第118話 ダメージコントロール~応急工作~

 昼戦艦橋を破壊された武蔵は、それでも戦闘能力を失ってはいなかった。

 艦長、および副長はぶ厚い装甲板で守られた司令塔内の防御指揮所にいたからだ。

 昼戦艦橋にあった装備の大半は、冗長性確保のため複数系統設置されているものばかりだったからだ。

 鐘楼下部にある夜戦艦橋-第二艦橋ともよばれる―にも、ほぼ同一の装備が整えられている。

 であるにせよ、武蔵がこの戦闘が始まってから、最大の損害を被ったことは確かだった。

「命拾いした、ということなのだろうね」

 複雑な顔でそう呟いた森下に、垂水は答えた。

「指揮官は最後まで生きて指揮を執るべきです。少なくとも我々はそう教育を受けています」

 森下は黙ったまま答えなかった。

 今は議論をする気はないという横顔に、垂水は黙り込む。

「損害報告、昼戦艦橋の生存者は二名。いずれも重傷です」

 伝声管からの損害報告に、森下の表情が奇妙に歪む。

 つい先ほどの報告では生存者は絶望的という話だったが、わずかに生き残った者がいたというのは喜ぶべきなのか。

「艦長だ。可能ならば医務室、あるいは臨時救護所へ搬送せよ」

「了解」

 続けざまに各所から報告が入る。

「『しらね』から入電!『敵駆逐艦、本艦に向けて魚雷を発射せり。注意されたし』」

「敵駆逐艦からの魚雷と思われる雷跡を発見。本艦左舷より距離4000!」 

「近いな…」

 アメリカ軍の魚雷は蒸気タービン方式を採用しており、海面に白い雷跡を残す。よって、きちんと海上見張りを行っていれば、余裕をもって回避行動を取れる。


――今は猛烈な砲撃戦のせいで海面が大きく動揺している。発見が遅れたのも致し方ない、か。


 もう少し『しらね』の警告が早ければと思うが、太陽嵐の影響で通信機器の不具合が多い現状では警告が入っただけマシなのかも。

 森下は回避行動の指示を怒鳴るような声で伝える。


 魚雷を避けるために左舷側へ転舵を余儀なくされるが、致し方なかった。

 転舵をするといっても大和型戦艦の巨体で舵が効き始めるのは、ひどく時間がかかる。その間にも武蔵の主砲は敵戦艦へ向けて主砲発射を続けていた。


 さすがに転舵中であるために、命中率は下がらざるを得ないようだったが。

 防御指揮所の中では外部の様子が各部署からの報告によってしかわからないために、やけに時間の流れが遅いように感じられる。

 その瞬間は不意に訪れた。

 足元を襲った衝撃は、たっていられない程ではないがはっきりと異常事態であることが認識できた。


「左舷後部に魚雷命中!浸水発生中」


「応急班、応急作業ダメージコントロール急げ!」

 森下の反応は素早かった。

 そして艦内各所で待機している専門の応急工作班も、これまで訓練していた通りの工作を行うべく行動を開始した。


 『一度目の』大戦時に日本海軍の艦艇は、米海軍の艦艇に比較すれば抗堪性タフさに欠けていた。それは攻撃力重視、防御軽視の設計思想も影響しているが、主な理由はダメージコントロール応急工作に対する訓練や配置が十分でなかったせいでもある。


 浸水を木材等を固定して食い止めたり、火災を消火する応急工作は、戦闘能力の維持を左右する。これがかつての日本海軍が将兵の血を代償に得た戦訓であり、国防海軍もそれを引き継いでいる。


「こちら応急班。現在防水閉鎖作業中!排水装置エダクターも順調に作動中。右舷側区画の注水による傾斜回復は必要ないと思われる」


「了解した。作業を続行し、傾斜回復が必要ならすぐに報告せよ」

 森下は伝声管でそう命令すると、垂水に向き直る。


「先日の改修で搭載していた排水装置が早速役に立ったな」


 武蔵は時震直後にトラック泊地から引き揚げた際に、佐世保で近代化改修を受けている。

 歴史資料でも弱点とされていた副砲の撤去や、対空砲の増設などが主な内容だったが、その中にダメージコントロール能力の向上もあった。

 ダメージコントロールのための主要装備が、護衛艦にも配備されている排水装置だった。


「大和型の集中防御方式は決して完全という訳ではありませんからね」


 垂水は短くそう言うと、森下は頷く。


「今は注水による傾斜回復が不要なだけで十分だ」


「敵艦、遠ざかります。以前、射程圏内ではありますが」


 夜戦艦橋からの報告だった。

 武蔵が魚雷に対する回避行動を行っていたせいで、敵戦艦との距離が離れたらしい。


「取り舵120度ヨーソロー。敵艦に対し今度は同航戦を挑む」


 森下の答えはどこまでも明確だった。

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