第134話 ドッペル計画(プラン)
1942年12月24日15時10分 特殊戦略調査班研究施設
ドッペル計画、その計画の発案は戦略偵察局内部から生じたものではなかった。
それは、民間人を主体とした研究組織である特殊戦略調査班、いや菅生明穂という少女の提案をきっかけとして動き出した。
「結論から言おう。この戦争はいずれ千日手になる」
彼女の唐突な発言に物部耀一郎大尉は、ノートパソコンから顔を上げた。
きわめて真っ当な感覚の持ち主である物部には、一足飛びに結論から発言する癖のあるこの少女の思考に追いつくのは難しい。
ただその発言をなんとか受け止めようとするあたり、育ちの良さが窺える。
彼らがいる部屋はこの特殊戦略調査班のサポートスタッフのオフィスという位置づけになっている。いくつかの無機質なオフホワイトの事務机が四つ島型に並び、青いパーティションで区切られた向こうには会議用のデスクが並べられている。
ベタベタとラベル印刷機で作られた「特戦調」という略号のシールが貼られたノートパソコンが何台か並べられている。スパゲッティと化したLANケーブルがその机の周囲を這い回っているのはご愛敬だ。
調査班に所属する研究スタッフは、個人ごとに独自の研究室を与えられており、わざわざこの部屋を訪れるものは少ない。基本的には明穂のような異能、天才といった類いの人物が多いからだ。
必然、この部屋に居るのは基本的に研究結果をまとめて政府や議員、あるいは軍にレクするための実行部隊。基本的に防衛省や経済産業省をはじめとした官僚たちと、民間企業から引き抜かれてきた事務屋、連絡官等で構成される独立愚連隊である。
今は政府へのレクのために出払っているが、普段は実にかまびすしい組織である。民間と官僚の人材が入り交じる異色そのものの組織であるために、常に緊張感甚だしい側面があるからだ。
明穂は普段なら自宅、あるいは都内某所(通学先からほど近い)に与えられている「研究室」にこもっている事が多い。だが、今日の彼女は2時間後の研究会までを、この部屋で過ごすことに決めたらしい。
相変わらずこの研究施設には不似合いの学校の制服姿だが、今日はどういう気分からなのか、髪型をいわゆるツインテールにしていた。
軍人というよりはキャリア官僚という見かけの物部とは好対照の外見であった。
「千日手というと……文字通りにお互いが決め手を欠き、膠着状態になるという解釈で良いですか」
しばらく考え込んでいた物部はようやくのことで言葉を返す。
短い間とはいえこの特殊戦略調査班という異常な組織の好き勝手な研究に付き合わされている。こういう唐突な発言を彼女がする時は、素直に付き合ったほうがいいのだ。
そうしたやり取りが切っ掛けで、研究に重要な知見がもたらされることを経験で知っていた。
そもそもこの少女の思考回路は、常人のそれとは大きく異なっている。多くの思考過程を高速にこなした後で、急速に結論めいたものを提示してから説明を始めるのはいつもの事であった。
そうした彼女の癖は、彼女の生来の頭の回転の速さと、商業作家という生業のもたらす職業病であると物部は推測していた。
「そういうことだな。まあ、おそらく兵棋演習かなにかで似たような研究がなされているだろうが、まあ会議までの暇つぶしのようなものだな」
「拝聴させていただきます。メモを取らせてもらっても?」
「問題ない。何か疑問があれば途中でも、質問をしてくれ」
大学の講義のような雰囲気だな、と物部は思った。
「まず平成日本の軍事力だが、この西暦1940年代の世界では無敵と言って良い。偵察衛星さえあれば、米軍の動きは手に取るようにわかる上に、誘導兵器によって一方的にアウトレンジから叩く事が可能だ。まあ、この辺は釈迦に説法というところだがな」
「私は情報畑の人間ですから、通り一遍の事しかわかりませんがね」
軍は細分化された分業組織であり、実戦部隊にでも所属していなければ兵器の知識に疎い者も珍しくない。物部は兵器の概要くらいは把握しているが、細かい知識ではミリタリーマニアに劣るだろう。
「逆に米軍は兵器では劣るが、物量では勝っている。唯一の弱点といえば、民主主義国家故に兵士を死なせ過ぎれば政権が危うい事くらいか」
「21世紀と比べれば、この戦争で米軍ははるかに多い死者数を出していますが。選挙を考えれば戦死者はなるべく出したくないのが本音でしょうね」
メディアが高度に発達した2020年の世界では、ほぼリアルタイムに戦況が報道される。今のところ日本政府はそれなりに報道管制を敷くことに成功しているが、完璧ではない。
そのため、たとえ少数であっても戦死者を出す事は政権の致命傷になりかねない。
対照的に、まだ映像メディアが発達していない1940年代の合衆国は新聞とラジオが庶民のアクセス出来るすべてだった。家族が戦地に赴いている人々以外にとって、戦争は他の惑星の出来事と同じなのだった。
