第94話 定例会議
立川の統合参謀本部では、戦略偵察局から提供される衛星写真や偵察機による戦術偵察、さらには暗号解読を含む通信解析など様々な情報を解析し、三軍で共有していた。 『先の大戦』、さらには尖閣紛争時の苦い経験から進められていた三軍統合運用は、この二度目の戦争によって完成へと近づきつつある。この会議はその証左とも言えるだろう。
もっとも、無意味に反目し情報の共有どころか隠蔽しあっていた帝国陸海軍ほどではないにせよ、セクショナリズムというのは一朝一夕で消え去るものでもないのだが。
上層部ではうまく機能してはいるものの、現場ではまだまだ微妙な意識の違いがみられるのもまた事実だった。
ともあれ、統合参謀本部では今後の日本における戦争指導に関わる戦略情報を分析し、政府やNSCへ提供するための会議が開かれていた。
出席者は三軍の代表者、情報将校などからなるが、テレビ会議システムを導入しているため意外と数は少ない。
立川地下最下層の大会議室は,軽く百名を超える人数を収容できる
「SRAの降矢管理官です。これより、偵察衛星の写真情報から分析した合衆国の艦船建造状況を報告します。お手元の端末にすでにデータは配布済みですので、1ページの図から御覧ください。
それを拡大したものがこちらになります」
化粧っ気のない顔に眼鏡をかけた偵察局の課員は、レーザーポインターを操って光点を表示させる。
そのポインターが照射される先は、業務用プロジェクターによって投影された合衆国の地図で、様々なデータが書き込まれているものだった。
「現在、合衆国各地では造船所がフル稼働して艦船の建造に入っています。戦略偵察局の分析によれば、少なくとも隻数は硫黄島海戦以前のレベルを上回る艦船が揃うことになります」
その言葉に軽いどよめきが起き、議事録係のノートパソコンのキーボードを叩く音も相まって会議室内が騒がしくなる。
「特にエセックス級航空母艦の充実ぶりが顕著です。史実ではこの1943年末時点でに就役している、あるいは建造中のエセックス級は14隻ですが、写真分析の結果20隻にのぼる数が建造中と思われます」
「これでは月刊どころか週刊エセックス級だな…」
ある海軍少佐がそうもらしたほど、その事実は衝撃的だった。
エセックス級航空母艦は史実でも大戦後期に登場した優れた設計の正規空母である。
合衆国の化物じみた工業生産力を象徴するように、1941年から45年にかけて24隻も建造され、就役している。そのことから一部の艦船マニアからは「月刊エセックス級」とのあだ名さえついているほどだった。
「史実を軽く上回るほどの正規空母を建造しているというのは、硫黄島海戦がもたらした衝撃の大きさを物語る、といっても過言ではないでしょう」
「このすべてが太平洋側に回される可能性は?」
海軍少将の質問に、磯崎は眼鏡の位置を直しながら答える。
「大西洋側の造船所で建造されているものに関しては、パナマ運河を回航してまで太平洋へ回す可能性は高くないと思われますが、断言はできません。既に既存の艦艇が大西洋艦隊から太平洋艦隊へ移動している例も多いですから」
「建造されている艦艇は、すべて太平洋へ回される可能性があると考えた方がいいだろうね。技術格差はあるが、脅威であることに違いはない」
紫香楽統合参謀本部議長は柔らかい口調で述べたものの、顔には憂いの表情が浮かんでいた。プラスチック製のコーヒーカップに手を伸ばす動作一つにさえ、育ちの良さが滲んでいる男だった。
「太平洋に彼らが戻ってくる日は近い、そういうことですな」
そう言ったのは国防海軍参謀長の
「我々も手をこまねいていた訳ではない。弾薬や補給物資の備蓄は進めている」
「とはいっても、我々の弱みは数です。国防費の大幅増額で一応の体裁は整えたが、まだ足りない。艦艇や航空機の数はともかく、人員はそう簡単には増やせません。特にパイロットは…」
紫香楽の太い眉が八の字に曲がる。
国民の圧倒的支持を背景に国防予算が大幅に増額され、正面装備だけでなく諸経費も潤沢に使えるようになったが、人間はそう簡単には増やせない。
予備自衛官を現役復帰させたり、旧帝国陸海軍兵士を採用してはいるが、余裕をもって世界大戦を戦える状況とは言えなかった。今のところ、国防軍の将兵に損害らしい損害は無いが、交代要員はいくらいても足りない。
