第143話 戦争終結への道程

『対日戦争停戦を訴えるハミルトン・フィッシュ共和党候補、大統領選挙戦に勝利す』の報は、ほぼリアルタイムで日本にも伝えられていた。もちろん、現地に潜入している工作員からの衛星通信によるものだった。

 中立国の通信社経由の報道で国民一般に知らされたのは、それから約三日後の事である。

 気の早いスーパーや百貨店では、「終戦おめでとうセール」が開催され、自粛を余儀なくされていた市民が詰めかけている。外出制限令の対象となっていた渋谷駅前のスクランブル交差点は、制限令解除を待っていた若者たちで埋め尽くされているという。

 羽生田外相は、渋柿を生のまま食べているような表情をしながら、先ほどタブレット端末で見ていたニュース映像を思い出していた。

「停戦交渉はまだこれからだというのに、暢気なものですねぇ。ルーズベルトと比べれば天と地の差があるのは確かですが」

 そんなぼやきを、付き従う外務省スタッフは聞いていないふりをしている。まあ、朝から晩まで某プロ野球監督のようにぼやいているので、相手をしていられないというのもあるのだが。

 ついさっき日本を飛び立った政府専用機でスウェーデンに到着したばかりであるから、さすがに疲労の色が濃い。英米両軍へは秘密裏に通達がされているとはいえ、戦時下の空の長旅であるから無理もない。

 これでも時震前はアメリカ側が嫌がるほどの交渉でならしたが、さすがに国運を賭けた停戦交渉という大事は荷が重いという事もある。

 スウェーデンのホテルのスィートルームの応接セットの上品な深緑色のソファに深く腰掛けながら、凝りに凝った肩を自分でもむ仕草をする。

 しかし、がちゃりとドアが開く音がして、屈強なボディガードと初老の白人男性が部屋に入ってくると、羽生田の顔は一気に引き締まる。

「お待たせしてしまいましたな、ハニューダ大臣」

「いえ、フーヴァー大統領閣下。貴方に会えて光栄であります」

 羽生田はケンブリッジ仕込みの綺麗なクィーンズイングリッシュで応じた。外交官から政治家に転身し、ずっと対米外交に従事してきた彼の、精一杯の嫌みであった。

交渉の最初のパンチとしては、オーソドックスなものだが。

「どうか楽にしていただきたい。それから『元』大統領ですよ」

 やんわりと羽生田の嫌みをかわしながら、フーヴァーはにこやかに応じる。

「時間が惜しい。貴国流に言えば単刀直入に言わせていただく。貴国はすみやかに連合国に降伏することをお勧めする」

 羽生田はにこやかな笑顔で応じる。

「貴国は戦況を理解しておられないようだ。ハワイやフィリピンなどの各基地への補給は空路が便りのはず。我が軍は人道的配慮からあえて攻撃を控えていることをお忘れなきよう」

 羽生田の言っていることは事実だった。ハワイなどの太平洋上の米拠点には日本軍の機雷が航空機や潜水艦によって常時敷設され続けている。アメリカ側は慌てて航空機による空輸作戦を実施しているが、いつ日本軍に妨害されるか分からないために食料制限を余儀なくされている。

 戦時規格の掃海艇も急ピッチで生産されてはいる。しかし、日本側が高度な機雷を敷設しているため、生産量より喪失数の方が上回っているのが現状だった。中には特定の排水量の船舶にしか反応しないもの、通過する艦艇が特定数に達した段階で起爆するものなど、様々なタイプがあり、米軍の掃海艇には掃海不能な機雷も多かった。

「我が軍の兵士を人質にとられるおつもりかな?まさかそのような非文明的な交渉をされるつもりではないとは思いますが」

 見た目だけはにこやかだが、近距離からのジャブの応酬のようなやり取りに、後ろに控えていた外務省のスタッフの額に脂汗が浮かぶ。

 羽生田は内心感嘆していた。

-自国が不利な戦況にもかかわらず、まるで占領軍のような態度、さすがは元大統領。

「我が国も無用なメンツにこだわるつもりはありません。ただし、無条件アンコンディショナル降伏サレンダーという訳にはいきません。条件をつけさせていただく」

 講和ではなく降伏という表現を用いているのは、アメリカ側が強硬に『降伏』交渉でなければ応じないと主張してきたからである。『降伏』という表現でなければ、民主党をはじめとする対日強硬派を押さえ切れないのではないか、それがSRAの報告書の結論だった。

 日本側でもこの『降伏』には異論が多く、交渉直前まで揉めに揉めた。しかし、結局桐生首相が表現よりも実を取るべきだと強引に押し切ったという経緯があった。

そんな日本側の事情はおくびにも出さない。

 講和だろうが、降伏だろうが平和になればどちらでも良いのではないか、というのは素人の戯言である。その文字に国家の威信メンツがかかっているのだから。

 「国家とはメンツを食べる生き物だ」とは、羽生田の信条だ。メンツを潰された国は、弱肉強食の国際社会で舐められ、時に命を絶たれる。メンツを保ってこそ交渉する資格が与えられるのだ。