「米軍にとっては日本の進みすぎた軍事技術が、日本にとっては戦後七十数年すり込まれてきた平和主義と劣る国力がネックになっている。技術的には
「それが千日手の意味ですか」
自分よりアクセス可能な情報の限られているのに、日本の置かれている戦略状況を読み切っているのか、彼女は。
物部は驚くというよりは、呆れるような思いで彼女を見ている。
能力が高いというより、人としてどこかのタガが外れているのかもしれない。
「問題は時間だ。あまり時間をかけ過ぎれば、独ソ戦の決着がつきかねない」
「独ソ戦の勝者が仮にソ連ならば、かつての史実通りに挟撃されかねませんね」
そうなれば、確かに日本にとっては悪夢そのものだろう。スターリンが樺太や満洲に攻め込んでくれば、いかな平成日本といえど厳しい。
「それで、あなたは何を打開策に考えておられるのですか。何か考えついておられるのでしょう?」
「なに簡単なことだ。1944年のアメリカ大統領選挙に介入する。逆に言えば、それまでの2年をなんとしてでも稼いでもらう必要があるわけだが」
「また無茶苦茶な…露見すれば停戦交渉が破綻しかねない」
物部は天を仰ぐ仕草をして、大きくため息をつく。
前提条件の1944年まで、アメリカの軍事攻勢を凌ぐという事すら至難の業なのだが。
「2016年の大統領選挙。あの選挙ではロシアと中国がサイバー攻撃で世論誘導を行ったと記憶しているが」
明穂は挑戦的な笑みを浮かべながら、試すように言う。
「全体主義体制下の国家が行うような行為を、日本が出来るとお思いですか」
「民主主義国家の諜報機関であるCIAも、南米では好き放題やっていたと記憶しているがね」
そう言われて、思わず物部は言葉に詰まる。
情報畑の人間として彼女の言っている事に理があることは認めざるを得ない。しかし、その選択がもつ危険性について言わない訳にはいかなかった。
「諜報機関というのは諸刃の剣なんです。ただでさえ権限が肥大化している戦略偵察局が、さらに権限を拡大する事になりかねません」
仮にこの介入を政府が承認すれば、主導権を握るのはSRAになるだろう。対外諜報能力において、彼らを凌駕する機関は存在しない。
「だが、今を乗り切らなければ未来もない。今は有事、非常の手段を覚悟するべきではないのかね。SRAとやらの問題は戦後に考えればいい問題だ」
あっさりそう言われると、物部もそれが些末な問題のように思えてくる。
アメリカのCIAのように諜報機関が暴走する事態は看過すべきではないが、それは政治が解決すべき問題でもある。
「わかりました。具体的な手段について、何かアイデアはありますか」
彼女の「思いつき」とやらをひとまず研究レポートにまとめてみようと、物部は文書作成ソフトを立ち上げる。
キーボードで彼女の語る事をメモしながら、物部は自分の知っている官僚や政治家たちの顔を思い浮かべた。
こんなことを思いつく人間は、SRAをはじめとする官僚機構にいるだろうか。まあ、どこかには変わり者がいるだろうが、日本の官僚組織では冷遇されるだろうな。
政治家ですら、おそらく考えには至るまい。
国際法を守る遵法精神というよりは、他国の選挙に介入するという事そのものが平和ボケした政治家の想像力の範囲外なのだ。
だからこそ、この政治的問題に溢れている異端の発想を、この異端の組織の彼女しか形にすることが出来ないのだ。
「まず、ロシアや中国のようにサイバー攻撃でともいかないからな。やはり、アメリカ本土へ直接工作員を送り込むほかない。人種の問題もあって、容易ではないだろうがね」
「アメリカ本土では日系人は強制収容所へ送られて隔離されていますし、アジア系の人間は厳しく監視されているでしょうね」
物部は手元のノートパソコンで情報本部のデータベースにアクセスしてみる。ざっと十数冊の一般書籍や外交文書などがひっかかるが、この中から有用な情報を抜き出すのは骨が折れそうだ。
「まあ、詳細を考えるのはプロにお任せする。いざとなれば整形や特殊メイクという手もある」
特殊メイクというのは難しいだろうな、と物部は思った。わずかな時間活動するだけならともかく、多くの時間を要する任務ではメイクの崩れというのも気にしなければならない。はじめから欧米系の人間をスカウトした方が早い。
1940年代ならともかく、この2020年代の日本であればそういう人材もいるだろう。それを考えるのは俺の仕事ではないのだが。
「わかりました。貴女のご提案をレポートの形にまとめます。形になり次第、上にあげてみます。もちろん、レポートがどのように活用されるかはわかりませんが」
物部は自らの仕事に忠実にそう答えた。どんな馬鹿げた思いつきでもすくい上げて、この戦争を終わらせるための戦略へと活用する。
それこそが、特殊戦略調査班という異形の組織が存在する意義なのだから。
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