第97話 最初の躓き

1944年8月1日 


「艦隊αは、毎時約15ノットで移動しております。ハワイ沖に展開している艦隊βと合流する模様。通信解析によると艦隊αは第34任務部隊、第38任務群と呼称される模様。以降、任務部隊名で呼称します」

 戦略偵察局からリンクされている衛星情報を分析した結果を表示する大型液晶スクリーンの下では、多くの海軍士官が忙しく動き回っている。

 ここは旧海上自衛隊船越基地内自衛艦隊司令部、現在は国防海軍連合艦隊司令部の地下司令施設である。

 元々2020年の運用開始を目指して新庁舎が建設されていたおりに時震が起きたこともあり、結局一度も自衛艦隊司令部の名前の看板をかけられることはなかったのだが。

 ちなみに自衛艦隊という呼称を改める際には議論も起きたが、筆参謀長が「この時代において国際的にも定着している名称であり、旧海軍関係者を受け入れる際に混乱を招かないようにする」という意見で押し通した。

 かくして、硫黄島海戦以来二度目となる海軍部隊への指揮がこの指揮所で執られることになっている。

 立川に置かれている統合参謀本部の戦闘指揮所、そして戦略偵察局種子島衛星センターとも高速通信回線によってリンクされており、常時情報が共有されることになっている。

 この場での最高指揮官はかつてソロモン任務部隊指揮官としての功績を認められ、昨年末に連合艦隊司令長官に抜擢された甘粕隆明大将だった。

 陸にあがることを最期まで渋っていた甘粕は前任の司令長官直々に説得され、ようやく長官職を拝命した。 実戦での功績を持つものが戦時の司令長官になるべきであるというのが、前任者の主張だった

 未だにこの司令部の長官席の座り心地には慣れないが、今は肝を据えて艦隊指揮を預かるものとしての職務を遂行するのみ。

 甘粕は胸中でそう考えながら、スクリーンの情報から目を離してずらりと席上に顔をそろえている参謀たちに問い質す。

「米軍の作戦目標について聞きたい。なにか新しい情報はないか」

「残念ながら把握できておりません。現在、米軍の通信量は激減しています。おそらくは無線封鎖に近い状態になっているようです」

 中央通信隊の中佐がタブレット端末を見ながら報告する。

 中央通信隊は敵軍の暗号解読や通信内容の解析を担当する部署である。

 通常、軍隊が行動を開始する場合のパターンは物資の集積や部隊の移動など多岐にわたる事前準備のために著しく増大する。その後、軍事行動を開始した直後は部隊の存在や作戦の意図を隠蔽するために極力無線通信を控える『無線封鎖』を行うのが通例である。

 その常識から言えば、米軍の動きはセオリー通りとも言える。

「ただ、通信文を検索してみた結果、作戦目標に関連すると思える単語がいくつか散見されています。シディム、ソドム、ゴモラ、ヤハウェ。それが具体的に何を指しているのかまでは判明しておりません」

「旧約聖書の創世記か。なんとも意味深だな。性的に退廃した二つの都市とその地域の谷、それを焼き払う神の名前か。原子爆弾を彷彿とさせるネーミングだな」

 甘粕は厳つい顔の眉にシワを寄せながら、考え込む顔になる。

 参謀の一人が手を挙げて発言の許可を求めているのに気づき、甘粕は手で発言を促す。

「この艦隊が核兵器を搭載している可能性について確認したい。どんな些細な情報でも構わない」

 甘粕の言葉に、その場がにわかに緊張感を増す。 

 時震によって巻き込まれたこの二度目の戦争に巻き込まれてから、誰もが言葉には出さないが警戒していたのが原子爆弾をはじめとする核兵器だった。

 その存在を示唆する地上爆発実験の成功という情報は、国防軍内で共有されている。

「先日、特殊戦略調査班から回ってきた資料に、参考になる資料がありました。クラウドで共有されていますので、確認してください。書類ナンバーはT-03Fです」

 甘粕は慣れない手つきでタブレット端末を操作して件のファイルを展開する。

 膨大な文字数かつ専門用語だらけの書類のため、内容を理解するのに苦労したが言わんとするところは理解できた。

「アメリカ軍による原爆実験は確かに確認されています。しかし、この時点でアメリカ軍が実戦投入可能な核兵器は航空機搭載型爆弾以外にはあり得ないというのが結論です。理由としては小型化を可能とする技術の蓄積が行われていない可能性が高いことにあります」

