第131話 真珠湾港(パールハーバー)閉塞す

1944年10月4日11時23分(ハワイ時間) 

 

エセックス級航空母艦『ランドルフ』はつい最近、東海岸の造船所から西海岸へ回航されたばかりの新造艦であった。

 アメリカ海軍は犬吠埼沖海戦およびトラック諸島沖海戦(ともに米側呼称)で喪失した艦艇の建造を急ピッチで進めていた。

『ランドルフ』もそのうちの一隻という訳だった。

 艦橋アイランドのガラス窓から見える景色は壮観だった。

 最新鋭のF6Fヘルキャット戦闘機が翼を揃えている。

 その中にはグラマン社のG58と呼ばれる試作機も混じっている。

 グラマン社の技術者とともに送り込まれてきた、鳴り物入りの新型戦闘機だった。正式採用はほぼ確実視されており、将来的には「F8F」と呼ばれる事になるはずだった。

 甲板上ではカタパルトに機体が固定され、甲板作業員たちが忙しく発進前のチェック作業を行っている。

「ようやく形にはなってきた、というところか」

 チャールズ・A・パウナル少将は神経質そうに、その作業を見守っている。

 先日の「プロメテウス」作戦によってアメリカ海軍は、合計八隻もの航空母艦と四隻の護衛空母、そして多くの護衛艦艇を喪失した。同作戦がもたらした犬吠埼沖海戦、トラック諸島沖海戦は事実上太平洋艦隊を消滅させていたのである。

 特に艦載機のベテランパイロット、そして空母機動部隊を指揮する経験を積んだ将官の戦死や行方不明は痛かった。圧倒的な工業生産力を持つアメリカとはいえ、経験を積んだ将兵はすぐに補充出来るものではない。

 かつての硫黄島沖海戦では闘将ウィリアム・F・ハルゼー大将と空母四隻を失い、再建に一年以上を要した。それだけの期間をかけてようやく再建した艦隊が、再び軒並み海の藻屑と消えた。

 さらに、今度はレイモンド・スプルーアンス中将、マーク・ミッチャー中将という二人の偉大な指揮官をも失った。おかげで、かつて事実上の更迭の憂き目にあっていたパウナル少将にまで、再び空母機動部隊指揮官のポストが回ってきたのである。

 太平洋艦隊司令長官のニミッツ提督としても、おそらく苦渋の決断だっただろうと、パウナルは内心自嘲している。彼の正式な役職名は第53任務部隊TF53第2群、その司令官であった。

 ちなみに第1群は任務部隊司令官、『硫黄島の英雄』アーレイ・バーク中将が直卒する部隊だった。無論、拝命したからには任務をやり遂げるつもりではいる。とはいえ、周囲に信頼されているかといえば自信が無かった。

 特にパイロットの連中からは、慎重というより積極性に欠けた臆病者という視線を向けられているのが現状だった。

「だが、慎重にもなるだろうよ」

 パウナル少将の目線の先では、ひよっ子パイロットたちがかなりの時間をかけてようやく大空へと発艦していく。

-あれでは着艦時の事故も想定しておかねばならないのではないか。パウナルは思わず心中で嘆息する。

 一秒を争う空母機動部隊同士の戦いにおいては、発着艦の遅さは致命傷になりかねない。憂慮すべき事態だった。

 発艦装置-カタパルトを装備していないという日本空母相手であれ、油断は禁物だった。「あと三ヶ月は必要だな…」

 トラック諸島と犬吠埼で失ったパイロットは少なくとも5000人以上に上る。

 救助に差し向けた潜水艦もことごとく撃沈され、救助出来たのは極端に少ない。ただ、 赤十字社からかなりの数のパイロットが捕虜となっているという情報が入っているという。生存者の情報は喜ぶべきことだが、仮に本国に戻れるとしても相当の時間がかかるはず。少なくとも次の戦闘には間に合わないだろう。

「問題は日本軍がそれを暢気に待ってくれるか、だな」

日本軍はミッドウェー海戦の後、積極的な攻勢を行っていない。パウナルが読んだレポートでは、ミッドウェーで優秀なパイロットを数多く失った事が原因だという。かれこれ2年近く日本軍は戦線を縮小し、南部太平洋からは完全に手を引いている。

そのかわり、本国と資源地帯への海上通商路は盤石なものとなっているそうだが。

「どこかで攻勢に出てくる可能性は否定出来ません。先日、ミッドウェーを奪っておきながら何もしないという事はあり得ないかと」

情報参謀のアダムズ大佐は口髭をしごきながら、さも当然というように言葉を返す。パウナルもアダムズも(徹底的な情報隠蔽工作が行われている事から)本国が日本軍のロケット攻撃によって被害を受けた事実までは知り得ない。

「まさか、ハワイではないだろうな?」

「否定は出来ませんが、あり得ないでしょう。仮に占領出来たとしても、補給が続く訳がない」

アダムズはあっさりと否定する。

いわく付きの司令官であるパウナル少将に対しても、この男はまったく態度を変えない。取り入ろうという態度も見せないが、さりげない気遣いは出来る男とパウナルは評価している。

パウナルにしても、日本軍が本気でハワイ攻略に乗り出すとまでは考えていない。

ミッドウェーを押さえたとはいえ、本国から遙か6500キロも離れ、さらには強力な艦隊や航空機、強力な要塞砲で守られているハワイを占領することは不可能に近い。

「まあ、そうだろうな。彼らも反応兵器の存在を意識せざるを得ないだろう」

-2個機動部隊を代償にした上で、だがな。パウナルは心中にそう付け加える。二つの空母機動部隊を含む三個任務部隊が、いわば囮として用いられた事実は海軍に暗い陰を落としていた。誰もが表だって口にこそしていないが、自分たちの存在意義が否定されているような感覚はパウナルも理解出来た。

