第130話 政治的に正しい戦争


1944年10月15日20時45分(日本時間)


「アメリカ国内の最新の世論調査結果をご覧ください。投票までまだ時間がありますが、現在現職のフランクリン・D・ルーズベルト大統領が10ポイント近く差をつけてリードしています」


 戦略偵察局局長の猪口は、レーザーポインターでプロジェクターで大型スクリーンへ投影された英字新聞のグラフを指示しながら告げる。


 もはや何度開かれたか誰もが記憶できていない、NSC定例会合の席上だった。

 ビデオ会議システムよる遠隔会議が常態化して久しく、この首相官邸の会議室にはごく少数の人間しかいない。

 

 トラック島・択捉島被爆の後、万が一の事態に備え閣僚が集合することは極力避けるよう通達が出されているからである。


 官僚の出席者はいない。一応、端末前に待機している担当者が答えることになってはいる。しかし、桐生内閣になってからは基本的に各大臣が議題について受け答えすることが推奨されている。


 また、タブレットやノートPC端末の使用が義務化されてから案外に十分会議が回ることがわかってきた。


「やはり現職は強いですね」


 立川広域防災司令部から遠隔参加の峯山防衛大臣は、特に衝撃を受けた様子もなくそう言った。背広ではなくグレーの作業服に身を包んでおり、いつもの伊達者らしさは身を潜めている。


 淡々と端末に配布されている英字新聞に目を落としている。英国への留学経験者だけに、英字新聞の記事を読むのは造作も無い。


「しかし、このままでは不味い。主戦派のルーズベルト大統領が勝てば、日本との戦争の継続は不可避です」


 羽生田外相の言葉も淡々としたものだが、顔は渋い。

 無理難題を押しつけられた市役所の中間管理職、といった趣きではあったが。


「ドッペル計画プランは進行に問題はないのか」

 

 室井副総理の質問にも、猪口局長の表情に変化はない。


 室井副総理は沖縄現地視察の最中であり、かりゆしウェア姿での参加であった。

 現在の昭和日本のままの沖縄では違和感しかない姿だが、まだ日中の暑さが残る沖縄の夜では涼しくて良いのだろう。


「現在のところ、計画は予定通り進行しています。そもそも史実ではトマス・E・デューイが出るはずだった訳ですから。先日も説明しましたが大統領選挙の構造自体が現職に圧倒的有利に作られているのです」

 

 事実、戦後においてもほとんどの大統領選挙では現職側が二期目に挑む場合、ほとんどのケースで現職側勝利という結果に終わっている。例外はカーター大統領など、一期目によほどの失点をした場合に限られている。


 前大統領フーヴァーの経済失政をいわゆるニューディール政策によって回復させたルーズベルト大統領に表向きの失点はない。


 戦争に限っても、硫黄島沖海戦で大敗北を喫したものの「『新型爆弾』によって日本海軍の二つの根拠地を壊滅させた」というプロパガンダは、合衆国市民に勝利への幻想を抱かせるには十分だった。