「冷戦時に実験されていた、戦艦の戦術核砲弾のような兵器が実用化されている可能性は極めて低いということだな」

「一度目の歴史では原子爆弾の完成は来年である1945年ですからね。小型化が可能になっている可能性は極めて低いかと。むしろ、航空機に搭載できるサイズを実現したかどうかにも疑問符がつきます」

「戦術兵器として原子爆弾が使用される可能性は極めて低い。このレポートの結論通りということだな。統合参謀本部の意見もそういうことのようだ。だが、私としては可能性がゼロでない以上、万が一に備えるほかないと考え…」

「お話し中申し訳ありません。戦略偵察局より、緊急の報告です。現在、偵察衛星群に予期しないエラーが発生しているとのことです」

「なんだと?詳細に報告したまえ」

 甘粕は思わず椅子から腰を上げそうになりながらも、冷静に続きを促す。

 緊張した面持ちの司令部要員の大尉は手元のタブレット端末を見ながら報告の続きを話し始める。

「現在戦略偵察局はJAXAと協力して原因の究明と、復旧作業に当たっています。まだその作業にかかりはじめたばかりですので完全な原因の特定には至っていませんが、原因の一つとして考えられるのは太陽嵐です

「太陽嵐…そんな馬鹿な。戦時中に太陽嵐が発生したことを裏付ける記録などないはずだぞ」

 参謀の一人が声を荒げ、思わず大尉は首をすくめる。

 彼がそう言いたくなるのも無理からぬことではあった。

 太陽の地表での爆発、いわゆるフレアによって放出される電磁波や荷電粒子、磁気プラズマなどが地球の衛星軌道上、あるいは地表にまで影響を及ぼす現象である。その規模によっては電子機器の故障や、送電網へのダメージなどを引き起こす、現代文明を危機に陥れる可能性を持つ自然現象であった。

「報告を続けてくれ」

 参謀をたしなめる視線を送りつつ、柔らかい言葉で甘粕が言う。

「はい。もちろんあくまで現時点では可能性の一つということになります。はっきりしているのは、このままではアメリカ艦隊の動向を把握することが不可能になるということです」

 戦略偵察局は時震直後からアメリカ艦隊の動向を常時監視するために、小型偵察衛星を種子島宇宙センターから多数打ち上げていた。

 そのおかげで、アメリカ本土からインド洋に至る広大な戦域を24時間体制で監視できるシステムが構築されていたのである。その衛星システムが故障するということは、これまで日本の優位を保障していた技術的優位の一角が崩れ去ることを意味していた。

「狼狽えるな。偵察衛星の故障は痛いが、他に敵情を把握するシステムがない訳ではない。空軍のレーダーサイト群が機能している限り、監視網に穴が生まれることはない」

 甘粕が知る限り、空軍が硫黄島に再建した新型レーダー、J/EPS-7レーダーの性能であれば、アメリカ艦隊の動向監視に問題はないはずだ。

 甘粕の言葉に一瞬で浮足立った空気は消え去る。

 しかし、甘粕の第六感がこの綻びに対して最大級の警戒をするべきだと告げていた。

 ソロモン任務部隊、硫黄島海戦と二つの戦闘を経験した甘粕は、このうまく言語化できない焦燥感のような感覚を軽視してはならないことを知っていた。

 また、自分自身を含めて、今の軍に知らず知らずのうちに技術的優位を当たり前のことと感じる「奢り」が見えていることも感じ取っていた。確かに我々と米軍の間には75年分の軍事技術の格差がある。

 それはまさに大人と子供が喧嘩をするようなものだが、時に引退したプロの軍人が街中で少年のナイフで刺殺されることもある。

 ましてや敵は物量に優れる世界最強のアメリカ軍。

 ミッドウェー海戦の日本海軍のような慢心による蹉跌は、決してあってはならないのだ。

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