第138話 岩国基地

 平成32年7月23日19時15分 合衆国海兵隊岩国基地

 

 海兵隊のベテラン戦闘機搭乗員マシュー・リチャードソン中佐は、いつも以上にゆっくりと夕飯を楽しんだ後、士官宿舎の遊戯室に顔を出した。

 予想通り、暇を持て余した戦闘機搭乗員たちが集まっている。

 基地司令からは外出禁止令が出ており、街に繰り出すこともできない。

 行ける場所は限られているのだった。

 台湾海峡有事が目前とされ、高度防衛準備状態DEFCON3が発令されているから無理もない。

 基地内の雰囲気は張り詰めていた。おそらくは近く前線への出撃基地となるであろう沖縄への部隊移動命令が出るのではないか。

 そんなマシューの想像を裏付けるかのように、基地内では燃料や弾薬から食料品に至るまでの物資輸送が頻繁に行われている。士官も兵士も誰もが慌ただしく、ピリピリとした雰囲気があった。

 そんな中でも実戦経験豊富なマシュー中佐には、この状況を楽しむ余裕があった。

 人民解放軍PLAのEMP攻撃によって本国や世界各国の米軍基地との通信が途絶するという異常事態下ではあるが、その程度で軍隊の日常は揺らぎはしないというのがマシューの経験に基づく感想だった。

