第122話 緊急招集

1944年 8月6日14時15分 立川広域防災司令部地下大会議室

  

  緊急招集された国家安全保障会議が開始されたのは、開始予定時刻より15分後のことだった。戦時特別法改正審議中の国会が紛糾した余波で、出席閣僚の移動が遅れたせいであった。

 もっとも、立川の会議室に顔をそろえているのは峯山防衛大臣と室井副総理兼官房長官、そして猪口戦略偵察局長だけで、桐生首相と羽生田外務大臣、そして三枝内閣危機管理監は首相官邸からビデオ会議システムでの参加である。

 挨拶もそこそこに流された映像を見た会議出席者は絶句したまま、しばらく言葉を発することができなかった。

 偵察衛星衛星軌道上から撮影した映像は、反応兵器の作り出したキノコ雲をはっきりととらえていた。

 日本人全員の脳裏に刷り込まれて消えないキノコ雲の残影は、この『二度目の世界』にもかたちを変えて現れたのだった。

 この雲の下でどれほどの犠牲者が出ているのか、見当もつかなかった。

「紫香楽参謀長、説明を」

 峯山の声にこたえて、ビデオ会議システムのディスプレイに、国防軍のトップである紫香楽幹也大将の顔が表示される。

 いつもは穏やかな微笑みを浮かべていることの多いその顔は、かたく強張っているように見えた。 

「国防軍統合参謀本部、紫香楽議長です。これよりご説明をさせていただきます。ご覧いただいた映像は、情報本部保有の偵察衛星が撮影した潜水艦搭載反応兵器による自爆攻撃です。この攻撃は択捉泊地およびトラック泊地に行われました」

 桐生首相は腕組みをしたまま、続きを促す。

「現時点でトラック泊地における国防軍の軍人および軍属の死亡者MIK及び行方不明者MIA数は少なくとも1400名以上、現地住民の死者、行方不明者数は7000名を超えます」

「択捉島の犠牲者数は?」

「こちらは軍人及び軍属の犠牲が700名程度。島民の犠牲は少なく見積もっても4000名を超える規模と思われます」

「確か昨年でしたね。特殊戦略調査班とやらが、反応兵器の使用を警告するレポートを出してきたのは」

 羽生田外相は穏やかな笑みをたたえながらも、怒気を感じさせる表情で言う。

「例の特殊戦略調査班の報告書が出されたのは昨年4月です。反応兵器による攻撃を警告する内容でしたが…」

 峯山防衛大臣の言葉は歯切れが悪かった。

 報告書の存在を承知していながら、反応兵器による攻撃を成功させられてしまったからだ。

 特殊戦略調査班が提出したそのリポートは、アメリカが史実より早い時点で反応兵器を使用してくるという予測を出していた。

「まさかB-29ではなく、潜水艦に搭載してくるとはね」

 羽生田外相は呆れとも賞賛ともつかぬ顔でつぶやく。

「史実より投入時期がかなり早い。こんなに早く実用化してくるなどありえるのか」

 桐生首相の疑問に、峯山が答える。

「実物の形状が判明していないのであくまで推測ですが。小型化を諦めた上で、史実よりも多くの人員と予算を注ぎ込めば辛うじて可能ではないかというのが情報本部市ヶ谷の結論です」

「推測も何も、目の前で実証されてしまえば認めざるをえないか」

 首相は一瞬天を仰ぐと、すぐに目線を目の前の端末に表示されている資料に目を落とす。

「択捉はともかく、信託統治領であるトラック諸島をも狙ってくるとは想定外でした」

「自然災害ならともかく、軍事に想定外は許されんよ」

 普段は他人に苦言を呈することなどほとんどない室井副総理の言葉に、峯山は恐縮する。

 「今は責任を問うている場合ではない」

 桐生首相の眼光の鋭さに、会議の出席者の誰もが居住まいをただす。

「私自身も、覇権国家として君臨すべく大戦に臨んでいるアメリカの覚悟を読み誤まっていた。…起こってしまったことは仕方ない。しかし、原因は究明しておきたい。峯山大臣、択捉とトラック泊地に攻撃を許した原因を知りたい。」

「我が海軍が機雷敷設と対艦ミサイルによる接近阻止A2D2戦略を採用していたのは周知の通りです。事実日本本土近海では重要航路付近に機雷の敷設を行い、米潜水艦及び艦艇の侵入を阻止してきました。長期持久態勢を構築しつつ、外交をもって早期停戦を呼び掛ける国家戦略は、周知されたとおりです。