「司令官、予定通り全機発進が完了しました。この後、『ボノム・リシャール』と『シャングリラ』の艦載機群と標的艦への攻撃訓練を行います。その間、『マニラ・ベイ』『セント・ロー』の艦載戦闘機が上空直掩に回ります」

航空参謀の報告に、パウナルはうなずく。

「本艦はこれより収容予定海域へ移動を開始します」

『ランドルフ』艦長は、形式通りの報告を寄越す。

 艦橋の雰囲気は発艦が事故無く終わったことでわずかに弛緩する。それを一変させたのは、艦長席に据え付けられている艦内電話のベルだった。

 無線室からの報告に、艦長の顔が強ばっていく。内容はピケット艦として周囲警戒に当たっている防空軽巡からの入電だった。母港からさほど離れていない訓練海域とはいえ、虎の子の機動部隊であるから周囲警戒は厳重だった。艦長は司令官であるパウナルに向かって、入電の内容を報告する

「『リノ』より入電。対空電探に感あり。数30、真方位2-5-5、距離1200マイル。高度25

000フィート(約7600メートル)を速度およそ560マイルで飛行中。ハワイ方面へ向かうものと思われる」

「高度25000を時速560だと?確かなのか」

 パウナルは思わず聞き間違いを疑い、聞き返す。

 アメリカ軍が保有する航空機の中で高度25000フィート(7600㎞)を560マイル(約900㎞/h)もの速度で飛行出来る航空機は存在しない。少なくともパウナルが把握している範囲内では。

「間違いありません。日本軍の新型機です。迎撃しますか」

「直掩機は迎撃に向かわせろ。ほかの艦載機はすぐに無線で艦載機を呼び戻せ。ただし、戦闘機のみだ。それ以外はヒッカムへ降りるように伝えろ」

パウナルの決断は素早かった。

積極性に欠けると非難される事も多い男だが、伊達に少将にまで昇進した男ではないという事かもしれない。

「ヒッカムの陸軍飛行隊へ通信を入れて、迎撃機の発進を要請しろ。それから、発艦した戦闘機は母艦に降り次第、実弾搭載を急がせろ。訓練弾では戦えん」

 艦長と航空参謀は敬礼すると、すぐに航空管制と艦載機収容の指示を下す。

 急速に艦橋が慌ただしくなり、先ほどまで休憩を取っていた甲板作業員が再び甲板を駆け回り始める。

-迎撃は可能だろうか、いや無理だな。敵の速度が速すぎる上に高度も高い。

 高高度に達する前に、敵は目的を果たす可能性が高い。迎撃機が高高度まで達するには、それなりの時間を要するからだ。脳内で複雑な計算をしながら、パウナルはため息を漏らしたい誘惑に駆られる。

敵航空機の性能がにこちらの常識を凌駕し過ぎていて、取れる選択肢はあまりに少ない。

再び艦内電話のベルが鳴り響き、艦長が受話器を取る。

「電探に反応多数。おそらく、敵爆撃機が何かを投下した模様」艦長の復唱に、艦橋の面々の顔が一気に強ばる。

「奴ら、高高度からの精密爆撃でもやるつもりなのか」

高高度からの爆撃はアメリカ陸軍航空隊も試みてはいる。陸軍航空隊の新型爆撃機B-29『スーパー・フォートレス』が、今年6月に中華民国の成都から日本の八幡製鉄所の爆撃に出撃した。しかし、エンジン不調等で中途離脱した12機を除いて作戦参加した63機全機が撃墜の憂き目にあっている。

いくら護衛戦闘機がついていなかったとはいえ、ハリネズミのような防御機銃を装備する『Bー29』飛行隊の損害に陸軍上層部は衝撃を受けた。そのため、以降のB-29爆撃機の出撃を禁止しているという。

 パウナルもそのリポートには目を通していた。

「キュウシュウの意趣返しを、ハワイでやろうというのか」

しかし、高高度から落下してきたのは爆弾ではなかった。

この艦橋からも十分に視認出来る速度で落ちてきたのは、確かに爆弾に似た形の物体だった。

しかし、爆弾であるならば落下傘を付けてまで楽に視認出来るほど落下速度を遅くする訳がない。

「機雷か。白昼堂々、このハワイ上空で好き勝手やってくれる」

パウナルは思わず天を仰ぎながら呻く。視認するのも困難な高度から日本軍が投下した機雷の数は、ざっと見ても百を超える数だった。ようやくの事で戦闘機がこの『ランドルフ』にも降りはじめていたが、銃弾を補給して再出撃する頃には敵航空機はこの海域を飛び去っているだろう。

 それよりは、未熟な腕のパイロットが着艦事故を起こさないように気を配るべきかもしれない。

「全艦艇に命令だ。エンジン停止の上、現在位置にて待機。それから、太平洋艦隊司令部に打電。『至急、掃海艇の派遣を要請する』とな」

パウナルの命令は後の報告書において、この状況下においては適当なものであったと誰もが認めるものだった。

 しかし、この時の日本軍航空機による機雷投下によって、第53任務部隊は二隻の駆逐艦と新造航空母艦である『ボノム・リシャール』を失うこととなる。

 その後も潜水艦や航空機による機雷の敷設は執拗に続けられた。戦闘機や駆逐艦の必死の抵抗にもかかわらず、太平洋艦隊司令部が真珠湾外への艦艇出撃を断念せざるを得ない事態にまで発展する事となる。

ここにアメリカ太平洋艦隊は、事実上その機能を喪失する事となった。

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