第99話 先手必勝
艦橋から昇降機が作動して次から次へと艦載機が甲板上へあげられていくのを眺めながら、アーレイ・バーク少将は落ち着かなげに双眼鏡をあちこちに振り向けていた。
青灰色に塗装された飛行甲板には、CV-18という艦番号がペイントされている。艦名は『ワスプ』。先代の同名艦はあの硫黄島海戦の前哨戦のグアムで触雷により大破し、のちに雷撃処分されたという不幸な艦であった。このエセックス級航空母艦の一隻として建造された二代目のフネは、アメリカの航空母艦建造技術の粋を集めて建造された新型艦であった。
搭載機数は載せる機材にもよるものの軽く百機を超えている。
さらに、先進的な油圧式カタパルトの装備によって風に向けて艦を走らせて合成風力を得る必要性が低下し、艦載機の発進にかかる時間が大幅に低減している。カタパルトをもたない日本海軍の空母に比べ、素早く空中に戦力を展開できる点において圧倒的とも言えるだろう。
細かいことを言えば、パイロットを運ぶエスカレーターまで艦内に設置されており、色々と贅沢なつくりになっている。
さきほど発進させた偵察機のうちの一機がトラック泊地近海に遊弋する敵艦隊の位置を打電してきたのは、十分ほど前のことだった。
打電が終了して以降偵察機からの無線連絡は途絶えていた。
おそらくは撃墜されたのだろう。
バークにとっての復仇の機会がようやく訪れようとしていた。
「二年だ、二年もかけてようやくここまで来た」
バークはそう独り言を呟くと、双眼鏡を下す。
艦橋には艦長以下のワスプの指揮を行う幕僚に加え、バークが率いる第50任務部隊の司令部要員までが詰めており、いささか手狭になっていた。
多くの発動機が発する爆音は艦橋の中にまで伝わってくるが、さすがに会話に不自由を感じるほどではない。参謀から上がってきている報告では発着艦に支障のあるものはいないとのことだが、アーレイ・バーク少将は信用していなかった。
ベテランのパイロットが硫黄島海戦で失われた影響は、いかに層の厚いアメリカ海軍航空隊といえどいまだ深刻であった。
敵に空母がいる確証はなかったが、仮に空母対空母の戦闘となった場合、未だ実力のあるパイロットが数多く生き残っている日本軍に分があるのではないか。そうも思ったが、そもそもあの未知のロケット兵器が飛ぶ戦場でそれを心配する必要があるのか怪しいところでもあった。
「それでも、幸運の女神は今こちらに微笑んでいる」
自分自身に言い聞かせるように、バークは一人呟く。
先ほど艦隊周囲の索敵線各方向へ発艦させた偵察機のうちの一機が、トラック近海で待ち受けている敵艦隊の位置を打電してきたのだ。結局、その偵察機は
情報部からの情報では日本海軍のレーダーの性能はこちらのレーダーを凌駕しているという分析だったが、敵艦隊の位置を(おそらくは)先んじて把握できたのは僥倖というほかない。
こちらの艦隊で電子機器が謎のトラブルを頻発しているように、敵の方でも何らかの齟齬が発生しているのかもしれない。
―まさに合衆国に神の恩寵あれ、だ。
もちろん、バークは勝利の女神とやらがひどく移り気なことも理解していた。
「発艦準備にあとどれくらいかかる」
「戦闘機隊の発艦は20分後の予定です。それ以降、手順通りに爆撃機、攻撃機の順番で発艦します」
50任務部隊に所属する母艦航空隊の総指揮官であるマグワイア大尉が答える。
バークが事前に読んだ資料によれば、この男は硫黄島海戦の時は休養で後方に下げられており、あの過酷な海戦には参加していなかったはずだった。
バークは焦れている様子を隠そうともせずに言う。
「甲板に出ている機から発艦させろ。今は一分、一秒が金貨のごとく貴重なのを理解したまえ。」
