第95話 サンディエゴ軍港

 1944年 7月24日 サンディエゴ軍港

 

 真新しい軍服に身を包んだアーレイ・バークを乗せたオープンカーのジープは、サンディエゴ基地への正面ゲートを抜けてしばらく走った。ジープが延々と続く倉庫群を抜けると、その目には視界を覆う巨艦の群れが飛び込んできた。

「何度見てもこいつはごつい風景ですな、少将殿」

「俺は何度それを聞いても慣れんよ。この階級章は居心地が悪くてしょうがない」

 バークの表情は平静そのものだが、発する言葉は陰鬱そのものだった。

「お気持ちは分かりますがね、少将殿。そろそろ士官としての演技を始めてください。兵どもが見ている」 

 運転を続けている従兵に、バークは制帽をかぶり直しながら口を尖らせる。

「分かっているさ。将校たるもの部下の前で不景気なツラをさらすべからず。どこの軍隊だろうが共通のルールだ」

「では、お願いしますよ。少将殿。ショータイムだ」

 派手な音を立ててジープは燃料や弾薬、糧食など多くの補給部隊が山積みになっている桟橋の手前で止まる。

 輸送船への乗艦を待つ陸軍兵士が整列して控えているかと思えば、荷運びを行う軍属が大きな声で話しながら通り過ぎていく。

  バークはかすかにため息を漏らして一呼吸間を置いたあと、決意してジープの助手席から降りる。

 これまた真新しい軍靴ブーツでコンクリートの地面を踏みつけたときには、いかにも将校らしい威厳を取り戻していた。

「先程話していた通り、此処から先は物資の積み込み作業の最中でしてね。ジープの通行は不可となっております。申し訳ありませんが、徒歩で旗艦へ向かっていただきます」

 従兵の説明を聞き流しながら、バークはこれまでにない威容を誇る艦艇群をつぶさに観察していた。

 ずらりと並んだエセックス級航空母艦にくわえ、最新鋭の巡洋艦や駆逐艦が数えきれないほど停泊している様を見ていると、あのわずかに二年も経っていない硫黄島海戦の敗北が信じられない思いだった。

 よく見ると、どの艦艇にも対空レーダーや対空機関砲などの防空兵装が大幅に増強されており、巡洋艦クラスなどはハリネズミのようになっているものさえあった。

-だが、これだけ艦を揃えたところであの時速数百マイルで突っ込んでくる『誘導爆弾』相手に勝てるのか。

 およそバークの常識では考えられないあの非常識な性能の兵器は、確かに70年以上先の未来技術の産物であると言われても信じるほかなかった。

 最新鋭艦揃いとはいえ、釣瓶撃ちに撃たれようものならおよそ耐えきれまい。

 そんな暗澹たる気持ちでバークはポケットの煙草に手を伸ばそうとする。

「閣下、もしかして『硫黄島の英雄』のバーク閣下ですか?」

 若さに溢れる溌剌とした声に、バークは手を止めて振り返る。

 胸中に苦々しさが広がっていくが、しかめっ面をすることは将校としての立場が許さなかった。

 新聞記者にカメラを向けられている時のような笑顔を作ると、ゆっくりと振り返る。

 そこにはハイスクールを出たばかりと思うような少年たちが、目を輝かせていた。体に不釣り合いに大きい鉄帽をかぶり、汚れなど見当たらない軍服を着て、傷の見当たらないブーツという揃いも揃って映画撮影のモブを思わせる出で立ちだった。およそ、血と硝煙の臭いを嗅いだことのないように見える新兵たち。

