第91話 日系人動員令
1943年12月8日 ヴァージニア州リッチモンド ヴィルヘルム造船所
ボルト留め作業をする東洋人の青年の顔にはじっとりと汗が滲んでいた。
甲板の上はほとんど日差しを遮るものがないのと、卵焼きが焼けそうなくらい熱を蓄えた鉄板の上での作業は体力を大きく消耗させる。
彼が作業しているのは戦時急造型の駆逐艦、その艤装作業だった。主砲や航海装備などを甲板上に据え付けていく作業だった。
「それにしても、このフネが駆逐艦ねぇ。酷いと思わないか、マッケンジー。いくら戦時急造艦といったって、粗末なつくり過ぎないか。豆鉄砲みたいな主砲と対空機関砲が一門きりだ」
隣でぼやいているのは、このフネを任されている現場監督だった。ドイツ系移民の出身らしいが、厳つい顔に似合わないおしゃべり好きだった。肉体労働者らしい筋骨隆々の外見だが、これでなかなかの博識な人物でもある。
「だから、俺はケンジですってば」
「どうもケンジというのは言いにくい。ニックネームはマッケンジーでいいだろう」
「…はあ、それでいいですよ…。そもそも、この造船所で曲がりなりにも軍艦を作ろうというのがおかしいんですよ。輸送船ならともかく」
「構造そのものが違うからな。まあ、そのおかげでお前は一時的にとはいえ、強制収容所から出て働けるし、俺も飯が食える。悪いことばかりでもないさ」
「俺はこの足で、軍に志願するのは無理ですから。日系人の身で、外で働けるのは有難いですよ」
そう言ってケンジはぎこちない笑顔で左足の腿を叩く。そこから先の足は、粗末な木製の義足だった。
昨年二月の大統領令によって日系アメリカ人は『敵性外国人』とされ、強制収容所へ収容されることとなった。財産を没収され、住処を追われて収容所に入れられた日系人の青年は『合衆国への忠誠を証明する』ために軍へ志願するものが多かった。その中でも有名な日系人部隊が442連隊戦闘団であり、のべ死傷率314パーセントという数字が、投入された過酷な戦場を物語っている。
ケンジは軍に志願することはできなかったが、国家忠誠度テストを受けたうえで今年になってはじめられた『軍需工場日系人動員制度』への志願が認められ、この造船所で工員として働いている。
常に監視がつき、船所内から出ることを禁じられて作業場と工員寮を行き来することしかできない生活だった。とはいえ、僅かながら給金も支給されることから、ケンジのように軍への志願が認められない者が多かった。
「それにしても、いったい何隻建造するつもりなんでしょうね。毎日のようにたくさん造っていますけど」
「さあな、とにかく数ばかり揃えたいとしか思えないが…あまり不用意なことは口にするなよ。スパイ呼ばわりされるのは嫌だろう」
「すいません、うっかりしていました」
「そろそろ休憩だ。そっちの方に水が用意してある」
「ありがとうございます」
丁寧に頭を下げるケンジに対して、監督はケンジの肩を叩くと、監督は現場を後にして一旦事務所の方へ戻っていく。
『敵性外国人』である日系人に対して偏見をもたない彼は、この造船所の中では貴重な存在だった
ケンジは彼を見送った後、まだあちこちの艤装が途中のままの甲板を、足元に注意して歩きだす。
このフネはいかにも戦時急造船といった何の面白みもない船型だが、それでもケンジは船に関われるこの職場が好きだった。いつか、海軍士官か商船の乗組員になって、世界各地を巡りたいという夢は今もケンジの胸の中にある。
歩いていく途中も、何度も別の作業員からの敵意や好奇心といった感情がこもった視線が投げかけられる。
粗末な木製のテーブルに、銅製の水差しとガラス製のコップがいくつか置いてあるだけの『休憩所』には、何人かの作業員がたむろしている。