 個人も企業もメンツは大事だが、国家のそれは重みが違う。

 メンツを失えば、大量の人命が犠牲になるのだ。

 逆説的に言えば、だからこそメンツは取引材料にもなる。

「ほう、サムライの国がメンツを捨ててくると。それと引き換えと

はどんな無茶な条件なのでしょうな」

「それに関してはこの我が国の総理大臣の親書を読んでいただきたい」

「拝見しましょう。特使の私が見てかまわないものでしょうな?」

「問題ありません」

 封緘された親書と、ペーパーナイフを受け取ったフーヴァーは、神妙な面持ちで封書を開封する。

 そこに書かれていた内容を流し読みする。

日本側が提示した条件は以下のようなものだった。

1、1941年12月8日以前までの日本領土の保全

2、現在の日本政府は存続とする。米軍の日本本土駐留はこれを認めない。

3,台湾、朝鮮は独立国とする。民主的な選挙による政府の準備委員会を設ける。

4、満洲帝国の国家承認、および満洲国の要請する範囲での日本軍駐留を認めること

5、中国大陸および東南アジア、南太平洋諸国からは遼東半島や国際連盟信託統治領をのぞき、完全に撤兵する。

 日本側の条件が、戦争で獲得した領土のほとんどを手放すという大幅な妥協を含んでいるのはフーヴァーにとって驚きだった。確かにスウェーデンで提示されたという停戦条件の「たたき台」に沿った内容であるが、ブラフではないかと疑っていたのだ。

 戦前から日本領土だった台湾や朝鮮の独立まで言及しているのに至っては、不必要ではないかとすら思える。

「『たたき台』にあった賠償の項目が削られておりますな。これではあまりに足りません。我が国民は卑劣なだまし討ちであった真珠湾への奇襲攻撃の報復にトーキョーへの爆撃を望む声も多い。明白な対価が必要なのです」

 内心の驚きなどおくびにも出さず、フーヴァーは意図的に威丈高な態度で応じる。

「択捉島とトラック諸島に対する反応兵器攻撃をお忘れですか。かの戦略兵器による攻撃は、多くの民間人を大量殺傷する明白な国際法違反です。我が国が先だって、厳重に貴国に抗議したはずですが。反応兵器攻撃に対する謝罪と賠償なしに、我が国は貴国への賠償に応じることは出来ません」

 羽生田は顔色一つ変えずに言い切った。

 反応兵器の使用による択捉島とトラック諸島の被害に対しての日本の世論調査では、現在のところ強硬に米国を非難、報復を求める声と、講和を最優先に考える声が拮抗していた。終戦が目前となった今は報復を叫ぶ声も弱まっているが、何のきっかけでそのバランスが崩れるかわからない。

 日本政府にとっても綱渡りの側面があるのだった。

「では、戦争が継続してもかまわない、と?」

 フーヴァーは強面を崩さずに畳みかける。

 その内心はまったく逆だったが。

 彼の美意識からすれば民間人を大量に巻き添えにする虐殺兵器など、合衆国の品位を損なう卑劣な兵器だと思っていた。この兵器を用いることを決めたルーズベルト政権の連中なぞ虫唾が走る。

 だが、国家間の交渉にそんな個人の感情を絡めるほどに愚かでもない。

「我が国のロケット兵器の威力はご存じのはず。その気になればワシントンだろうが、カリフォルニアだろうが、日本本土から攻撃出来るのですよ」

 フーヴァーと羽生田は、好戦的な笑みで向かい合う。

 羽生田はフーヴァーの鋭い眼光に、内心冷や汗をかいていた。

 元大統領というのは伊達ではない、ということかと思う。

 羽生田もTPPの貿易交渉ではアメリカ側に音をあげさせた交渉のプロだ。

だが、歴然たる格の違いは意識せざるを得ない。

「よろしい、貴国も相応の覚悟をもってこの交渉に臨んでいるという訳だ。念のため確認しておくが、我々は連合国共同宣言において、単独不講和を定めているのはご存じかな」

 フーヴァーはわざとらしく肩をすくめて見せると、親書を封筒にしまう。

「無論、存じておりますとも。連合国は二国間同士の取り決めでは講和しない。英国をはじめ連合国に加盟している国家との協議が必要という事でしたな。だが、貴国にも講和を急がねばならない事情がある。違いますかな」

 フーヴァーはそれに対して、沈黙をもって答えた。

 羽生田は、その反応にアメリカは自国の都合が悪くなれば「単独不講和」の取り決めなどあっさり破り捨てる、と直感した。

 連合国の中で反対しそうな有力国、英国とはすでに水面下で講和に向けての交渉が進みつつある。ソ連とは日本との直接の交戦国ではない上に、米ソの対立が水面下で決定的になりつつある。

 つまるところこの講和交渉は、はなから米国の思惑次第なのだった。

「それでは貴国の降伏条件について、あらためて交渉させていただく」

 フーヴァーは何事もなかったかのように、取り澄ました顔で先を続ける。

 羽生田は内心、この交渉は峠を越したなと直感していた。

 無論、油断すればすべてが壊れかねない状況であるのにはかわりはないが。

 米国側にこの交渉をまとめる、確固たる意志がある。

 そのことが確認出来ただけでも、ここまでの努力が報われるように思えた。

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