「閣下はお忙しい、貴様らの相手をしている余裕はない」

 従兵が叱り飛ばすのを、バークは手で制しながら首を振る。バークの憐れみに満ちた顔に、従兵は納得しない顔ながらもそのまま黙り込んだ。

「閣下の御活躍は新聞や雑誌で読みました。硫黄島の戦いで何隻もの敵艦を葬り去ったいうのは本当ですか」 

 およそ薄汚れてしまった大人たちには不可能な曇りのない憧れに満ちた顔で見つめてくる少年たちだった。

 バークは息が詰まるような気持ちで思わず一瞬目をそらす。

 あの硫黄島海戦は、政府の公式発表ではこうなっていた。

 「硫黄島占領という作戦目的を達することはかなわなかったものの、近海に集結していた日本海軍の主力艦艇を壊滅させ、戦術的には勝利した」、と。

 「国民の動揺を抑え、戦争遂行を揺らぎないものとする」、と理屈らしいものは提示されてはいた。

 バークはその政府の決定に、国民をペテンにかける行為だと猛然と抗議した将兵の一人だった。 

 しかし、決定は覆ることはなく、逆にバークは海軍という組織の一員として負け戦を勝ちと強弁する義務を負わされることになった。 

 あの戦争で生き残った将校は貴重な存在であると説明はされたが、その実は反抗した自分への意趣返しなのではないかという疑念が拭い去れなかった。

 かくして「硫黄島海戦の英雄」バークは誕生した。

 あの海戦で撃沈どころか大破した日本軍の艦艇は一隻もいなかったはずだが、政府の用意したストーリーでは何隻もの敵艦を葬り去ったことになっていた。あからさまな政治宣伝プロパガンダの駒にさせられることにバークは憤慨していたが、政府が主導しているとあっては断ることも出来なかった。

 一年ほど新聞社や雑誌の取材であちこちへ引き回されたのは悪夢以上の何かに思えた。

 そのうえ、御大層な式典つきで銀星シルバースター勲章を授与された。

 さすがに昇進は一度代将へ任じられたあと、大統領指名と議会の議決を待ってから、一日おきに准将、少将へと昇進するという奇怪なものだった。

 事実上の三階級特進であった。

 いかに合衆国海軍が抜擢人事を大胆に行う組織とはいえ、横紙破りにもほどがある前例のない昇進だった。

 まともな神経を持つ将官ならば、敗北を喫したあとに昇進させられるなどというのは屈辱でしかないだろう。

「ああ、本当だ。私の駆逐隊も大きな損害を被ったがね。君たちの出身はどこだ」

「は、アラバマであります。この連中はみな同郷の出身でして」

 目を輝かせている背の高い赤毛の二等兵は、背筋を伸ばして「傾聴」の姿勢で応じる。

「なるほど、アラバマはいいところだな。私もモンゴメリーには一度だけ訪れたことがある。君たちはこれが初陣かな?」

「は、その通りであります。しかし、『イオウジマの英雄』に護っていただけるのであれば安心です。そうだよな、みんな」

 赤毛の二等兵の言葉に、『少年たち』は一様に笑顔を見せて軽口を言い合った。

 それを見ている『頼もしい英雄』を演じているバークの顔は、見る者が見れば痛々しいものに見えただろう。

「あの、よろしければサインをいただいていいですか」

 そばかすの残る背の低い少年が、使い込んだ手帳を開いて差し出してくる。

「お安い御用だ。君の名前は?」

「ウィリアムです、閣下」

 従兵がそっと差し出した万年筆を受け取ると、バークは手帳に手慣れた手つきでサインを書いてやる。

 結局他の少年たちにもサインをねだられたバークは全員分のサインを書く羽目になった。

 サインを書き終えたあたりで、彼らの上官である下士官が集合を命じる大きな声が響いてきて、少年たちは慌てて上官の元へ駆け足で戻っていった。

「陸軍はあんな子どもを前線に立たせるつもりなのか」

 バークは走り去る彼らを見送りながら、思わずそう呟いていた。

「事情は我が海軍も似たようなものでしょう。どこの艦もベテランが不足していると聞きますが」

 従兵の答えに、思わずバークは唇を噛む。

「我々はイオウジマであまりに多くの将兵を失い過ぎた。あんな経験は一度で十分だ」

 バークは自分に言い聞かせるようなつぶやきを漏らしたあと、顔を引き締めて自らの乗る旗艦へと歩き始めた。 

 

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