第109話 ファントムライダース

  トラック基地に派遣されていた国防空軍部隊は、時震当日をもって退役する予定だったF4E-J改戦闘機を装備する百里基地所属の301飛行隊を母体とする部隊だった。

 F4『ファントム』はベトナム戦争当時の最新鋭機という骨董品であり、戦闘機ファンなどには「ファントムおじいちゃん」として親しまれている。

 裏を返せば、財布の紐を握る財務省に防衛省がいかに無力だったかがよくわかる象徴とも言える。

 そのファントム飛行隊のパイロットは、退官間近か予備自衛官になっていたところを呼び戻された者が中心を占めていた。そのため、口さがない人間は「老人飛行隊クラブ」と揶揄する向きもある。

 そんなトラック派遣飛行隊の隊長を務める神原駿兵大尉は、さほど気にしていなかった。

 パイロットとしてはとうのたった年齢の神原にとって、現役のファントム乗りライダーでいられることこそが誇りであった。

 それに、相手をするのはファントムが最新鋭機であった頃には既に骨董品だったレシプロ戦闘機なのだ。

 言いたいものには言わせておけばいい。

 太陽嵐の巻き起こした誘導電流による被害でそのトラック飛行隊も損害を受けていた。

 それでも予備部品や各機体の無事だった部品を剥ぎ取る「共喰い整備」で合計機六機もの機体を飛行可能にできたのは、電子化された部分が限定的な旧式機故とも言える。

 「しらね」艦隊上空に取りついていた米艦載機数機を壊滅させたのち、六機の老武者は艦載機で味方艦隊に痛撃を与えている敵艦隊を探し求めていた。

 機首ノーズにつけられているヨ―ストリンガータコ糸は機体が真っ直ぐに飛んでいることを示していた。

 他の機体なら当然のように電子化されている装備だ。

「神原、敵の空母機動部隊と思われる反応を発見。攻撃可能距離に達するまであと3分20秒」

 出撃寸前まで大層「おむずかり」だったAPG-66Jレーダーの洋上捜索モードが所定の性能を発揮したらしい。

 電子系統がズタズタになっていた機体ばかりの状態で、きちんと敵艦隊の発見に成功したのは僥倖と言える。

 さすがに無事な計器がアナログなタコ糸だけでは戦えない。

「念のため、敵艦載機の迎撃に備えよ。整備員は信頼しているが、こちらのレーダーも完調とは言い難いのでな」

 神原は無線で飛行隊の信頼すべきファントム乗りたちに呼びかける。

 八機のレーダーがすべて敵艦載機の接近を見逃すとは思えないが、あり得ないことが起きるのが戦場というものだ。

「全機、攻撃予定ポイントで高度26000フィートまでズーム上昇の後に九三式空対艦誘導弾ASM-2全弾発射。目標指示はポイント到達後。その後直ちに基地へ最大速度で帰投する」

 神原の指令に、誰かが呻き声を漏らす。

 全員が自衛隊で飯を食ってきた歳月の方が、娑婆の生活より長いベテランたちだ。

 だが、数百人から千人を超える人間が乗っている艦船を葬ることが可能なミサイルを実戦で発射することに何の感情を抱かないで済む訳ではない。

 その飛行時間を訓練飛行、たまに行う演習で過ごしてきた平和な国の奇妙な軍隊に所属していた男たちは、つまり今自分が軍人であることを否が応でも思い知らされているのだった。

「栗本、66ちゃんのご機嫌をとっておいてくれよ。肝心な時に臍をまげられてはかなわん」

 神原は後部操縦席に乗るレーダー迎撃士官の栗本馨中尉に向けて、いつも通りの軽口を叩く。

 ちなみにレーダー迎撃士官とは、レーダー操作や航法を担当する。後方視界の限られているF4では、操縦席のミラーや目視で後方の敵機を見張る役割もある。

 自信過剰気味の人間が多いパイロット同士とはいえ、この二人のやりとりは傍から見ていると喧嘩をしているように聞こえる。

 複座機であるためかお喋り好きが多いと言われるF4パイロットの中でも、この二人ほど喧しい人間もそうはいないだろう。

 それでいて、パイロットとしての連携は一流そのものなのだから不思議なものだ。

「ぬかせ。こっちの仕事は完璧だ。貴様こそ老眼で操縦をミスるなよ?」

「言ってくれる。腕はなまっちゃいねぇ。貴様こそGでチビるんじゃねぇぞ」

 そう言うなり神原は強引に操縦桿を引いて上昇をかける。

 迎撃戦闘機が上がってくる確率は低いが、高度フィートともなればレシプロ戦闘機の機動性は低下する。

 F6Fは上昇限度33700フィートではあるが、酸素の薄い場所ではエンジン性能が低下し、パイロットの負担は大きいのだ。艦載機であるF6Fは重量を嫌って、スーパーチャージャーなどの高高度戦闘に向いた装備をもたない。