「隊長、待ってましたよ。やはり、隊長がいないとどうもカードは盛り上がらない」

 柄にもないお世辞を言ったのは、戦闘機搭乗員としてはギリギリのサイズの体格のアフリカ系の男だった。彼の名前はヨアキム・アンダーソン大尉。

 マシューの率いる第12海兵航空群所属の第121戦闘攻撃航空隊の部下の一人で、彼もベテランの域に達している搭乗員であった。

 陽気な笑顔を浮かべる彼は、海兵隊搭乗員の中でもカード好きとして有名だった。

 現在のところは部隊の移動や戦闘配置は発令されていないとはいえ、戦時が間近かもしれぬこの状況でも、この男の屈託のなさは変わらない。

 今日も同僚たちを駆り出して、円形のテーブルに陣取ってポーカーに興じている。

「どうせ、俺の給料を巻き上げようという魂胆だろう」

 マシューはそう軽口を叩くと、ヨアキム大尉のひいた椅子に腰を下ろす。

「中佐が相手じゃあ厳しいな」

「こりゃあ、そろそろ降り時だな」

 同席していた搭乗員の二人はそう言って逃げようとする。

「まあ付き合え、なに手加減はするさ」

「勘弁してくださいよ、隊長の悪運の強さには勝てない」

「そうそう、隊長のカードはえげつないからなあ」

 そういって渋る二人だが、目は笑っている。

 大尉が座席に座ると同時に、ヨアキムは散らばっていたカードをまとめ始める。

「台湾海峡はだいぶマズいことになっているようですな。我々の出撃もありますかね」

 世間話のような口調で言うヨアキムに、中佐は答える。

「さあな、一介の中佐にはわかりかねるよ。我々が出来るのは急いで待て、さ」

 マシューはそう言って韜晦すると、わざとらしく肩をすくめる。

 ヨアキム中尉はすべてを察した顔をすると、無言のまま手慣れた手つきでカードをシャッフルし、一枚ずつカードを滑らせる。

 他の二人も中佐が言いにくい事情を抱えていると察してカードを受け取る。

 マシューの手元に来たカードは、スートもバラバラで数字も役になりそうなものはないものだった。

 だが、彼は表情一つ変えずに手札を揃え、他の三人の表情を観察する。

 ヨアキムの顔は喜色満面といったふうに見えたが、彼はこれではったりが上手い。

 戦闘機乗りとしてはガッツを前面に出すタイプだが、周囲の士気を盛り上げる演技の上手さの現れでもある。

「パスだ」

「ベッド、三枚追加」

 ヨアキムはそう言いながら、安っぽいプラスチックのチップをたたきつけるように置く。

「そういえば中佐、スマートフォンは無事ですか」

「日本人が言うところの『文鎮ペーパーウェイト』という奴さ」

「チャイナのEMP攻撃だそうですな、こういう時はアナログなゲームに限る」

 マシューはその言葉に違いないと笑う。

「レイズ、三枚追加。現時点では、分からないと答えるしかないな」

「コール」

「レイズ、二枚追加だ」

「コールだ」

 お互いが顔色を伺いながらカードがやりとりされ、最終的にカードがオープンされていく。

「フルハウスだ」

 マシューはさえない顔で手札をさらす。

「フォアカード、隊長悪いがいただきですな」

 ヨアキムは小躍りしかねない顔つきでカードを場に放り投げる。

 他の二人はワンペアとツーペア、という手札でこの回はヨアキムの一人勝ちだった。

 しかし、彼の得意顔は長くは続かなかった。

 急に遊戯室の照明が消え、真っ暗になる。

 EMP攻撃からの復旧工事に手違いでもあったのか。一瞬そう思ったマシューだが、事実は違ったようだ。

 暗闇の中で遊戯室のドアが蹴破られ、何人もの人間が部屋に雪崩れ込む気配がする。

 兵士たちの動作には無駄がなく、どんな魔法のシューズを履いているのかはわからないが足音もほぼ無音だった。

 窓から入ってきた月明かりを、暗視装置のレンズが反射した。

 少なく見積もっても十人近い武装した人間が自分たちを威圧しているのが、ようやく暗闇に慣れた目に見える。

 遊戯室にいた面々が彼らの接近を察知出来なかったのも道理だな、とマシューは思う。

 マシューも格闘技は嗜む程度に修めてはいるが、これだけの練度を持つ部隊に通用などしないだろう。

 不意に、電源が復旧する。

 非常用電源に切り替わったのだろう、と推測する。

 こちらが呆気にとられ、反撃をする覚悟も武器もないことを確認したのか、部隊の指揮官らしき男が話しかけてくる。

「121飛行隊長のマシュー中佐ですな」

 彼は小銃を構えてながら、そう問いただす。

 マシューはすぐには返答せず、室内になだれ込んで来た兵士の装備を確認する。

 折りたたみ式の銃床を備えたライフル銃に、グレーを基調とした都市迷彩の制服にボディアーマーにFRP製のヘルメット、戦闘用ゴーグルといった完全装備だ。

 丸腰でハンドガンすら持っていないマシューに抗しきれる相手ではない。

 英語のアクセントはわかりやすい日本語なまりがあり、体格や髪の毛からもすぐにアジア系であることは分かる。国籍章や部隊章のない装備ではあっても、その正体の推測は容易だった。

 おそらくは我々の海兵隊MAR特殊作戦部隊SOCに該当する「第一水陸機動連隊WAiR」か、「第一空挺師団ナラシノ」か。どちらにせよ、特殊部隊としての訓練を積んだ男たちに違いなかった。

 彼らの目的はなんだろうと、中佐は推測する。

-仮に基地を制圧する目的なら、もう色々と終わった後だろう。私が彼らの指揮官ならば第一に基地司令の身柄の確保、第二に司令部並びに管制施設の制圧、戦闘機搭乗員の拘束など一番後で良い。

 うんまあ、そんなところだろうな。陸戦は素人だが、まあ当たらずとも遠からずというところだろう。なんてこった、こりゃ詰んでるな。

「そうだ、私がマシュー中佐だ。君たちは」

「残念ですが。私たちにそれを開示する権限はありません、中佐殿。ただ、ハーグ陸戦法規を遵守する事はお約束します」

 綺麗なイントネーションの英語で指示され、マシュー中佐は両手をあげながら心の中で嘆息した。

-一体、何が起きているんだ?何故同盟国軍に拘束される羽目になった?

マシュー中佐の疑問に答えてくれる人物は、残念ながら見当たりそうになかった。

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