第101話 ヘルダイバー

 エセックス級航空母艦『ワスプCV-18』に所属するVB-81航空隊は15機のSB2C『ヘルダイバー』爆撃機を装備する爆撃隊であった。


 SBD『ドーントレス恐れ知らず』爆撃機の後継機として開発され、昨年生産が始まったばかりのこの新型爆撃機は、頻発する機体トラブルもあって搭乗するパイロットたちからは歓迎されていなかった。 

 

 型式名をもじって「サノバビッチ・セカンドクラス二流のロクデナシ」というあだ名を奉られる有様だった。航空母艦の昇降機のサイズにあわせて切り詰めた主翼や、余裕のある機体設計、先進的技術の採用など、挑戦的な機体にはありがちなトラブルメーカーだったからだ。


 とはいえ、急降下爆撃に加え雷撃もこなす多用途機として、上層部からはおおいに期待されている。

 

 そんな新型機として、同機は『ワスプ』をはじめエセックス級航空母艦の各艦に配備されている。


 VB-81の指揮官を務めるジョルジュ・バルトロマイ中尉はヘルダイバーのコクピットで、じっと前方を睨んでいた。


「なあ、ロビン。俺はこの戦争が終わる前になんとしてでも、デカい手柄を立てて見せる。そのためにクソ重い2000ポンドの爆弾なんぞ抱えてるんだ」


「また中尉殿の夢語りですかい」


「そうだ、この俺の夢はイタリア系初の大統領だ。何でも陸軍のマッカーサー将軍は大統領を狙っているという噂じゃないか」


「まあ、夢を見るのは自由だとは思いますがねぇ」


「父祖の地イタリアも枢軸を脱落しそうだからな。チャンスはあるさ」


 ジョルジュは自分では伊達男だと思っている顔に陽気な笑みを浮かべると、後部座席のロビン曹長は呆れた顔をしている。


 昨年までは枢軸側有利に展開していた北アフリカ戦線は、インドから撤退してきた部隊を加えたイギリス軍と、圧倒的な工業生産力で艦隊を再建して舞い戻ってきたアメリカ軍に押し返されていた。


 その結果、イタリアの独裁者ムッソリーニは国王に北アフリカ戦線での敗北の責任を名目に首相を解任され、ポンツァ島に監禁されているという。


 未だ正式な降伏には至っていないが、既にイタリアの臨時政権は連合国と接触しているらしいと新聞各紙が報じている。アメリカにとってオーストラリアの連合国脱落以来暗いニュースが続いていただけに、久々の朗報だった。


「敵性外国人という目で見られるのもうんざりだったからな。これで多少は風向きも良くなる」


「そいつはめでたいことですな」 


 そんな二人のやりとりはいつもと同じだったが、どこか儀式めいてもいた。

 当たり前だ。


 目の前を飛んでいる戦闘機が突如飛来するロケット兵器によって、木端微塵に打ち砕かれるのを見て動揺するなと言うのはどだい無理な話なのだ。


 ことさらにいつも通りの会話をしようとしているのも死の恐怖から逃れるためであり、過度の緊張を避けて訓練通りの技量が発揮できるようにするためでもある。


「畜生、また戦闘機隊がやられました」


 ロビンは怒りを押しころしながら、風防ごしに前方を進む編隊に目をこらす。

 視界の端にロケットの噴射炎を見たと思った次の瞬間には、また空中で複数の爆発が起きる。


 爆発煙と砕け散った破片が落ちていくほかには、航空機が飛んでいた痕跡は見当たらない。


 攻撃機に乗っている以上、敵の対空砲火で撃墜されることぐらいは覚悟してはいる。

 このロケット兵器はそんな覚悟を打ち砕きかねないほど無情な攻撃だった。


「敵艦隊上空まであと何マイルもないのに…」


 ロビンのかすれたような声が、うめくように漏れる。


「だが、ここまで来た。敵の魔弾とやらも種切れと見えるぜ。こちらを全滅させるだけの量はないんだ」


 ジョルジュはことさらに甲高い声でそう言うと、周囲に首を巡らせる。

 彼の言っていることは単なる当てずっぽうだが、ロビンを勇気づけるには十分だった。


「敵の戦闘機が現れる様子もない。俺たちはついている。なに、爆弾を押し付けた後は戻ってゆっくりコーラでも飲むさ」


「そこはビールといきたいところですがね」

「違いない。だがまあ、作戦中だからな。ビールは母港に戻ってからのお楽しみだ」

 そんな軽口を叩いているうちに、自分自身も恐怖感が薄らいでいくから不思議だった。

-俺もロビンも、まったくどうかしているに違いない。まあ飛行機乗りなんてやつは、対空砲火なんぞ絶対に自分には当たる訳がないとかたく信じている大馬鹿者揃いと相場は決まっているのだが。