士官学校などの通常の採用に加え中途採用にも多くの国民が殺到し空前の倍率を記録してはいるが、彼らの教育が終わるのは、速成教育でも来年以降までかかる予定だった。この時代の軍ならともかく、ハイテク兵器が主流の国防軍では、きちんとした教育を受けなければ前線で使い物にならない。
「それについては嘆いても仕方ない。手当ては十分に行っていますし、待つしかありませんな」
陸軍参謀長の萩原は落ち着いた表情で言った。
「よろしい。それでは、説明を続けてくれ」
「わかりました。それでは説明を続けます。先日、我々の偵察衛星は通常兵器ではありえない大規模な爆発を検知しました。場所はアラモゴード爆撃試験場です」
そう言うと、彼女は端末を操作してプロジェクターの映像を切り替え、二枚の写真を表示させる。
砂漠に建設された施設群を衛星軌道上から撮影した写真であり、同じ写真にサーモグラフィ画像のように色をつける加工をした写真が表示される。
「アラモゴード、だと?」
萩原の顔に困惑と怒りが同居したような複雑な顔が浮かぶ。
「我々は衛星写真の画像解析、そして空軍が採取したサンプル解析のの結果を総合した結果、これが核実験によるものだと断定しました。既に政府には同様の報告をあげています」
「一つ偵察局にお伺いしたい。私の記憶が確かならば『以前の歴史』で、原爆実験が行われたのは来年のはずだ」
「我々もそれに関しては正直驚いております。しかし、その変数がどこから来たかについては明白でしょう。硫黄島海戦です」
「我々は勝ち過ぎた、そういうことかね。 戦国武将の武田信玄は戦で勝つことについて「五分を上、七分を中とし、十分を下とする」としていたというが、理想通りにはいかんのう」
筆のつぶやくような言葉に、その場の誰もが複雑な顔を浮かべた。
彼が言った武田信玄の格言の意味は、「勝ち過ぎてしまえば味方の油断を生み、敵方には不要な復讐心を植え付ける。であるならば、五割勝つのがもっともよく、ついで七割勝つのをよしとする」という意味である。 しかし、技術的格差は圧倒的ではあっても数的には劣勢の日本側にとって、五割や七割の勝ちを狙うのは危険が大きすぎた。
また、事前の心理戦研究では人命尊重を旨とするアメリカ軍があまりに多くの兵士を失った場合、講和交渉に応じる可能性も指摘されていた。結果的に、その予想はあまりに甘い期待過ぎたわけだが。
「地上爆発実験が行われたということは、原子爆弾の実戦投入の準備が整ったと考えていい、ということかな」
「…我々はそう判断しています」
降矢は一瞬戸惑うような表情を浮かべたが、言葉は力強く誤解しようもないものだった。
その言葉に、会議室内に緊張が走る。
「仮に実戦使用が可能な段階になっているとして、一度目の戦争で使われたように都市部へ投下される可能性は低いだろうね。航空優勢は我々が確保している。むしろ、戦術兵器として使われる可能性が高い」
紫香楽の言葉には本土防空の任を完璧に果たしているという自負が感じられた。
「既に北九州市爆撃に飛来したB-29爆撃機は撃退しましたからな。あれ以降、米軍は出撃を控えています」
「だが、油断は禁物。今後の戦争では原子爆弾の存在を前提とすべきであろうな」
筆大将の言葉に場の雰囲気が一気に重くなる。
誰もが広島、長崎に投下された原子爆弾のことを思うと、陰鬱な気分にならざるを得なかった。
「よろしい、話を変えよう。核兵器の存在は確かに重要だが、今の主題はそこではない。今後の日本が取りうる軍事戦略に関して政府に提案することだ」
紫香楽は柔らかい動作で手を叩くと、その場の空気を変える。
「これまで通り、防御に徹しつつ長期持久体制を整えるのか、インド方面のような積極策に出るか。難しいところだねぇ」
筆が子供も笑顔になるような笑顔で禿げ上がった額をぴしゃりと叩くと、思わず吹き出しそうになるのをこらえる者すらいた。
会議は休憩をはさんで一時間ほど行われ、のちに報告書のかたちでNSCに提出された。
この時の出席者の誰もが、この会議を戦時中とはいえ通常の業務の範疇として受け止めていた。
しかし、この会議の結果がもし違っていたとしたら、歴史は大きく変わっていたかもしれない。後にそう回顧する者たちは、けして少なくなかった。
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