第116話 サウスダコタ

 目の前でノースカロライナが沈んでいくのを呆然と見つめながらも、リー少将は装甲に守られたサウスダコタの戦闘指揮所へ退避することをよしとしなかった。

 部下たちの立場は理解しているが、どのみちモンスターの砲弾の前ではどこにいても大差ない様に思えたからだ。


――いや、どうだろうか。俺は恐怖を感じているのか。あのモンスターを目視できない場所で指揮を執ることに。


 一瞬浮かんだそんな考えを、リーはつとめて意識の外に追いやる。

「艦隊速度、最大戦速!缶が焼き付いてもかまわん、少しでも距離を詰めろ。懐に入りこめば、あのモンスターといえど」


 リーは祈るような気持ちで命じた。

 砲戦距離が狭まれば敵艦に砲弾が命中する確率は飛躍的に上昇する。ただ、こちら側の被弾確率も急上昇するのだが。


「『アンダーソン』より入電。ワレ、突撃を開始ス」

 リーは電文を持参した伝令の若い水兵に、笑みを浮かべて応じる。

 艦隊から分離した駆逐艦隊が、魚雷戦を挑むために別方向から突撃を開始したのだった。


「ならば、我々ができる限りひきつけておかねばいかんな」


 リー少将は水兵の肩を叩いてやる。

 その若い水兵は感激した面持ちで敬礼をすると、持ち場に戻るべく踵を返す。

 艦橋の司令官席の手すりを指で叩きながら、リーはすでに肉眼で視認できる距離の敵戦艦を睨みつける。


 その間にも『サウスダコタ』だけではなく、『ロサンゼルス』と『ブルックリン』が敵戦艦へ射撃を開始していた。

 サウスダコタの砲撃間隔は(リーの主観によれば)欠伸が出るほど遅いものだった。


 大威力を求めるために新型の重量弾を配備したはいいが、その重さのために装填速度は従来の砲弾に比べ時間がかかる。

 どうしても弾薬庫から砲塔へ砲弾を運搬し、装填するまで人が機械を操作せねばならないからだ。自動装填装置なるものが研究されているとは聞いているが、未だ戦場には搭乗していない。


 そのうえ初速が遅いために、砲撃の精度は特に長距離において低下する。

 命中弾は、出てはいる。

 が、敵戦艦は依然として巌のようにそびえ立っていた。


「とにかく距離さえ詰めれば…」


 リーが繰り返す言葉は、部下たちには僧侶の祈祷文のような響きで聞こえた。

 いつも沈着冷静に指揮を執る彼には珍しいことだった。

 知らず知らずのうちに、司令席の手すりに爪が食い込んでいる。


「どんなに分厚い装甲に守られた巨艦であっても、すべてが無傷とはいかない」


 自分自身に言い聞かせるような呟きは、砲撃音に紛れて部下に聞かれずに済んだようだった。

 アンテナなど装甲化できない部分はあるし、装甲が薄い部分も存在するからだ。

 サウスダコタの16インチ砲弾は、徐々に射撃の正確さを増していた。

 お互いの距離が詰まりやすい反航戦ならではの状況だ。

 だがしかし、また名中弾が出ているにも関わらず、敵戦艦は火災すら発生する様子がなかった。

 まるで不死の化け物を相手にしているエクソシストのような心境で、リーはひたすら待った。

 命中弾はすでに二桁に到達しようとしている

 ダメージは蓄積し続けているはずなのだ。

「正真正銘のモンスターか」

 リーがそんな嘆きにも近いセリフを口にしたときだった。

 サウスダコタの主砲MK.6が放った16インチ砲弾のうちの一発が武蔵の艦橋構造物の昼戦艦橋へと飛び込んだのだった。いかに防御力にすぐれた『武蔵』とはいえ、視界を確保するために装甲化できない艦橋部は弱点中の弱点と言える。

 無論、的としては武蔵のサイズからすればかなり小さく、命中したのは多分に偶然に過ぎなかった。 


 とはいえ、効果は大きかった。

 硝子を突き破って内部へ侵入した16インチ重量弾は航法装置や操舵装置を破壊しながら内部へ侵入したところで遅発信管を作動させた。

 爆発によって生じた衝撃波と破片効果は一瞬で艦橋要員のほぼ全員を殺戮し尽くした。


 可燃物が少なかったことにより火災は小規模ではあったが、内部の被害が甚大であろうことはサウスダコタの艦橋からでも分かった。

 リーは思わず右手を握りしめて快哉を叫ぼうとした。

 

 しかし、次の瞬間地震が起きたような衝撃で下から突き上げられ、司令席から放り出される。

 したたかに肩を打ち付けたリーは呻きながら立ち上がろうとするが、その瞬間艦がゆっくりと傾斜し始めているのに気が付いた。 


「被害を報告せよ!応急班急げ!」


 浸水の速度が思ったより早いのを見て、リーの背筋に冷たいものが走る。

 艦の速度が出ているために、浸水が発生すると流れ込む水量も大きくなる。

 なんとか立ち上がったリーは、艦橋から見える風景に絶句した。

 第二砲塔脇の左舷舷側に破口部が開き、炎をあげている。

 火災を消し止め、浸水を食い止めなければ艦の戦闘能力が大幅に減衰することは明らかだった

「被害報告!左舷舷側、および艦橋上部に被弾!破口部より浸水発生中!」


「右舷注水、傾斜回復急げ!」


 リーの命令を受け取った伝令兵は、焼け焦げだらけの軍服姿で敬礼すると、艦橋から降りていく。

 その伝令兵と入れ替わるように艦橋に入ってきた少年のような顔の若い伝令兵の報告は、リーの心胆を寒からしめるに十分だった。


「射撃指揮所に砲弾命中のため、光学測距儀損壊!各砲塔の個別照準に切り替えるほかありません!」


「測距儀破損だと?電探射撃だけでなく、光学照準での統一射撃も不可能か」

 リーは愕然とした表情を隠せない。各砲塔に搭載されている光学式測距儀でも代替は可能だが、射撃の精度は恐ろしく落ちるだろう。

 今、もっとも損傷して欲しくない機器の一つだった。


「本艦は目を失ったか……だが、まだだ。まだ時間を稼がねば。各砲塔は各個に射撃を続行せよ!」


 既に目視で見えるようになった敵艦を睨みつけながら、リーは司令席へ倒れこんだ。

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