第124話 戦争記念オペラハウス

 1944年8月15日16時15分 戦争記念オペラハウス

 

「諸君、我々はこの戦争に勝利しなければならない。自由と民主主義という正義が悪の枢軸に勝つというのが運命であるからだ」


 フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領は意味ありげに言葉を切ると、聴衆を見渡した。


 民主党の牙城であるサンフランシスコという土地柄、この戦争記念オペラハウスに集まった人々は、熱い視線を現職大統領へ送っていた。


―まったく、大した役者だよ。これだけ不利な選挙戦でも、まったくそれを感じさせない。


 戦略偵察局工作員のグレゴリーは、オペラグラスで車椅子に乗っているとは思えない精力的な様を観察していた。


 特殊メイクによる変装を施しているため、彼の見た目は神経質そうな初老のドイツ系アメリカ人にしか見えない。


 熱心な民主党員たちはプラカードを掲げながら、熱狂的にその演説に応えている。


 周囲に適当に合わせながらも、グレゴリーの視線は膝元に畳まれたサンフランシスコ・クロニクル新聞へ目を落としている。


 一面トップには、アメリカ世論研究所が発表した最新の大統領選挙戦に関する世論調査の結果を、合衆国地図へと落とし込んだものが掲載されている。


 黒く塗りつぶされた民主党支持が多数派の州と、縦縞模様で表された共和党支持多数派州の数が拮抗しつつある様が容易に見て取れる。


「ソビエトスパイ疑惑が影響、民主党大苦戦」、「フィッシュ候補、激戦州で精力的に遊説。当選に自信示す」そんな文字が見出しに踊っている。


―ここまでは我々のシナリオ通りだ。リスクを取ってフーヴァーまで担ぎ出したかいがあったというものだ。


「選挙は蓋を開けてみなければ分からない、か」


 合衆国に潜入する直前、グレゴリーは数多の合衆国大統領選挙に関する本や映像資料にあたってきた。


 合衆国の大統領選挙で特徴的なのは大統領候補は投票数で直接的に選ばれるのではなく、投票によって各州で選出される選挙人を介する間接方式がとられている点である。


 各州で人口に応じた人数が選ばれる選挙人は、その州の得票率に応じて獲得出来るのではなく、僅差であってもその州で勝利した候補がすべて獲得する方式である。


 これは勝利候補Winner「総取り」take all方式と呼ばれる。


 この方式のおかげで勝利を収めたのが『一度目の世界』の2016年大統領選挙で当選したワン大統領である。全体の得票数では共和党のヒッグス候補が勝っていたが、獲得選挙人がわずかにワン候補が上回ったのである。


 ワン政権の誕生はのちに、マスコミによって「世紀の番狂わせ」と言われることになる。


 ワン政権に限らず、アメリカの大統領選挙では盤石と言われていた候補が思わぬ苦戦を強いられることも珍しくない。  

 

 とはいえ、戦時中の現職大統領というほぼ無敵に等しい大統領候補に対し、互角の勝負に持ち込んでいるフィッシュ候補は稀有な存在と言えた。

 

 その躍進の背景には潤沢な政治資金を背景に演説や政策を貴重なカラーフィルムテクニカラーを使った「ドキュメンタリー風映画」を制作、各地で共和党支持者を中心に上映会を行う活動があった。

 

この選挙映画作戦は、本人の遊説がなくてもフィッシュ候補の事を知ることができるという点で、知名度に劣る挑戦者側という不利さを消すことに貢献していた。

 

 無論、その背景にはグレゴリーたちの暗躍がある。もちろん明確な内政干渉ではあるが、選挙への影響力工作など、前の世界のロシアやアメリカの諜報機関の十八番でもある。


 そしてこの時代のソ連がアメリカへ行っている「雪作戦オペレーション・スノー」も似たようなものだ。


「合衆国市民諸君、君たちの中にはこの戦争の行方に懐疑的な者もいるかもしれない」


 ルーズベルト大統領はそう言いながら聴衆を見渡して意味ありげな笑顔を見せる。


「では証拠を見せよう」  


 ルーズベルトの合図とともに暗幕がおろされ、巨大な白幕が降ろされてくる。


 いつの間にかオペラハウスの中央に設置されていた大型映写機に映写技師がオープンリール式のフィルムをセットする。


 電源スイッチが入るとともにカラカラとフィルムが回転を始める。  

 その様子に、グレゴリーは嫌な予感を感じた。


 自分たちの努力がすべて無駄になるような予感は、果たして的中した。

画面に映し出されたのは、抜けるような青い空の下にある大小さまざまな島々だった。


 明らかに軍事施設とおぼしき港湾施設が映し出される。


 平和そのものの風景がしばらく映し出されたあと、画面は突如潜水艦らしきものが映った場面へと変わる。


 そこで急に場にそぐわぬ勇壮な音楽がかけられ、潜水艦が存在していた場所から閃光が放たれる。


 カメラが激しく動揺し、凄まじい音量のために割れた音の爆発音が耳を打つ。

 画面の奥の方で閃光が煌めき、すぐに画面を覆い尽くして真っ白になる。


 次の瞬間、またカメラが切り替わる。


 今度は少し離れた場所からの映像であった。


 あの忌まわしきキノコ雲が立ち上るのを見て、グレゴリーは背中に火が付いたかのような深い憤怒に身を震わせた。


 感情豊かとは言えない自分に、そこまでの憎悪が眠っていた事に驚きつつも、彼は冷静に観客席の反応を観察していた。


 誰もが心臓を悪魔に握られているかのように、黙り込んでいる。


「諸君、この光景は映画の一場面ではありません。我が合衆国の叡智を結集した、

反応兵器という戦争の様相を一変させる新兵器であります。合衆国陸軍ARMYはこの新型爆弾を、日本軍の主要軍事拠点であるトラック基地と択捉基地へ使用。


 この二つの軍事拠点を地上から消滅させることに成功したのであります!

 まごうことなき、合衆国の勝利です!」


 ルーズベルトがマイクに吠えると同時に、万雷の拍手と喝采の熱狂に観客席が包まれる。


合衆国ステイツ万歳!」


日本人どもジャップをこの世界から駆逐しろ!」


 口々に快哉を叫ぶ人々を、隠れ切支丹のような気分で観察しながら、グレゴリーは思った。


―そうか、そこまでやるのか。選挙で勝つ、そのためだけに反応兵器で人々を焼くのか。人類はそこまで愚劣になれるのか。

 

 トラック泊地と択捉島は重要な基地ではあるが、たとえ破壊されても戦争そのものを左右するほどの戦力があるわけではないことをグレゴリーは知っていた。

 

 数の限られているうえにカネのかかる新型兵器を投入するには、いささか躊躇する目標だろうことは、簡単にわかる話だ。

 

 それでも投入したのは、この観客席の連中を見ればわかる。

 

 誰もがこの敗北続きでだらだら続く戦争に飽いていて、わかりやすい勝利の映像をこそ求めているのだから。

 

 グレゴリーはそう思いつつも、表明上は彼らと同じように新兵器に熱狂しているように見せかけていた。

 

 もちろん、内心は精神が焼き切れそうな感覚を味わっていたが。 


―この映像は麻薬だ。すべての戦略を見直さなければ、ルーズベルトが史実通りに勝っちまうぞ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る