 一方、ジェット戦闘機であるF4E-J改は酸素が薄い高高度でもそれほどの制約は受けない。

 二機のJ79エンジンは快調に噴射炎を吐き出しながら、老体を空高く押し上げていく。

 この二機のエンジンの制御機構は、スプリングやバルブであり、燃圧と油圧を利用した仕組みで制御を行う。現代の戦闘機であれば、エンジン制御などすべて機載コンピュータが行うが、この戦闘機ではすべて人間が調整してやる必要がある。

 よく関係者が言う「F4戦闘機は生き物だ」とはこの戦闘機の実情をよく表現している言葉と言える。

 F4戦闘機乗りにはじゃじゃ馬を乗りこなす豪胆さと、老嬢をいなす繊細さが求められる。しかし、乗る者に高い技量を求める戦闘機だからこそ、パイロットには愛された戦闘機であった。

「攻撃予定ポイントへ到達。ASM-2オールグリーン」

「了解した」

 さしもの神原も、栗本の報告に自然と口元が引き締まる。

「全機これから指定する目標へASM-2を発射せよ」

 栗本はレーダー探知した敵艦隊の各艦へ向けて攻撃を指示していく。

 本来なら早期警戒管制機のオペレーターがやるべき作業だが、それをたった一人旧式の搭載コンピュータでやり遂げる栗本の技量は並大抵のものではなかった。

 神原はもはや栗本のやることに口を挟まない。

 口には出さないが、「人間コンピューター」の異名がある栗本の頭脳には全幅の信頼を置いているのだ。

「神原、ターゲットはA1およびA2だ。間違えるなよ」

「了解。目標ターゲット捕捉ロックオン撃てッシュート

 神原は限られたF4操縦席からの視界では目視できない敵艦に向けて、翼下に吊り下げた重たいASM-2にもつを放り投げる。

 かつてソビエト連邦の着上陸侵攻対処の切り札として開発された誘導弾は、目標へ向けてTJM2ジェットエンジンを吹かしながら慣性誘導で飛んでいった。

 目標近くまで到達したのちにミサイルシーカーが起動、赤外線イメージで目標の形状を判別する。

 敵艦からは妨害電波が発せられる。

 しかし、赤外線誘導方式は悪天候下では命中精度が低下する欠点はあるが電波妨害に影響は受けない。

 最初の一発、飛行甲板と思しき場所を破壊するようにプログラミングされていた誘導弾は、さほどの誤差なく命中し所定の性能を発揮する。

 弾頭が飛行甲板に叩きつけられ衝撃波で破損し生じた甲板の穴から、焼夷剤と残余のジェット燃料が内部へ降り注ぐ。格納庫内にあった魚雷や爆弾が誘爆し、容赦なく中にいる人間たちを焼き尽くしていく。

 八機のF4戦闘機が発射したASM-2は命中率が九割を超える精度で、これまで日本軍を苦しめていた米機動部隊の戦闘能力を奪い去っていた。

 わずか十二発の誘導弾とはいえ、空母とその護衛艦艇の一部を葬り去るには十分だった。

 これで、今『しらね』艦隊への脅威は大幅に低下するだろう。

「A1、およびA2の消失を確認。他のターゲットも大半は戦闘能力を喪失した模様」

「了解、戦域を離脱する」

 神原と栗本の事務的やりとりが終わった時だった。

 ミラーがどこかで光った雷光のような光を捉える。

 雲一つない青空なのに妙だ、と神原が思った次の瞬間、何かの衝撃波で機体が木の葉のように揺さぶられ、神原は機体をコントロールするのに慌てて水平儀を見ながら操縦桿を操る羽目になった。

 ようやくのことで機体を立て直した時には数分が経過していただろう。

「くそっ、レーダーに異常だ。また太陽嵐でも起きたのか」

 レーダースクリーンは何も表示しておらず、スイッチ類を操作しても何の反応も示さない。

 栗本は操作を諦めて顔をあげる。

 どうやら電装系のほとんどがまた故障してしまったが、アナログな部品は無事らしい。

 最近の機体であれば、飛行能力にすら影響が出てタダでは済まなかったかもしれない。

 機体のチェックを続けるうちに、栗本は神原が妙におとなしいのに気づく。

 お調子者で機上で黙ることなどほとんどない神原が、ここまで黙り込むことは珍しい。

 F4の狭い操縦席では前部座席の様子をうかがうことも困難だが、長いことコンビを組んでいる神原の視線は何となく分かった。

 そして、神原の視線の先にあるそれに気づいた。

 気づいてしまった。

「なんてことをしやがるんだ、莫迦野郎」

 栗本は聞いたことのない声で呻る神原に、思わず身体を震わせる。

 それは心の底から湧き上がる憤怒の感情だった。

 

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