「計画に問題はありません。布石は十二分に打ってあります」


 事もなげにそう言い切って見せる。


「そうは言うがね、猪口君」


 羽生田外務大臣は、大臣室の自分の机の上で不満そうな顔をしている。


「外相、今はそこまでにしてくれ。もとより選挙は水物、完璧を期する事には無理がある。ここまで場を整えただけでもよしとするほかない」


 桐生は不満げな羽生田外務大臣をなだめると、続けるように促す。


「猪口君、先日調査を命じていた件について聞かせてくれ」


「現在、偵察衛星で軌道上からホワイトハウス等を常時画像解析しておりますが、大統領が出入りする頻度は極端に低くなっております」


「いくら現職の大統領とはいえ、選挙戦を控えてこれだけ動きが少ないのは不自然だな。やはり、戦略偵察局SRA情報分析班の仮説が正しいという事か」


「確証は得られておりませんが、状況証拠は揃いつつあります」


 猪口の顔は言葉とは裏腹に、分析に絶対の自信を持っているように見える。


「偽装してはいますが、医療スタッフが二十四時間体制を敷いていることは確定しております」


 続けて猪口は軌道上から撮影したホワイトハウスの拡大図を投影し、その上に何枚かの写真をオーバーラップさせた。


 何人かの人物の看護師や医師姿の写真と、スーツ姿の白黒写真であった。

 履歴書か何かの写真なのだろう、正面を向いたバストショットばかりだ。


 猪口がマウスのボタンを押すと、白黒の写真がカラー化される。AIによる自動彩色か何かだろう、と桐生は推測する。


「戦時の大統領でそれなりの年とはいえ、この数は多すぎるな」


 峯山大臣の言葉に誰もが肯定を返す。


「SRAは引き続き、ドッペル計画を進めてくれ。君たちに国家の命運がかかっている」

 

 桐生はそう裁可すると、続けて室井副総理に会議の進行を促す。


「峯山防衛大臣、国防軍の作戦状況ついて報告を」


「了解いたしました。先日国防軍はトラック択捉被爆への報復攻撃として、米本土弾道弾攻撃『屋島作戦』を実施。作戦目標の67パーセントの破壊に成功しました。作戦としては、成功と評して差し支えないかと」


 プロジェクターで映し出された映像に対して、拍手はおろか浮ついた声さえ漏れなかった。


 この戦争においてソロモン作戦などの兵力撤収作戦以外は、桐生内閣は停戦交渉を成功させるために受け身に徹してきた。その禁を破り、通常弾頭とはいえ大陸間弾道弾という近代戦略兵器の積極使用に踏み切ったのだ。


 反応兵器のこれ以上の実戦使用を阻止するためとはいえ、停戦どころか戦争激化を引き起こしかねない危険な賭けであった。


「同時に国防海軍を中心とした『HW任務部隊TF』は『布号作戦』を実施、予定通り海上通商路シーレーンを封鎖しております」


「こちらの損害はないでしょうね」

 

 羽生田外務大臣は念を押すように質問する。


「現状、国防軍任務部隊に損害はありません」

 峯山防衛大臣の返答はよどみない。


「この作戦により、我々は事実上太平洋艦隊の無力化に成功しております」


「よろしい。引き続き、『布号作戦』を続行したまえ」


 桐生首相の言葉に、峯山防衛大臣は深くうなずきを返す。


「最初からこうしていればよかった、というのは後知恵に過ぎますかな」


 羽生田外務大臣は、彼にしては珍しくためらいがちに質問する。


「『屋島作戦』はともかく、『布号作戦』は可能でした。しかし、それは残念ながら軍事的には可能でも、政治的には無理です。仮に作戦内容を秘匿しても、その後に露見すれば政権がもたない」


「世論調査でも、つい最近まで積極攻勢に出る事への賛否は反対が上回っている」


 室井副総理の指摘には、羽生田外務大臣もうなずかざるを得ない。現状国民世論は米国との戦争を自らとは縁遠い、テレビやネット動画の世界として捉えている。

 

 戦時体制に不平不満はあるが、さりとて、積極攻勢までは望まないというのが世論の動向だった。


「とはいえ、物資の配給制度実施、物資の軍需優先などに対する国民の不満は鬱積しています」


 三枝危機管理監は内閣府が行った世論調査のデータを表示する。

 

 日本商船隊への海上護衛もほぼ完璧に機能しているが、外交上の理由等で原油等の重要物資の輸入量は潤沢とは言えなかった。


「今のところ食料生産に問題がないのが救いでしょうか。日本人は我慢強いとはいえ、事食べ物に関してはうるさいですからね」


 羽生田外務大臣の冗談めかした言い方に、会議の出席者が苦笑する。

 昭和の先達と違い平成の日本人は贅沢に慣れたせいか、食べ物への不平不満が日常的にマスコミやネットを賑わせていたからだ。輸入食材が店頭から消えたことに対する不満は未だに大きい。

 

 とはいえ、米や野菜など最低限生活に必要な国産食材は潤沢に店頭に並んでいるので、文句を言う贅沢を楽しめるとも言えるのだが。


「それが、トラック択捉被爆の発表によって一気に変わる可能性があるという訳ですか」 

 

