第104話 誘惑と決断

 空母ワスプのCICは歓喜に沸いていた。

 

無理もない。

硫黄島海戦の負け戦以来、なんの痛痒も与えられていなかった日本軍に、ようやく復仇を遂げることが出来たのだ。


「現在確認できた戦果は敵重巡洋艦大破、駆逐艦中破一、大破一隻です。敵に空母がいないのは残念ですが」


「こちらは100機近い艦載機を喪失、痛いな」


 バーク少将は伝えられてくる戦果と損害に顔をしかめた。

 

 確かに、敵艦隊に損害を与えていることは間違いない。


 だが、正規空母を三隻も投入しての航空攻撃に見合う戦果かと言われれば、とても誇れるものではないだろう。


「電探室より報告。対空、対水上レーダーともに真空管を交換し、配線修理をして完全復旧しました」


 謎の不調により故障していた電子機器の復旧完了の報告を聞いて、その場の誰もが胸をなで下ろす。


 レーダーは現代戦において艦隊の目であり、それなしでの戦いは不利なことこの上ないからだ。


「以前として大型艦を伴う増援艦隊の方を捉えています。通信傍受により、大型艦の正体は敵の未確認大型戦艦、ヤマトクラス戦艦BBの『ムサシ』と判明しています」


「確か平文での通信だったな。連合艦隊旗艦、か。ジェネラル・ヤマモトでも乗っているのか?」


 バークは以前、情報部に見せてもらった敵将に関する報告書を思い出していた。


 情報部の分析では、優れた人格者であり現代戦の常道では考えられない司令官自ら危険な前線に自ら姿を現して味方を鼓舞するということも十分に考えられる、と思う内容だった。


「舐めた真似をしますな。これは罠ですかね、准将」


 ワスプ艦長は怒気をはらんだ声で尋ねる。


「さてな。だが、敵の未確認大型戦艦といえば、大きな獲物には違いない。放っておく訳にもいくまいよ」


 バークはそう言ったものの、状況に違和感を覚えていた。なんとも微妙なタイミングでの増援。


 敵が放ってくるはずのロケット兵器が未だに姿を現していない現状。


 順当に考えれば敵側の過失や謎の電子機器不調の修理が間に合わないのか、あるいはこちらを過小評価しているのか。あるいはその両方だろう。


 だが、目の前であのロケット兵器の威力を見せつけられたバークには、とてもそうとは思えなかった。


 今この瞬間にも攻撃を受けてもおかしくはない、その危機感は胸中に今もある。


 それとは対照的に、日本海軍の象徴的存在であろう巨艦がさしたる航空支援も受けずにこちらへ向かってきている。


 自ら旗艦を名乗るのはハッタリブラフかもしれないが、仮に日本海軍の英雄イソロク・ヤマモトを巨艦もろともに葬り去れるのはあまりに強い誘惑だった。


 硫黄島の敗北を、このトラック諸島で取り返すまたとないチャンスが転がっている。


 脳裏で鳴り響く警告音を意識しながらも、この誘惑は指揮官として耐えがたいものがあった。


 どちらにせよ、この作戦の目的は敵艦隊の撃滅ではなく、日本軍の重要な根拠地であるトラック泊地の機能を破壊することにある。目の前の敵艦隊をすべて排除せねば、その目的は達成できない。


 第一次攻撃の戦果に満足して引き上げるという選択肢は最初から無いのだ。


「攻撃隊すべての帰投まであと15分程度かかると思われます。第二次攻撃はどうされますか」


 バークは海図の上に置かれた敵艦隊を模したチェスの駒を見て、僅かな時間考え込んだ。


 報告を受けている艦隊の速度のうち、ムサシを含む艦隊より先に攻撃した艦隊の方が速度が上のようだが。


 出現位置から考えると、ムサシを含む艦隊のほうが、我が艦隊に先に接触する確率が高いだろう。


「ムサシを含む艦隊の方が距離が近い。燃料と弾薬を補給次第、第二次攻撃隊を向かわせてくれ」


 決断してしまうと、迷いは消え失せていた。


 戦場において、どの決断が正しいかということは経験と理論で判断するほかない。

 

 誤った決断をすればそれは自分だけでなく多くの部下の命を奪うことになる。 


 だが、一番最悪なのは決断を先送りにすることだ。


 わずかな躊躇が、生死を分けることすらある。


 結局、神ならぬ身の軍人は己の賽子サイコロを振り続けるほかないのだ。

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