第98話 『しらね』出撃

 1944年8月4日 午前3時56分

  

半舷上陸中おかの連中の携帯に電話だ。片っ端からかけまくれ」

 『しらね』の大塔艦長は矢継ぎ早に命令を下しながら、第三防暑服の上着に袖を通す。

 ついさっきまで艦長室で熟睡していたところをたたき起こされたばかりだ。訓練の賜物か、あるいはがぶ飲みしたコーヒーのせいか意識そのものははっきりと覚醒している。


 中央戦闘指揮所CICの中はいつも通り最低限の照明以外は落とされている薄暗がりだが、艦の外も今はまだ夜明け前である。南洋とはいえ比較的涼しいこの時間でも、コンピュータを冷却するためにエアコンが大きな音を立てている。

 

 港湾内は司令部が迎撃態勢を整えることを優先するためあえて灯火管制を行っていない。それどころか、投光器が総動員されて昼間のような明るさになっているはずだ。

  

空襲があれば良い攻撃目標になるだろうが、出撃を早める方を優先している。この時代の航空機相手なら、しらねの防空システムで防げるという計算もあったが。


「そういわれると思いまして、既にやっております」


 副長の言葉に頷くと、大塔はCICを見渡す。

 指揮所要員のほとんどは上陸組からあぶれていたらしく、ほとんどの顔がそろっている。


○53○5時30分時には出港する。間に合わない奴は置いていく」


「了解です。準備を急がせます」

「可能な限り速やかに、頼む。それにしても、このトラックを目指してくるとはな。飛び石作戦のアメリカ軍なら、この島など捨て置くと思ったが」


連合艦隊司令部GFHQの情報では、この艦隊はあくまで全体の一部に過ぎないとのことです」


「向こうは贅沢な戦争をしてくるな。集中運用ではなく、艦隊を分離することを選ぶとは」


 戦力の集中運用の原則は有名な軍事の大原則だが、大軍には大軍なりの運用の難しさもある。それを嫌ってのことかもしれないが、このトラックを狙ってくるということが解せなかった。


 確かに本土に比べれば戦力も手薄だが、主力艦が停泊していた時震直後ならともかく、今のトラックは対潜護衛艦艇や潜水艦基地としての機能しかない。

 

 破壊あるいは占領したところで、アメリカ側に戦略的な意味があるとも思えなかった。あるとすれば、それは純粋に軍事戦略的な意味ではなく、政治的な意味だろうか。

 確かに委任統治領とはいえ、日本施政下にある土地を奪うというのは政治宣伝としては意味がないわけではないだろうが…。

 

 あるいは、案外まだトラックに主力艦隊がいると思っているのかも。国防海軍がトラックに進駐してからこのかた、米軍の偵察機にはまともな偵察を許していないから、ありえない話ではないだろう。

 とはいえ、通信分析でおおよその規模くらいは伺い知れるはず、米軍がそこまで間抜けだろうか。


 そこまで考えて、大塔は考えることをやめた。これ以上推理しても、一艦長の立場で意味があるとも思えない。今は目前の敵を葬り去るのだけを考えればいい。


「分離したとはいっても、元の数が数ですから。十分に脅威です」


 アメリカ艦隊の規模は、おそらくエセックス級航空母艦四隻を主力とした大艦隊であることがレーダー探知で判明していた。


「それに反して、こちら側は元スクラップや戦時急造艦の寄せ集め。おまけに電子機器の故障で動けない艦もいるときた…手がすいた連中から交代で朝食を取らせろ。今日は長い一日になる」


「はっ。糧食班は既に準備を整えているそうです」

「うちの班長は頼もしいな」


  大塔自身はゆっくり食事がとれるとは思っていないため、さっき民生品のカロリーバーで一応のカロリー補給はしてある。

 忙しく出港準備を進めるCIC要員を眺めながら、タンブラーに入った熱いコーヒーを流し込む。エアコンが効いているからこその贅沢だ。


 カフェインが身体に吸収されていく感覚を楽しみながらも、内心では厄介なことになったと思っている。

 『しらね』は対潜パトロールのシフトから戻ってきたばかりで、疲れが残っている乗組員も多い。


 本来ならば偵察衛星からの情報で敵艦隊の位置を把握し、休養たっぷりで待ち構えるはずがそうはいかなかった。それもこれも、あの忌々しい太陽嵐のせいだった。

 太陽嵐による電磁波は、被害の手はじめとして第一段階衛星軌道上に設置されていた戦略偵察局の偵察衛星群の機能を停止させた。


 そして翌々日にはコロナ質量放出CMEと呼ばれる磁気プラズマの塊が地球表面を襲った。このCMEがもたらす磁気圏内で生成された膨大な電気エネルギーは大量の誘導電流を巻き起こした。その電流は送電線に混入して送電システムを乱し、停電やシステムそのものの破壊をもたらした。


 電磁波による各種衛星の被害により原因が太陽嵐であることを推測した日本政府は、CMEが地表に達するまでのタイムラグを利用して発電所を停止して緊急停電を行うなどの対策を講じた。とはいえ、限られた時間内にすべての対策を行うことは不可能であった。


