第108話 坂井三郎

「あの莫迦。勝手に突出しやがって。居合斬りか何かと勘違いしてるのか」


 菅野の黄色いストライプの入った機体を鬼の形相で睨み付けているのは、第二小隊長にして飛行隊長笹井醇一大尉の補佐役である坂井三郎少尉だった。


 時震前の階級は一飛曹という下士官階級だったが、原則搭乗員パイロットは将校とする国防軍の方針に伴い、自動的に少尉へ昇進している。


 もとより下士官搭乗員パイロットと、士官搭乗員との待遇格差に憤っていた坂井は、真新しい少尉の階級章を歓迎していた。


 「新海軍」では下士官も将校も、待遇はさほど変わらないことも気に入っている。


 郷里のことも気にはなるが、優れた指揮官と慕う笹井大尉を補佐して祖国のために戦うことが出来れば本望という男であった。


 だからこそ、菅野という男の規律を無視した勝手な行動が許せない。


「笹井より各機。仕方ない、このまま増速して一撃離脱を図る。菅野小隊を支援せよ。それから坂井少尉、鉄拳制裁は厳禁だ。」


 笹井大尉の声はあくまで貴公子然としたものだった。


 「スマートな海軍さん」を地で行く大尉は、この程度のことでは動じない。

「分かっていますよ、大尉殿。新しい海軍では体罰厳禁らしいですからな。奴が生き残っていたら、せいぜい罰走程度で許してやります」


-ただし、奴が音を上げるぐらいにしごいて海軍魂を注入してやる。それまで死ぬなよ、小僧。


 坂井はそう言いつつ、自らが率いる小隊に命令する。


「訓練通りにやれ。誘導弾を撃ち尽くすまで機銃の使用は禁ずる」


 小隊各機から了解の声が返ってくる。


 坂井は僚機に一緒についてこいと命令を下すと、エンジンスロットルを最大にして操縦桿を引き、上昇をかける。


 ターボプロップエンジンが咆哮し、雷光は急上昇に入る。


 空中戦が犬の喧嘩ドッグファイトと言われるのも、敵機を後ろから追う態勢の方がエンジンの熱をより捉えやすく、赤外線式短距離ミサイルの攻撃を回避しにくいからだ。


 操縦席の照準器の下にある液晶画面が、機載対空電探の探知した敵戦闘機の群れを表示している。


 見たところ、敵は菅野小隊が行った誘導弾攻撃によって混乱しているようだ。


 まあ、最初に誘導弾攻撃を受けた時はどんなパイロットも狼狽するだろうな。


 坂井は、正直なところ戸惑いを感じていた。


 機銃を武器にした居合斬りのような空戦の技術をひたすら磨いてきた。


 しかし、誘導弾を前提とした戦闘は「背後の取り合い」という基本は変わらないが、空戦の基本はまったく変わってしまうような気がしていた。 

 

それでも新たな武器がもたらされれば、その扱いを訓練して敵に備えるのは武人の性というものだ。


 感傷など戦場に持ち込むべきではない。


 坂井は素早く周囲に視線を走らせると、自分の向かうべき敵機と友軍機の位置を確かめる。


 敵戦闘機隊はまだ菅野小隊の誘導弾攻撃によるショックからたち直っていない。


 後方から接近しつつある本隊への注意がおろそかになっている。


 坂井機は左斜め後方に僚機を従えつつ、菅野隊への対応に躍起になっている米戦闘機隊に襲いかかる。


 火器管制電探が発信したレーダー波が対象を捕捉したことを示す音が鳴り響き、ヘッドアップディスプレイとかいう光学照準装置に似た透明な表示板に敵機への誘導弾攻撃可能を示す表示が出る。


 瞬間、坂井は操縦桿の誘導弾発射釦を押し込んだ。


 翼下に固定されていた誘導弾が切り離されるとともに、固体ロケットが猛烈な勢いで噴射煙を残しつつ目標の赤外線反応を追いかけて飛び去っていく。


 誘導弾は音速を越える速度にあっという間に到達すると、F6F戦闘機のプロペラに接触したと同時に指向性弾頭が爆発する。


 爆発の衝撃で機体の中央部は一瞬でバラバラに分解され、千切れた主翼や破片が海面へと落ちていく。


 パイロットの脱出など思いもよらない、一瞬の出来事だった。


 撃墜というにはあまりにあっけない感触に、坂井は戸惑いを隠せなかった。


 直接に相手の目を見て戦うような格闘戦に比べて、あまりにもあっけない。


 未だに慣れない合成樹脂製FRP製のヘルメットをかぶった頭を巡らせる。


 口うるさく言われて渋々装備している酸素マスクが鬱陶しいが、周囲確認に影響するほどではない。


 こちら側に損害は見受けられず、敵の戦闘機隊はほとんど壊滅といってよい損害を出していた。


 新海軍の連中から受けた座学での、「台湾金門馬祖上空の戦い」を思い出す。


 この空戦で、性能において勝っていたはずの人民解放軍MiG-17戦闘機は、台湾空軍のF86F『セイバー』との戦闘において大敗北を喫したという。


原因は機銃のみで武装していたMiG-17に対して、セイバーはサイドワインダーと呼ばれる誘導弾を装備していたからだ。


 当時の誘導弾は性能が低いものだったが、空戦においての撃墜対被撃墜比率キルレシオは十対一という場合もあったという。


戦闘において敵軍の戦闘機を十機撃墜するのに対し、こちらは一機しか撃墜されないという計算になる。


 もちろん、撃墜数は誤認が多いために割り引いて考える必要がある数字だが、空戦における誘導弾の存在とはそれほどまでに大きい。 


「もう一度一撃離脱をかける。各小隊は編隊の維持に努めよ」


 笹井の口調にはいささかの油断も歓喜もない。


「次は爆撃機隊をやる」


 短く言うと僚機からは了解の応答が入った。


「まったく、味方の声が戦場で聞こえるというのがこれほどまでに有難いとはな」

 

思わずそうつぶやいた次の瞬間、坂井は再び新たな敵編隊へ狙いをつけて操縦桿を押し倒した。

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