しかし、我が国の保有する資源と工業生産力には限界があります。そのため、機雷敷設は本土及び南方資源地帯が優先され、どうしても主戦力が配置されていない基地には配備数が限られていたのが現状です」

 峯山大臣は会議システムの液晶に、機雷の配備数を示すグラフと地図を組み合わせた図を表示させる。

「持たざる者の苦しさですな」

 羽生田外相のため息は、会議出席者全員の気持ちを代弁していた。

 政治家としては、あまりに素直な感情の発露ではあったが。

「説明を続けます。米軍の攻撃作戦は三方同時に行われました。ハワイ沖で艦隊を三分し、戦力規模で言えば主力と言える艦隊は横須賀空襲を企図。

 残る二つの艦隊が択捉島とトラック泊地を襲いました。ご存じの通り、折悪しく発生した太陽嵐によって偵察衛星が機能停止したため、艦隊分離以降の監視が不可能でした」

「そのおかげで奇襲攻撃とはいかないまでも、対応が後手に回った。そういうことだな」

 室井官房長官の指摘に、峯山大臣は苦い顔で応じる。

「太陽嵐による影響は甚大でしたが、急行した関西圏以西の航空機部隊、および海軍艦艇による攻撃により横須賀空襲艦隊は艦隊の70パーセントを失い、撤退しました。

 しかし、択捉島とトラック諸島の付近にはそういった予備戦力がなく、米軍への反撃も不十分なものとなりました」

「私には軍事の細かいことはわからんのだが。横須賀を襲った部隊は、囮だったということかね?」

 羽生田外相の率直過ぎる質問に、峯山はどう答えればいいものかという顔をする。

 言葉を選ばねば、どうにも政治的になりすぎるような気がしたからだ。

 本来は直截な言葉を好む峯山も、さすがに大臣の椅子に座ってみればそういう腹芸を覚えざるを得なかったからだ。

「君の思っていることを、率直に言いたまえ」

 桐生首相の短い言葉に、峯山は頷く

「あくまで仮説ではありますが。おそらくは三分された艦隊すべてが囮と言えるのではないかと。あくまで本命は反応兵器攻撃であり、洋上の艦隊は我々の目を海上にひきつけるための囮だった。そう考えたほうが合理的です」

「太平洋艦隊そのものが囮とは…多くの艦艇と将兵を犠牲にしたにしてはあまりに代価が割にあわないと思うのだが。こう言ってはなんだが、主力艦もいない海軍基地を壊滅させただけなのだろう」

「それについては、先に挙げた特殊戦略調査班のレポートが参考になります。軍事、というよりは政治的な効果を狙ったものかと」

「大統領選挙、か。確かに目くらましとしての効果は絶大だろう」

 桐生首相は顔に意図して能面のような表情を浮かべ、感情を抑制する。 

「それで、首相。問題はこの事実を国民に伝えるかどうかです。この報告書には社会心理学による分析の結果も含まれていますね」

 羽生田外相の顔は、なんとも冴えないものだった。

「反応弾攻撃の事実はしばらくの間発表するのは控えたい。ただでさえ戦時下で不満が溜まっている国民を刺激し過ぎる」

 桐生首相も、苦渋に満ちた顔で言う。

 戦時とはいえ、多くの犠牲を出した事実を隠蔽せねばならない状況は思いのほかこたえるものに思えたからだ。

「公表したら世論は一気に強硬論へ傾く可能性がありますね。かつての世界で日本の世論が大陸で反日テロによる犠牲者に関する報道で、『暴支チャイナ膺懲パニッシュメント』に傾いていったように」

 猪口局長の言葉は淡々としたものだったが、内容は剣呑なものだった。

 日本がかつて支那事変日中戦争へと突入していったのは、二度の上海事変とその最中に起きた中国人による日本人虐殺事件である通州事件など、日本人が犠牲になったテロ事件が大きな要因であった。

 その際におおいに強硬論を煽った新聞が書き立てた文句が『暴支膺懲』であった。

「これまで、日本側の戦死者数がほぼゼロだっただけに、その反動は苛烈なものになることは容易に予想できる。このまま停戦を掲げ続ければ、最悪内閣が倒れかねない」

 室井副総理の言葉は、民主主義国家における戦争の難しさを示していた。

 世論は『風』が吹けば国家にとって危険な方向へとのめり込むことも、十分にあり得るのだ。

「『軟弱外交は政権基盤がよほど安定していないとできない』とはある学者の言葉だが、まさにそれだな」

「無責任な野党やマスコミからは『弱腰』だと叩かれるでしょうな。まったく、批判だけしていればいい立場は、ある意味うらやましい」

 羽生田はそう皮肉っぽく言う。

「完全に隠し通すこともまた不可能でしょう。アメリカはこの反応兵器攻撃を大々的に宣伝するはずです。VOAなどの短波放送を受信しているマニアもいます。時間稼ぎにはなりますが。その間に世論対策を進めるほかありません。我々も全力でことに当たります」