「敵艦隊を発見しました。駆逐艦らしきものが複数。我が母艦の方向へ向かうものと思われる。偵察機の報告通り、空母は伴わない模様」

 視力に自信のあるロビンが報告するのを聞いて、ジョルジュは慌てて前方を注視する。

 ようやくのことで、見つけた敵艦は豆粒のように小さかったが、はっきりと視認出来た。

 花火のように煌めいているのは、対空砲火だろう。

 その時、無線機に通信が入り通信手も兼ねているロビンが応答する。

-HQよりVB-81へ。攻撃命令だ。『VB-81は輪形陣9時方向に位置する敵巡洋艦を攻撃せよ。なお、敵艦の呼称はTJ-5とする』

「VB-81了解。TJ-5へ向かう」

 交信は短時間で終了した。

 ジョルジュは命令を改めて確認すると、翼をバンクさせ攻撃開始の合図を送る。

 同時にロビンが飛行隊各機へ向けて通信で内容を伝えているから、厳密には必要ないサインではあるのだが。

 キンタマが縮み上がるのを意識しながら、ジョルジュは操縦桿を前へ倒す。機体が加速すると同時に、身体を押さえつけられているような猛烈なGが身体の血液の巡りを阻害する。

 慣れっこの感覚ではあるが、敵の対空砲火のただなかで感じる緊迫感は震えるほどだ。

 敵の対空砲火は嫌になるほど正確だった。

 ジョルジュのすぐ右を飛んでいたはずの、同じ航空隊の同型機がいつの間にか消えていた。


 爆発音を聞いたかどうか、自信は持てなかった。

 戦場というのはまさにこれだ。

 死の女神とダンスする感覚。

 こんなものを味わってしまえば、堅気に戻るのは難しい。


-大統領か。そんなもの、この戦場の空の上では何の興味も持てない。


 みるみるうちに豆粒のようだった敵の巡洋艦が、すぐ目の前にあるように錯覚するほどに迫る。


 見れば見るほど、奇妙な形の巡洋艦だった。

 

 対空機関砲が、そして巡洋艦にしては一門だけで口径も小さいであろう主砲がこちらへ向けて狂ったように咆哮する。


 一瞬のうちに爆発音が連続して響く。

 全身の血液が凝固するような感覚を覚える。

 死の恐怖そのものの感覚。

 だが、敵艦から目はそらさない。

 自分の飛行隊があっという間に全滅と評しても良いほどに撃ち減らされたらしい。

 ロビンの呻くような声と爆発の規模で、視線を向けずとも分かった。

 自分の機体が吹き飛んでいないのは信じられないような僥倖に過ぎない。

「だが、俺はまだ死んでない」

 手負いの獣のように吠える。

 吠えた途端に、視界の端に赤黒い液体が後ろから重力にひかれて垂れてきているのが分かった。

-ああ、ロビン。お前は最高の相棒だった。イタリア系の俺を、ここまで引き立てていっちょ前の飛行隊長にしてくれた。


「死ね、日本人」


 ほとんど直角に思える急角度で落ちてくる爆撃機に対して、鉄帽をかぶり救命胴衣をつけ驚愕にひきつった顔をしている日本兵と瞬間目があったような気がしてジョルジュはニヤリと嗤った。


 爆弾の投下ボタンを押し込む。

 しかし、爆弾は投下されない。

 さっき被弾した時の影響で投下装置が故障したのだろう。

 甲板が目前に迫る。

 視界がぼやけている。


-ああ、そうか。大量出血のせいだな。まあ、いいか。


 身体のどこまでが無事で、どこまでが吹き飛んでいるのかもわからない。


「畜生、大統領になり損ねたな」


 ジョルジュは大声で笑おうと試みたが、喉元から湧き上がってきたのは大量の血液だけだった。


 機体を引き起こそうにも、既に腕の感覚はなくなっていた。

 『ヘルダイバー』の機体は、第二主砲の直上に叩きつけられた。

 衝突による衝撃によって信管が起動した900ポンド爆弾は、規定通りの爆発力を発揮してヘルダイバーの機体と7インチ主砲の砲塔を吹き飛ばす。

 その爆発は砲塔だけにとどまらず、甲板を貫通する。


 砲弾か何かに誘爆したのか、砲塔があったところの穴から炎の柱が噴き出す。

 ジョルジュとロビン、二人のパイロットがそこにいた痕跡はもうどこにも見当たらなかった。

 

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