第144話 厄介者

 マシュー・リチャードソン中佐にとって、この二年間は地獄のようなものだった。

 同盟国軍の手によって翼を取り上げられ、祖国(ただし信じられないことに1940年代の、だが!)の運命に関わることも出来なかった。

 もっとも、正直な話をすれば1940年代のアメリカを祖国と言えるかは疑問だった。スマートフォンもマクドナルドも無い「祖国」は、相当に居心地が悪いに違いない。

 どちらかと言えば、マシューにとっては前者の方が問題だった。

 自分の年齢からして、近いうちに戦闘機搭乗員章(ウィングマーク)を取り上げられるのは覚悟してはいたが、それはあくまで自らの上司から肩たたきを受けるかたちのものだ。

 元同盟国から取り上げられるのは、どうにも納得がいかなかった。

 その思いはどうやら自分の部下たちも、同じようなものらしい。

 いつぞやのヨアキム大尉は、「自分はアフリカ系ですから、この時代の合衆国(ステイツ)じゃ公民権も無い。祖国と呼んでいいのやら」と複雑な顔をしていた。

 あの日以来、マシュー中佐をはじめとする在日米軍将兵は事実上の軟禁状態におかれていた。米軍将兵居住区やその付属施設内では比較的自由に動くことが出来たが、日本の市街地や基地施設への出入りは厳しく制限されていた。

 マシュー中佐がこの日訪れていたショッピングモールも、米軍居住区の中の施設だ。ショッピングモールは時震以前と同じように営業が続けられている。

 マシューたち米軍将兵には以前の給料と同じとはいかないが、日本政府からそこそこの生活が出来る手当てが支給されている。だから気晴らしにこのショッピングモールに出かけて、外食を楽しんだり衣服や食料品を買い込むことも出来る。

だが、今日は家族を連れてくることもなければ、買い物を楽しむ目的でもなかった。

彼は休憩のためにおいてあるソファに腰を下ろした。。

買い物客はまばらで、接客を行う日本人従業員も暇そうにしている。

彼はMA-1レプリカのジャケットのポケットからスマートフォンを取り出すと、日本の新聞社のニュースサイトを表示させた。

 渋谷では若者たちが戦争の終結を祝うバカ騒ぎを繰り広げているらしい。

 このスマートフォンは日本政府から支給された代物で、基本的には日本メーカーの市販品と同じだがメールやSNSアプリなど外部と連絡を取る手段についてはロックされている。

 岩国基地将兵の間でだけ使えるチャットアプリは搭載されているが、情報機関によって盗聴されている可能性を思うと使う気にはならなかった。

 しかしながら、ろくに居住区外に外出もできないマシューたちにとって、外部の情報を知ることの出来る貴重な道具ではあった。日本のテレビも見ることは出来るが、やはりネットの方が多角的な情報を入手出来る。

 特に理由も無く日本の新聞社が配信しているニュースを流し読みする。

 新大統領のハミルトン・フィッシュとかいう男(あのトルーマンではなく!)のインタビュー記事が主要なニュースとして表示されていた。本文記事に飛ぶと、日本との停戦が近日中に発効する予定であるとの一文が目を引く。

 米国が民意で動く国であるというのを象徴するような記事だった。このふざけた世界の日米戦争は、原爆投下が行われることもなければ、インペリアル・パレスで城下の盟を結ばせるということもなく終わるということだ。

 どうやら、マシューが内心危惧していた通りになりつつある。

 マシューたち在日米軍将兵は、日本政府はもとより合衆国にとっても厄介者という事になるだろう。

 80年近く進んだ技術を持っている我々は、日本にとって合衆国に渡すことのできない人間だ。技術的優位こそが日本の国家としての生存に直結するのだから。

 合衆国にとって未来技術は覇権国家たるために喉から手が出るほど欲しいだろう。しかし、いずれ対立することが自明のソ連と対抗する時に、日本の協力は必要不可欠になる。

 停戦したからといって(一度目の世界のように)同盟国になるわけではないだろうが、少なくとも交渉する余地はいくらでもあるのだ。

 つまるところ、在日米軍将兵は継子扱いという運命に抗えそうも無い状況にあるという事だった。

 おそらく日本政府は形だけ「本国に帰還してもらってもよい」と持ちかけるだろうが、合衆国は何かしら理由をつけて断るだずだ。

 そして、日米の技術格差がある程度埋まるまで日本に留め置かれる。

 我々の運命はまあそんなところだろう。

 今と同じく身柄の拘束や行動の制限はされないだろうが、監視の目が常時つけられる事になる。

 あまり歓迎すべき未来とは思えないが、確率は高いように思えた。

「中佐、そのまま聞いてください」

 背中合わせの形においてある方のソファーに腰を下ろしたヨアキム大尉は、こちらを見ることなく声だけで呼びかける。

「久しぶりだな。それで、情報は得られたか」

「連中、まだハンガー・ゼロの存在には気づいていないようです」

「そいつは朗報だ。『作戦』の前提条件はクリア、というところかな」

 マシューは言葉の割にはつまらなさそうな顔でうなずく。

「…お言葉ですが、本当にやるんですか。こういってはなんだが俺はこの国もそれなりに好きですからね、迷いがないと言えば嘘になるんですが」

「いつでも抜けてかまわんぞ。この『作戦』はいわば悪あがきだ。成功したとしても、歴史の流れが大きく変わる訳じゃない」

「まあ、結局のところ足抜けはしないと思いますよ。中佐について一暴れする最後の機会ですからね」

 ヨアキムはそう言うと愉快そうに笑う。

「それは有り難い。ウィングマンを変えなくて済むというのは心強いからな」

「それで、ターゲットは本当に日本に来るんですかね。前の歴史のように、日本に連合軍が進駐してくるとも思えませんが」

「確たることは言えないが、その可能性は高いと思っている。国家のメンツを保たねばならないからな。こういう場合の形式は、戦後政治に影響する」

「問題は我々が決行出来る条件が、そのタイミングに整うかどうかですが」

「どうしても運の要素が出てくるのは致し方ない。我々は篭の鳥だからな」

「鳥は鳥でも猛禽類であることを示したいところですな」

 ヨアキムはそう言って立ち上がると、マシューと目を合わせることなく立ち去っていく。

 マシューは数分時間差を置いて、ゆっくりと立ち上がる。

 さて、この『作戦』はどう転ぶだろうか。

 分かっている。

 さきほど自分で言った通り、どう言い繕おうとこれは「悪あがき」だ。

 祖国を永遠に失った我々の存在をこの狂った世界に刻みつける事だけが目的で、軍事作戦ですらない。

『作戦』に成功しようがしまいが、畢竟どうでもいいことなのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る