「しかし、無理に急がせれば事故につながりません。このまま手順通りの発艦を」
「くどい、君は実戦であのロケット兵器を見たことがないからそんなことが言えるのだ。いいかね、今この瞬間に我々が全滅したとしても驚くには値しない。」
「そんな馬鹿なことが…」
「あり得るのだ。我々がコードネームで
「記憶してはおりますが、およそ現実とは思えませんな。少将の目を疑う訳ではありませんが」
木で鼻を括ったような返答を返す若い大尉に、バークは鉄拳を叩きこみたい衝動に襲われるが、必死にこらえる。
言葉にこそ出さないが、駆逐艦隊あがりで水雷戦ならともかく航空戦に関しては素人のバークに対しての反発心がありありと見てとれた。
「とにかく、出撃は可能な限り急がせろ。甲板に出ている機体からすぐに発艦させるんだ。空中集合して編隊を組むなど二の次だ。一機でも多く敵艦隊の上空に送り込む必要がある。」
「今慌ててそんなことをすれば、それこそ敵のいい的です。ミッドウェーの時とは反対なのですよ。予定通りに出撃させるべきです。」
マグワイア大尉の論も正論ではあった。空母の戦いで一番難しいのは攻撃隊発艦のタイミングである。早く出し過ぎれば、肝心な時に艦載機が燃料を消耗しきった状態ということもあり得るし、遅すぎれば発艦の途中に攻撃を受けることにすらなりかねない。
ミッドウェー海戦の時はアメリカの勢力圏内で基地航空隊の支援も受けることが出来たが、今はその反対の立場である。
「敵艦隊上空での戦闘による燃料消費を考慮すれば、今発艦させると攻撃が成功しても、帰りは燃料切れで母艦にたどりつけませんよ。パイロットの救助にも敵の勢力圏内ですから危険が伴います」
「構わん。たとえこの攻撃隊が全機不時着水を余儀なくされてもだ。それで日本艦隊に大損害を与えられるならばお釣りが出る。これは命令だ、大尉。甲板に出ている機から発艦させろ。今すぐにだ。責任はすべてこの私が取る」
バークの命令に、マグワイア大尉はあからさまに鼻白む顔をして見せるが、渋々敬礼をして見せる。
「了解しました。各艦に通達し、出られるものから発艦させます」
わざとらしくかかとを鳴らして直立不動の姿勢で復唱した大尉は、通信室へ移動すると言い残して艦橋を降りていく。
それからほどなくして、空を照らす赤い朝焼けの光の中、発艦を始めた。
甲板作業員が指示棒を振ると、最初に発艦するF6F
バークの目にはなんとも不格好な飛行機に見えた。航空機翼端を切り詰めた翼は揚力を発生させるのか疑わしいようにも見える。
蓄圧機によって高圧圧縮された作動油は、油圧シリンダーに機体を放り投げるに足る動力を与えた。
先代のF4Fよりはスマートにはなったがやはりビア樽型の機体は、カタパルトの与える大きな運動エネルギーに悲鳴をあげているかのように見える。
プラットアンドホイットニー社製の『ダブルワスプ』エンジンが轟音をあげ、カタパルトの射出動力に運動エネルギーを上乗せする。
F6Fは飛行甲板の終端で一瞬沈み込みバークをヒヤリとさせたが、すぐに再上昇して南太平洋の黎明の空へと上昇する点になる。
最初の発艦が無事に成功したのを見届ける間もなく、次のF6Fがカタパルトに固定され射出を待つ。
「少将、そろそろCICへ降りてください。艦橋にとどまるのは危険かと」
しびれをきらしたような顔で参謀に促されても、バークは首を縦に振らなかった。
「どこにいても危険なのは変わらん。あの『魔弾』が相手ではな」
結局、バークは第50任務部隊の全機が空中進撃を開始するまで艦橋を動かなかった。
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