 特に大停電ブラック・アウトはリソースの限られているトラック諸島を含む太平洋の島々で甚大な被害をもたらした。特に民生用の送電システムや電子機器では障害が数多く発生した。


 トラック泊地の司令部付近に設置されたレーダーサイトは、本土から緊急空輸された部品でようやく復旧した。そして、復旧して初めて探知したのは接近するアメリカ艦隊であった。


 司令部は対潜パトロールに出ていた艦艇を呼び戻すとともに、泊地に停泊している艦艇に緊急出港の準備をさせた。それでも、来襲するアメリカ艦隊を迎え撃つにはいささかフネの数が足りないらしい。


 命令を下してきた泊地司令部も相当に混乱しており、『しらね』への命令も現段階では泊地を出て指定海域で待機としか命じていない。どのような部隊に編成されるかどうかまでは分かっていないのが現状だった。


 そのような状況の中でも『しらね』は比較的早期に出撃態勢を整えつつあった。

 半舷上陸の最中だったので動作している電子機器が少なかったのも原因の一つではないか。それが機関長の出した推測だったが、現状では確かめようもない。

 その『しらね』ですら部品交換を余儀なくされた箇所が少なくない。


「まるでこちら側を狙い撃ちしたかのようだな…」


 大塔は思わず小声でそう呟いたが、幸い誰も聞き取る余裕がなかったらしく、ほっと胸をなでおろす。

 いくら自然現象が相手とはいえ、愚痴を言っているのを聞かれたら艦長の沽券に関わる、士気も落ちるというものだ。


 電子機器の塊であるこちらの艦艇に対して、この時代のアメリカ軍はレーダーや通信機といった機器を除けばごくごくアナログな装備を運用しているはずだ。

 何の影響もないとは思えないが、こちら側に比べれば影響は少ないはずだった。

 案外真空管の交換等でさっさと直してしまうかもしれない。それが出来るのがアメリカ軍の怖いところだ。


「副長、司令部からの追加情報はないのだな」

 データリンクシステムが不調のために口頭で問い合わせるが、副長はかぶりを振った。


「残念ながら」

「分かった。航空戦力については期待しないほうがよさそうだな」


 トラック泊地には最低限の防空戦力として空軍のF4E-J改『ファントム』を装備する1個飛行隊が派遣されていたが、その多くが電子機器の故障によって飛行可能な状態になっていない。

 少なくとも昨日早朝の連絡会議で空軍将校に聞いた時の情報ではそうなっていた。


「本土とのデータリンクはまだ復旧しないか?」

「駄目ですね。この戦闘では期待しないほうがよさそうです」


 副長はわざとらしい仕草で肩をすくめる。

 太陽嵐は本土、特に東日本には大きな被害をもたらしているそうだが、詳しい被災状況まではトラックまで伝わっていない。最悪の場合、首都圏が大停電に陥っている可能性もあるだろう。 


「無線通信システム全般がまだ不安定な状態でして…まして、データリンクまでは」


「使えないものは仕方がない。今は手持ちの駒で戦うほかない」


 大塔は感情の無い声でそう言うと、タブレット端末で米艦隊の情報を眺める。

 正直なところを言えば、太陽嵐の混乱の中で敵を迎え撃つのは避けたかった。


 これまでのように電子機器の優越と長射程の兵器を生かし、損害ゼロで戦うことは難しいことは容易に予想できる。 


 しかし、背後に基地もあれば日本人も現地住民も居住するトラック諸島が控えていては退避することもできない。

 トラック諸島は『戦後』はミクロネシア連邦に所属することになるが、この時点では日本の国際連盟委任統治領ということになる。


 アメリカ軍が史実のように空襲による港湾、基地施設の破壊にとどめた場合は問題ないが、占領を企図して上陸作戦を敢行してきた場合色々と「国際法上面倒なこと」になると想定されていた。特に民間人に被害が出た場合、補償問題などを考えるとろくでもないことになることが予想される。


 移住等の対策も考えられたが、予算や作業の煩雑さから頓挫したまま今日を迎えている。 

 そのうえ、トラックは潜水艦隊や対潜艦艇の補給基地として、日本側としても出来るだけ手放したくない基地だ。つまるところ、現有戦力で迎え撃つ以外の選択肢は存在しないのだった。


「副長、済まないが艦内各所を見回って声をかけてやってくれ。これが初陣になる連中も多い」

「了解しました」


 副長はすべて心得ていると言わんばかりの表情で海軍式の敬礼をして見せると、CICを出て行く。


――問題はこちらの防空能力がいささか心もとないことだな。『ファントム』が出られないとなると、こちらの航空支援エアカバーはゼロか…。


 そんなことを考えていると、いつの間にかさきほどCICを出て行ったと思った副長に声をかけられる。

 いつの間にか時間が経過していたらしい。


「艦長、出港準備整いました。すべての乗員が戻り、配置についております。ご命令を頂きたく」

「了解した」


 副長に敬礼を返すと、大塔は立ち上がる。

 歯をむき出しにした笑みを浮かべると、艦長席に備え付けられたマイクを握る。


「艦長より達する。これより『しらね』はただちに出港、予定合流海域へ進出し、米艦隊迎撃任務に就く。かかれ!」

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