第126話 アメリカ共産党

ホワイトハウスとは合衆国の大統領官邸であるが、その由来がいささか情けないものである事は意外と知られていない。


 米英戦争(合衆国史では第二次独立戦争と呼ばれる)「ブラーデンスバーグの戦い」で、英国の戦力を甘く見ていた合衆国が返り討ちにあったことが原因であった。


 英軍は容赦なく大統領府を焼き討ちにしたたため、後に仕方なく焼け焦げた外観を誤魔化すために壁を白く塗ったのである。


 白亜の殿堂といった趣の現在の姿からは想像もできないが、誰しも触れてほしくない黒歴史というものがあるということだろう。


 そんな逸話を持つホワイトハウスの西ウェストウィングには、壁建設と同時期に急遽増築された地下施設が存在する。


 日本軍に対する恐怖心を物語るその施設は、仮に爆撃を受けても耐えられるように堅固に設計されていた。


 その建設計画は、西海岸における『壁』の建設と同時期に立案、実行された「本土決戦構想ヴァイタルプラン」の一部である。


 しかし、突貫工事によって完成はしたものの、差し迫った脅威が首都に迫ることはなく無用の長物と化していた。


 目下のところ、その施設の多くは重要書類の保管庫として活用されるばかりであった。


「非常にまずい事になった」


 書類綴がいくつも置かれたテーブルを指で叩きながら俳優然とした整った顔立ちの白人の男は、浮かない表情を浮かべていた。


 高価そうなダークグレーのスーツに身を包んだその男は、ホワイトハウスのスタッフに相応しいこざっぱりとした身なりをしていた。


 アルジャー・ヒスという弁護士あがりのこの男は、ハーバード・ロースクール出身のニューディーラー社会主義者だった。現在はルーズベルト大統領の側近として、合衆国政府を動かすスタッフの一人だ。


「ロスアラモス研究所の話かね」


 こう応じたのは、額の広い眼鏡をかけたインテリ風の男が素っ気なく応じる。

 ヒスの苛立ちが混じる甲高い声とは対照的な、冷たいとも言える声だった。


 男の名はハリーホワイト、合衆国財務省の官僚にして、ソ連スパイの疑惑が新聞で報じられた男であった。現在のところは表向き「クビにこそならなかったものの閑職に追いやられている」といった立場だ。


 実際のところは、むしろそれを利用してルーズベルト政権の「クーリエ」として動いているのだが。


「ああ、そうだ。とても信じられない!研究所の『同志』からの情報では、研究者の殆どが死亡、研究資料も損傷が激しいと」


「一体どんな魔法なのだ、そのロケットは」


「私が聞きたいね!東洋のマジックだよ、まるで。日本から本土の内陸部まで何千キロあると思ってるんだ」


「…専門家の分析を聞きたい」


 偏頭痛で痛む場所を押さえるようなしぐさで呻くホワイトを気にする様子もなく、ヒスはまくしたてる。


カリフォルニアカル工科大学テックのジェット推進研究所のお偉い学者の話だと、ドイツのV2を遥かに上回る新型のロケットで、太平洋を飛び越してきた可能性は大という話だ!」


「つまり、今この瞬間にここへ新型ロケットとやらが降ってきてもおかしくはない、ということかね」


「専門家の意見から察するに、そういうことだろうね!」


「これは以前の連絡でも確認したが、ロケットの弾頭は新型爆弾ではないのだな」


「ああ、放射性物質は現場からは確認されていない。被害の規模からいっても、新型爆弾ではあり得ない」


「だが、それにしては派手な爆発だ。死傷者の数も」


「燃料気化爆弾、というそうだ。多くの人間が現場で窒息死した事と、残留化学物質から考えて間違いはないと。ドイツが同様の爆弾の研究を行っていたという情報はあったが、完成には程遠いものだったと聞く」


「それを日本が完成させて新型爆弾の報復に使用した、という事か」


「そういうことになるね」


 ヒスは肩をすくめて答えてはいたが、どこか嬉しそうにも見えた。

 この狂人め、とホワイトは心の中でつぶやく。


「…十分に理解した。では質問を変えよう。我が国は今後あの新型爆弾を再び製造可能かね?」


「不可能だ、というのが友人の結論だ。ジャップの復讐は偏執的なもので、研究者から生産施設、資源採掘場に至るまでありあとあらゆる新型爆弾製造に不可欠な要素を潰された」


「それは…まるで『最初から解答を知っていたペーパーテスト』だな…」


「無論、その可能性は考えられるだろう。少なくともFBIの捜査では何も出てきてはいないがね」


「あの無能な連中をあてにし過ぎるのも考え物だが、こちらの手札も限られている…どちらにせよ、我々が今どうこう出来るものではないか」


 ホワイトが沈黙すると、重苦しい雰囲気が部屋に流れる。


 躁鬱傾向のあるヒスも、その顔を曇らせていた。


「…話は変わるが、VIPからの通信は」


「今のところは途絶えている。FBIの連中が動いている以上、我々もヘマは出来ない。少なくとも選挙が終わるまではな」


「クソっ、マスコミも余計な真似を。おかげで我々、同志が直接接触することすら危険になってしまった」


 ヒスは無意識のうちに鉄製の扉に目を向けるが、当然のことながら部屋の外の様子を伺い知ることはできない。


「この部屋へのルートは封鎖してある。もちろんクリーニングも済ませてある。盗聴器の類などありはしない」


 ホワイトのエスタブリッシュメント特有の上から目線の物言いに、ヒスは神経を逆なでされる気分だった。


「分かっている。君の仕事を疑っている訳ではない。だが、神経質になる気持ちも分かってくれ」


 意味ありげに黙り込むホワイトの視線に耐えきれなくなったヒスは話題を無理やり変える。


「パペットの調子はどうなのだ。あれがこの長い選挙戦に耐えられるのか?」


「今のところは問題ない。徹底的に禁酒させているからな。だが、まだ先は長い。油断は禁物だろう」


「まったく、『大元』さえまともに動ける状態ならば。何もかもが忌々しいことだ」


「仕方ないだろう。60を越えた老人で、しかも激務の政治家人生だ」


「…理屈ではあるが、な。まあ、最悪戦争が終わるまで生きてさえいればいい。さすがに死を隠し通すのは骨が折れる。合衆国史にはウッドロー・ウィルソンという輝かしい前歴もある、まあなんとかなるさ」


 ヒスは野卑な本性が知れる笑顔で、事もなげに語った。


 嫌悪感を隠そうともせずに、ホワイトは顔をしかめる。


 『同志』とはいえ、どうにもこういうところは好きになれない男だと感じていた。


 だが、個人的な感情など崇高な目的の前では個人的な感情など問題にはならない。


「…同志、これ以上の接触は危険だ。そろそろ切り上げよう」


「了解した、同志。それでは私から先に出よう。貴方の退出は規定通り45分後だ。祖国のために」


 ヒスは芝居がかったしぐさで敬礼らしきものをして見せると、椅子から腰をあげた。


「祖国のために」


 ホワイトは答礼などすることもなく、冷ややかに足早に去っていくヒスを見送った。


 もちろん、共産主義者の祖国とは、すべての労働者の理想郷ことソビエト連邦のことである。

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