 猪口局長の言葉に、桐生首相の顔に複雑そうな色が浮かぶ。

「任せる。ただし、あくまで合法的な範囲でだ」

「お任せください」

 桐生首相に対して猪口局長は慇懃に礼をして見せる。

 出席者の何人かが胡乱げな表情を浮かべるが、猪口は意に介した様子も見せない。

「話を変えよう。三枝危機管理監、現在の国内の危機管理状況について説明を。特に、太陽嵐の影響を中心にな」

 三枝危機管理監は画面越しに一礼すると、手元の端末を操作する。

「は。それでは、お手元の端末に送ってある資料をご覧ください」

 手元のタブレット端末と同じ地図が、拡大されてスクリーンに表示される。

 赤や緑、青色で色分けされた日本地図には、いろいろな書き込みが加えられている。

「太陽嵐は自然現象とはいえ、その影響は甚大です。主に首都圏の電力システムが誘導電流のせいでダウン。交通網も関東や北信越地域を中心に寸断され、物流がストップ。時震発生時の太陽嵐類似現象のせいで、誘導電流対策が進んでいた都内と各発電所は完全に復旧しましたが、現在もなお一部で復旧作業が進められています。

「経産大臣、電力や石油などのエネルギー供給について説明を」

 急に話題を振られた経済産業大臣の森優恵は、化粧の濃い顔の皺に収まる大きな瞳を白黒させ、後ろを振り返る。

 ニュースキャスター出身で見栄えは良い彼女だが、その実務能力はいささか疑問符がつく人物だった。挙国一致内閣の連立相手の民生党からの入閣組なので、実務経験そのものがあまり無い事も大きいのだが。

 誰ともなくため息が漏れるなか、背後に控えていた官僚が挙手し、かわりに応える。

「経産省政務官の嶌田です。電力供給は、お渡しの資料の通り綱渡り状態ではありますが、なんとか大停電はしないで済むと予想しております」

「よくわかった。石油供給についての見通しについても頼む」

「石油備蓄に関しては、引き続き民生用重油、ガソリン、ナフサ等の配給制度実施によって、今年末に実施される予定の満洲大連油田パイプラインからの送油実験まではなんとかもたせられる見通しがたっております」

「輸出先がほとんどなくなっているから、需要も少なくて済むわけか。皮肉なものですな」

「電気自動車高優遇政策や、民間航空の営業縮小などのおかげでもあります」

羽生田ののんきな物言いに、嶌田の答えはにべもない。

「対症療法でなんとかもたせているという印象はぬぐえないな。こんな戦時経済はそう長くはもたない」

 室井副総理の言葉に、気まずい沈黙が訪れる。

「我が国の停戦という政略目標に対し、戦略あるいは戦術的手段でなんらかの修正が必要かね」

 桐生首相の力強い言葉に、会議出席者の顔に緊張感が戻る。

「三度目の反応弾攻撃という戦略を合衆国政府から奪うことが必要かと。そのための作戦プラン、『屋島作戦』は提出済みです」

「合衆国世論がさらに強硬化する可能性もあると思うが」

 室井副総理の鋭い眼光と、峯山の視線がぶつかって火花を散らす。

「しかし、事ここに至ってはやむなしかと。三発目の反応弾攻撃は軍事的にも政治的にも許容できません」

 桐生首相はと言えば、会議出席者の表情やモニターを眺めつつ沈黙している。

 会議の誰もが、首相の次の言葉を待った。

「『屋島作戦』を実行に移す。防衛省は作戦実行に関する問題の洗い出しを。戦略偵察局は米国世論の反応に関する予測を急いでくれ」

「了解しました。ただちに統合参謀本部会議を招集、立案作業を開始します」

 峯山大臣は上ずった声で応じる。

「聞いていたね、紫香楽議長。『屋島作戦』の準備にかかってくれ」

「了解です。ただちに。それでは、いったん失礼いたします」

 紫香楽議長の通信が切断されたことが液晶画面に表示される。

「日本に残された時間は少ない。戦争の早期終結に全力を尽くしてくれ」

 桐生首相の言葉は、自分自身に言い聞かせるもののようにも思えた。

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