこりゃ。見たところ飛行機に見えるが、とても人が乗れそうには見えないぞ」
横からのぞき込んだ満井が、不思議そうな顔をする。
「これ、見たことあるぜ。米軍が使ってるやつだ。なんていったけ」
小山が思い出そうとするなか、スマートフォンをいじっていた徳光が震える声でつぶやく。
「RQ-4グローバルホーク、じゃないな。となると、やっぱりこのMQ-9リーパーってやつか」
「それ米軍のやつだろ。たしか、ニュースで似たようなのを見たことあるぜ」
「側面に星マークもついてるしな」
「ああ、米軍の
徳光の顔は青くなったあと、急に真っ赤になる。
事態の重さを認識して、退職以来久しぶりに血が沸騰するような興奮を覚えているのだった。
「おい、満井。貴様のスマホにこの写真を送る。この写真を、近くの警察署で見せてくれ。」
徳光はカメラのボタンを操作し、ブルートゥースでスマートフォンに画像データを送信。
次いでスマートフォンを開き、メールで画像データを満井のアドレスに送る。
「警察は苦手だが、ヤバい案件だな。分かった。だが見せるだけだぞ。あとは知らん」
「小山はこの写真をつぶったーで呟いてバズらせてくれ。煽りは得意だろ」
「おいおい、3ちゃんねるのコテハン何年やってると思ってる。訳はない」
「俺は防衛省へメールを送ってみる。取り合ってくれるかどうかはわからんがな」
そう言いながらも、徳光の顔は実に楽しげだった。
「おいおい久しぶりに東荒川第七中の三羽烏コンビ復活だな」
「それ、影で三バカって言われてたやつだぜ」
満井と小山は馬鹿笑いをしたあと、すぐに行動に移る。
「こういうときに説明の手間が省けるのが旧友のありがたさ、か」
徳光はそう一人ごちると、ノートパソコンがおいてある駐車場の軽自動車へ向けて小走りに歩いた。
「あの写真どう見ても武装していたよな…」
徳光は軍事にさほど詳しいわけではなかったが、あんなものが市街地のすぐ側を飛んでいる事態に戦慄せざるを得ない。
「戦争が終わる日だってのに、いったい何が起ころうとしているんだ…」
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