第136話 乾坤一擲

 壇上の二人の大統領選挙候補者とその側近たちは、半ば呆然と我先に逃げ出していく人々を見送るほかなかった。


 とはいえ、パニックも会場の半数程度の人間が脱出していったあたりで、収まりつつあった。爆発音はよく聞いて見れば間遠であり、また回数も少なくなっている。


 会場に残った人たちはいくらか冷静さを取り戻したように見えた。


「このままこの講堂に残ってください!心配ありません、この会場には爆発物はありません。事前に、入念に検査しております」


 制服姿の警官たちは流石に冷静沈着だった。大声で叫びながら、会場を足早に駆け回っている。その威圧的な様子に目をしかめる市民もいたが、彼らの努力は無駄にはならなかった。


 市民の興奮は次第に収まり、会場に留まる市民も少なくはなかった。普段どんな思いを警察組織に抱いていようとも、爆発音が響くような現場では制服姿の警官たちは頼もしく見えるのだろう。


――パニックが起きるのまでは予定内だったが、少しばかり会場の人間が逃げすぎたな。


 どうにか予定通りに会場内へ潜入しおおせたグレゴリーは、コートの胸元のポケットからタバコの紙箱を取り出す。

 嫌煙家なのか、はたまた何を暢気なと思ってなのか、非難がましい視線がいくつか向けられる。


 内心さほど愛煙家という訳でもないのだが、この時代の人間を装う演技が染みついてしまっているのだった。


 紫煙をくゆらせつつも、視線は望んだ変化がいつ現れるのかを今か今かと待ち望んでいる。その変化はこの「異常な二年間」の間にSRAがこの合衆国に用意周到に仕掛けてきた浸透工作の成果そのものでもあると言えるのだった。


 SRAが合衆国に対する平成日本の取ってきたありとあらゆる和平交渉に関する情報を分析してきた結果は、ある種残酷なものだった。


 合衆国市民の誰もが、自分たちが所属する国家の正義を信ずるがあまり、ある種異世界からの来訪者である未来人――平成日本人の存在そのものを認めていないのだった。


 多くの合衆国市民からは日本人は、、「悪辣な侵略者、合衆国の敵」としか認識されていなかった。


 戦前に『蒋介石夫人』である宋美齢らが多大な資金と人員をつぎ込んで行ったロビー活動、そこでふりまかれた反日プロパガンダの影響とはそれほどまでに大きい影響力をもっていた。


 平成から転移してきた日本人が、この世界大戦の時代に適応しつつあるのとは対照的であった。この時代の人間と、平成の時代の文化的経験値の違いというべきかもしれない。


 平成日本人の多くは、日頃から商業的思考実験の産物――タイムスリップやタイムトラベルに類するありとあらゆる映画や小説、ゲーム――を消化してきたのだ。

 サイエンス・フィクションが未だ勃興期にある合衆国とは対称的であった。


 ともあれ、特殊戦略調査班とSRAが共同で行った合衆国へのプロパガンダ作戦である「まほろば作戦」は合衆国人の意識を変えつつあったが、選挙を左右するには時間が足りなさすぎた。


 日本政府はその情報をもとに、NSCが中心として国防軍、SRA等ありとあらゆる機関に戦争終結への戦略を構想させた。


 軍事的強攻策のいくつかは検討の俎上に載せられたものの、戦争終結への道を遠ざける、あるいは国民世論の賛同が得られないとして却下された。


 結果、SRAが提案した政治工作が採用された。ありとあらゆる手段で情報をかき集め、継戦派であるルーズベルト大統領の政治生命そのものを葬り去る計画、ドッペルゲンガー計画であった。


 計画の立案段階では暗殺も検討されていた。しかし、政治学者や心理学者たちが行ったシミュレーションでは、戦争継続の声を大きくするだけだと結論づけられた。


 そのうえ、「一度目の歴史」では、副大統領のトルーマンがすぐに政務を引き継ぎ、原爆投下という惨禍へ繋がったことも重視された。


 であるならば生命を奪うよりも、継戦派の象徴たる大統領への信頼そのものを地に落とすものでなければならない。


 SRAは日本国内の研究機関や図書館、はたまた古本屋街等に残る、ありとあらゆるフランクリン・デラノ・ルーズベルトに関する資料をかき集めて分析を行った。


 そして、その『致命傷』を見つけた。ただし、この戦争を終わらせる切り札であるだけに、SRAの職員たちは膨大な時間をかけてホワイトハウスやワシントンDC各所の衛星写真を、入念に分析してからその確信を得た。

 

 そして、その情報を元に『仕掛ける瞬間』は今この場をおいてなかった。選挙前、投票先を決めかねている市民が、決め手となる情報を得ようとしている瞬間を。


 SRAが施した準備は完璧だ。グレゴリーと同じような潜入工作員が4名もこの大学構内に散っている上に、選挙スタッフや大学関係者にも「お友達」が潜んでいる。


 グレゴリーたちを潜水艦で合衆国に送り込んでから、この瞬間を用意するためにSRAは全力を傾けてきたといってよい。


――すべてはこの瞬間のために、だ。それにしても、戦争を終わらせるのが銃弾でも反応兵器攻撃でもなく、情報とはね。皮肉なものだ。


 この時代の人間たちは戦争を決するものが、艦隊決戦や航空戦であると信じて疑わないだろう。だが、平成の時代の人間にとって情報は決戦兵器そのものだ。

 そんな思考を遮るように、合衆国市民と警察官の言い合う声が耳に入る。


「大統領をすぐに移動させるべきではないのか、ここは危険だ」


「落ち着いて、不用意に動けば爆破犯の思うつぼです。この講堂は安全です」


 詰め寄る老人に若い警官が困った顔で応じているのを横目に、グレゴリーは冷静に状況を見ていた。その手にはこの時代のカメラに偽装されている、デジタルカメラが握られている。決定的な瞬間を映像に収めるために用意されたものだった。


――あいにくだが、この講堂から大統領たちが動くことはない。

 

 SRAが無線傍受などで得た警備計画では、この講堂を拠点に応援が到着するまで大統領を守り切る計画になっているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る