第135話 討論会
討論会会場に選ばれたベルモント大学の講堂は、既に満席であった。
歴史的な選挙戦の最終盤というだけあって、観衆の熱気はすさまじい。
座席を確保できずにせめて立ち見しようと学生だけでなく、身なりの良い老人から労働者風の男たちまで、多彩な階層に属する人間が集まっている。
混み合う講堂内には屈強な体つきの警官たちが、油断なく場内を行き来していた。
警官たちの腰のホルスターには拳銃が納められ、手にはいつでも振り回せるような黒光りする警棒を持っている。
彼らの顔つきは一様に堅く、少しでも怪しい素振りでも見せれば発砲されかねない雰囲気があった。
既に舞台の上では司会役を務めるラジオ局のアナウンサーが、緊張した面持ちで何度も進行台本をチェックしている。
右側の机の方には共和党側のフィッシュ候補の姿があった。椅子に腰掛け、置かれている資料に目を通している。
一方、左側の机の方には誰も姿が見えない。その周辺で何人かのスタッフが忙しく動いてはいるが、まだ誰も姿を現していない。
フィッシュ候補がちらりと腕時計に目を落とす。
既に討論会開始予定時刻から30分以上が経過している。
「申し訳ありません、大統領専用車の到着が遅れております。道路の事故渋滞がひどい有様でして」
大学の関係者らしい中年男性が、禿げ上がった額ににじんでいる汗を拭きながら頭を下げる。
「そういうことなら仕方ない、選挙戦にハプニングはつきものだからね」
そう言ってフィッシュは余裕のありそうな笑いを見せるが、内心はこの大遅刻が選挙を左右しかねないと気をもんでいた。なにしろ、新聞各紙や調査会社の世論調査では現職側に僅差とはいえ、先行される立場なのだ。
この三度目の討論会で印象を逆転できない限り、フィッシュの逆転の目はない。
とはいえ、罪のない大学側に苛立ちをぶつける訳にもいかず、内心とは裏腹に笑顔を浮かべることしか出来なかった。
選挙戦において笑顔は、攻撃にも防御にも使える武器なのだった。
焦燥感を覚えながらも、無情に時は過ぎていく。
現職大統領、F・D・ルーズベルトが会場に到着したのは、予定時刻から45分も経過した時点での事だった。
「ニューディール政策が雇用を生み出したとする大統領の言説は間違っております。正しくは戦争経済へ移行したことにより、戦争特需が巻き起こったに過ぎません」
フィッシュ候補はたたみかけるようにマイクに向かって吠える。
「解釈の違いですな」
一方、ルーズベルトの答えはどこまでも理性的に見えた。
「低下の一途をたどっている失業率しか目に見える数字(データ)はない。となればあとは解釈の違いでしかない。経済政策の検証というのは、専門の学者でも意見の分かれるところですからな」
ルーズベルトの言っていることは煙に巻くようなものでしかなかったが、観衆の反応はおおむね好意的なものであった。
「しかし、戦争特需はこの戦争が終わればほどなくして終わり、反動としての景気後退がやってくるのですよ。ただでさえ、ニューディール政策や戦争遂行のために肥大化している官僚組織は金食い虫だ」
「そうなれば、新たな財政政策を行えば良い。第三次ニューディール政策を行ってもよいでしょう」
微妙にかみ合わない討論にフィッシュ候補の焦りが見える、というのが多くの観衆の見立てだった。
批判による攻勢でルーズベルトの印象を低下させようとするが、ルーズベルトは老獪に言質を与えることなく、のらりくらりと時間稼ぎする。
ルーズベルトからすれば、この討論会で無理をする必要性はまったくない。獲得している優位を崩さないようにだけ注意すれば良いのだった。
「補助金や公的資金に頼り切る経済政策は間違いなのです。それは連邦政府の官僚独裁につながり、各州の民間活力を奪うだけです。我々は民間企業が自由に商取引を行い、経済成長することによって富を得て、それを再分配すること。それこそが戦後のアメリカを発展させる唯一の道だ」
フィッシュ候補の必死の反論に対しての観衆の反応は冷ややかだった。共和党支持者とおぼしき人々は拍手を惜しみなく行ってはいるが、無党派層とおぼしき人々や民主党支持者は特段の反応を見せていない。
ルーズベルトのわかりやすいようでいて、実は特段の公約を約束する訳ではない言説のほうが支持する拍手の数は多い。
フィッシュが無力感に苛まれているなか、無情にも司会役が、討論会の終了を告げる。
1時間近く遅れて始まった討論会は終了予定時刻が30分延長されていたが、もう残り時間を使い切っていたのだった。
「それでは時間です。それでは皆さん、合衆国の良き選択のために投票所へ赴きましょう」
司会が締めの挨拶をした時だった。
腹の底に響くような低い爆発音が響き、講堂が大きく揺れる。
「何事だ!」
「動かないでください、席へ戻って!安全が確認されるまで、その場を動かないでください!」
警備にあたっていた警察官が必死に呼びかけるのを嘲笑うかのように、再び爆発音が響く。今度は距離が近かったのか、先ほどよりも音と振動が大きかった。
「こんなところにいて死んでたまるか」
「ちょっと、何が起きてるの?」
悲鳴と怒号が溢れ、会場内は混乱に包まれる。
我先に逃げだそうとする観衆を必死に警察官が制止するが、数が多すぎて対処はとても不可能だった。
最初に扉にたどりついた市民が扉を押し開けて外に出ようとすると、何人かの警官が待ち構えていた。
彼らは警棒を手に構えて叫び声で民衆を制止する。
しかし、勢いのついた市民たちの前では多勢に無勢。次々と押し寄せる民衆に、あっという間に飲み込まれる。
会場のパニックは、制御を失いつつあった。
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