 羽生田外務大臣の言葉に、室井副総理がうなずく。


「だからこそ、トラック択捉被爆の発表は、『屋島』と『布号』の結果と同時にしたい、というのが総理の意向なのだ」


「なるほど、そういう意図ですか。既に報復攻撃は実施済みであるとすれば、国民も冷静に事態を受け止められる」


 羽生田外務大臣は、楽観的に明るい声で言う。


「事はそう単純にはいきません。国民の反応はおおまかに2つ考えられます。1つ目は過剰防衛だと批判されるケース」


 峯山防衛大臣の言葉は、羽生田外務大臣に釘をさすような口調だった。


「そのケースであってくれることを祈りますよ。まだ冷静さを保っているということですからね」

 

 羽生田はしれっとそう答える。


「…もう一つは反応兵器攻撃による被害に激昂し、さらなる報復攻撃を求める世論が高まるケースです」


「正直、これについては考えたくないですね。外交交渉の余地がなくなってしまう」


 矛盾しているようだが、停戦交渉のような平和外交をするには強権的な国家体制の方が容易い。そのような外交姿勢を軟弱と糾弾され、政権がもたなくなるからだ。

 

 表面上だけ強硬姿勢を取り続ける事の方が、政治的難易度は低い。

 とはいえ、強硬な態度ばかりでは外交交渉そのものが成り立たない。外交と内政は、そのような二律背反アンビバレンスを伴うものだという事を、羽生田もさすがに理解はしている。


「すでに反応兵器攻撃を疑うSNSへの書き込みや、週刊誌やネットニュース報道が出始めています。国防軍をはじめ関係各所の情報統制は今のところ問題はありませんが、限界が近いかと」


 それまで発言を控えていた首相官邸の会議室にいる三枝危機管理監が、スティック状のマウスを操作する。


 共有画面にネット上の一般人が作ったとおぼしき『まとめブログ』やSNS『つぶったー』への書き込みが表示される。


「特に単冠湾は北海道との距離が近すぎました。写真にたまたま映り込んだりしたキノコ雲の写真は枚挙に暇がないほどです」

 

 マウスを操作すると、今度は液晶に別の棒グラフが映し出される。


「これはAIが分析したネット上の反応兵器攻撃に関する書き込みの数量を示すグラフです。このグラフが急上昇したあたりで、動画投稿サイトやまとめブログの記事数が増えています」


 羽生田は喉の渇きを覚え、執務机の上に置かれている缶入り緑茶を開ける。

 石油製品の生産減量を受け、ペットボトルは官邸からも消えて久しい。


「これ以上の隠蔽は不可能と判断します。やはり計画通り、『屋島』『布号』作戦とあわせて公表すべきです」


 桐生首相は胸の前で手を合わせ、遠くを見る目で考え込む。

 一瞬瞑目したあと、決意した表情で口を開く。


「わかった。三枝危機管理監は現時点で判明しているトラック島、および択捉島の被害状況をまとめてくれ」


「わかりました。国防軍と協力して被害調査結果を精査します」


「峯山大臣は屋島作戦の結果を資料にまとめてくれ。マスコミ対策として戦時国際法上の問題がないかどうかも、しっかりとな」


「わかりました。市ヶ谷に戻り次第、作業を進めます」


「室井さんは報道官に記者会見の設定を指示してくれ」


「了解しました。場所はどうしますか」


「官邸のプレスセンターでいいだろう。もちろん、いつも通り参加社は抽選制でな」


「手配します」


「記者会見では、私が直接国民へ理解を訴えるしかない。もちろん、国民の説得に必要な材料を揃えるのには万全を期してくれ」


 会議の出席閣僚全員が緊張した面持ちでうなずく。


「選挙は戦争が終わるまで無いとはいえ、国民の支持なくしてこの戦争の終結は不可能だ。国民を信頼して、託するほかはない」


 桐生首相は自分に言い聞かせるように言う。


「言うまでも無く危険な賭けだ。国会議事堂をデモ隊が取り囲むことになるかもしれない。ともあれ、記者会見の件は決定事項だ。各自調整を頼む」


 桐生は明確な言葉で場を引き締めた。


「私は国民の判断を信じる」


 絞り出すような声に、桐生の苦悩がにじみ出ていた。

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