第142話 宴のあと(後編)
ソ連軍は1944年10月、アメリカからもたらされた膨大な
しかし、ドイツ軍は英米軍に西ヨーロッパへの上陸作戦を行う余力はないと判断。装甲戦力を抽出して東部戦線に振り向けつつ、ヴィスラ川西岸に戦線整理を行って反撃の準備を整えつつあった。
しかし、ここで隻眼の国防軍大佐、シュタウフェンベルグによる「
しかし、クーデター計画はヘルマン・ゲーリング空軍総司令官をはじめとしたナチス高官の拘束に成功したものの、ハインリヒ・ヒムラー内相や国家保安本部長官のラインハルト・ハイドリヒ、親衛隊特殊部隊指揮官のオットー・スコルツェニーなど、いち早く事態を把握した
親衛隊はベルリン脱出に成功した官房長のマルティン・ボルマンを臨時総統代理に担ぎ上げ、ナチス党の健在をアピールした。一方、クーデター側はナチス党支配の不当性をアピールし、またソ連を除く連合国との停戦を掲げて国内の掌握に乗り出した。
その対立は親衛隊と国防軍、ナチス党とその抵抗勢力という対立軸を鮮明にした内戦へと発展した。
両者の戦闘は当初、ソ連と英米との戦争中ということを意識した抑制的なものだったが、クーデター側が徐々に劣勢になるに従い過激化した。
そして、この間隙を突いて、バグラチオン作戦以降伸びきった兵站線の整理に追われていたはずのソ連赤軍は11月初旬に大攻勢を開始。ヴィスラ川西岸のドイツ軍陣地を突破。名将ゲオルギー・ジューコフ率いるソ連赤軍第一白ロシア方面軍は、ヴァイクセル軍集団をはじめとするドイツ各軍を蹂躙した。
『一度目の歴史』では1945年初頭だったその大攻勢は、補給物資の前線輸送が滞っていたドイツ軍にとって致命的だった。本国に近く補給が容易であるはずが、後方であるベルリン郊外が戦場と化して補給物資の前線輸送が不能となっていたからだ。
結果、赤軍はケーニヒスベルクをはじめとする要地を押さえ、ベルリンへの玄関口を確保しつつあった。
合衆国と英国の情報当局は「早くとも来年以降」と見積もっていた赤軍のドイツ本国侵攻が年内にも開始される公算となった事で、大慌てだった。赤軍の大攻勢はまったく英米両国には事前通告がなかったからだ。
この事でただでさえ潜在的な対立が生じていたソ連と英米両国の関係は悪化の一途をたどった。「ソ連は戦後のドイツを自らの傀儡国家とする公算大なり」、これが英米情報当局の出した結論だった。
そして、英米両軍は現在延期されていた『オーヴァ-ロード作戦』、後世の名前で言えば『ノルマンディー上陸作戦』、もしくは『史上最大の作戦』として有名な作戦を急ピッチで準備しつつあった。
しかし、作戦規模が大きすぎるためどんなに急いだとしても年明けになると見られていた。
「ドイツがソ連の支配下となれば、ヨーロッパ全体の共産化につながる。それはいかにもまずい」
フーヴァーの顔には焦燥の色があった。
ソ連は今のところ連合国の一角を占めている同盟国だが、アメリカの民主主義や資本主義といった国是とは本来相容れない。右の全体主義がナチズムならば、左のそれは共産主義なのだから。
単純に利害の一致が連合国という枠組みを成り立たせているに過ぎない。
「一刻も早く英連邦と一緒にフランスや、ベネルクス三国だけでも解放するべきだろう。ドイツは間に合わないとしても、だ」
「私もそれは憂慮しています。だが、ヨーロッパ上陸作戦にはあまりにも時間がかかる。それを見越してか、既にスウェーデンの大使館経由で日本側から秘密裏に接触がありました」
「日本からだと?早すぎるな」
「ええ、どうやら彼らの手は我々が思っている以上に長いようです」
そう言ってフィッシュはレントゲン写真が楽に入りそうな大判の封筒をすべらせる。
受け取ったフーヴァーは中から取り出した大判の写真らしき紙を取り出し、机の上に置く。
「これはなんだ、航空写真かね」
「私もそう思いましたが、『衛星写真』だそうです。衛星軌道上から撮影された写真だとか」
「バカな、宇宙から撮った航空写真だと?理解が追いつかんな」
困惑そのものと言った顔で、フーヴァーは固まる。
「詳細は今後、軍の情報部にでも分析させますが、ベルリン付近を撮影した写真だとか。彼らが情報において、我々をはるかに凌駕していることは明らかですな」
「直接航空機を飛ばさずとも、我々の動きは天上から筒抜けという訳か」
「ええ、これ一枚だけで我々は震えあがらざるを得ない。逆に言えば、彼らは本気で合衆国と停戦するつもりだという事でしょう」
「本気で講話するつもりだからこそ、交渉の冒頭にぶちかましてくるというわけか」
「ええ、タフな交渉になりそうです。だが、なんとしても日本との停戦は成功させねばならない」
「特使の責任は重大だな。まったく、いやになってくる」
「ええ、あなたには地獄を見ていただきます」
フィッシュはそう言ってさわやかに笑った。
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