なるべく目立たないように水差しを手に取りコップへ注ごうとしたケンジに、横合いから強烈な足払いがかけられる。
衝撃で左足の義足の留め具が外れてしまい、姿勢を崩したケンジはその場に崩れ落ちる。
「おいおい、ジャップ。お前が飲んでいいアメリカの水なんぞ無いんだよ」
下卑た笑いがいくつも頭上から降ってくるのを、ケンジは内心またかという思いで受け止めた。
「連邦政府もこんな連中を造船所で働かせるなんてどうかしているぜ。強制収容所に閉じ込めておけばいいんだ。」
「どこもかしこも人手不足だからな、ジャップのスパイでも役に立つものは使うということだろうよ」
「おいジャップ、どうしても水が飲みたきゃこうしてやる」
一人の作業員は水差しを手に取ると、義足をなんとか元通りに固定しようとしていたケンジの頭から水をぶっかける。
濡れ鼠になったケンジの姿を見て、作業員たちは爆笑する。
「どうだ、好きなだけ水が飲めよ」
「黄色い猿は変わった水の飲み方をするな」
ケンジは握りしめた拳を震わせながらも、義足を固定し終えて立ち上がろうとした。
その背中を別の作業員が蹴り飛ばして、再び転ばせる。
またも悪意のこもった哄笑が振りかけられる。
「ちょっとあなたたち、またケンジを虐めてるの?子供みたいなことはやめなさい!」
凛とした少女の声に作業員たちは怪訝そうな顔で振り返る。
紅い髪に小柄な身体を機械油だらけのツナギと、オーバーオールに包んでいる少女は、勇敢にも屈強な作業員たちに正面から食ってかかる。
「おっと、また所長の娘さんが登場だ。やれやれ、イタリア系は同盟国のジャップには優しいねぇ」
「やめとけ、また所長に睨まれちまう。俺はこの仕事を辞めさせられるのはごめんだぜ」
ぶつくさ文句を言いつつ、作業員たちは一様に決まりの悪い顔をしながら、作業場へ戻っていく。
「ケンジ、あんな奴ら気にする必要はないわ。私もあなたも、イタリア人でも日本人でもなくアメリカ人、でしょ?」
彼女は特段美人という訳でもないが、ケンジには彼女の笑顔がやけにまぶしく見えた。
「元から気にしてませんよ。そもそも収容所から一時的に徴用された人間を警戒するのは当たり前でしょう」
ケンジはそう言うと、作業帽を深くかぶり直した。
「作業に戻ります。そろそろ休憩も終わりの時間ですから」
素っ気なく言ってその場を後にするケンジの背中を、彼女は何か言いたげな顔でじっと見ていた。
その日のケンジの仕事がようやく終わったのは、21時を過ぎてからだった。
しばらくぶりにフネから地表へ降りると、造船所の船渠群が視界いっぱいに広がる。
この造船所の広大な敷地には何隻もの輸送船を中心とした艦艇が一斉に建造されていた。
この艦艇群がどこで使用されるかなど、ケンジには知りようも無かったが聞くとはなしに聞いていた工員の噂では、パナマ運河を越えて太平洋側で使われるのだという。
何故わざわざ大西洋側で建造しているのかまではわからないが、この造船所がフル稼働しているところを見ると太平洋側の造船所だけでは足りないのかもしれない。
艤装の完了した艦艇はすぐに海軍に引き渡され、どこかへ運ばれていく。
そしてすぐにまた新しい艦船の建造が始まるのだ。
この造船所でまだ半年も働いていないケンジですら、数えきれないほどの艦艇の出立を見送ってきた。
そして、経験の浅い工員に過ぎない彼でも、建造される艦艇は戦時急造艦としても簡易過ぎる構造に見えた。
「腹が減ったな…せめて街へ出られたらな…」
そんな独り言が知らぬうちに口をついて出る。
造船所の敷地の外への外出が禁止されているから、彼の行動範囲はひどく限られていた。
日系人の逃亡を防ぐために敷地の外縁部を州兵がパトロールしているという話だった。
この造船所ではほかにも何人かの日系人が働いているはずだが、これも逃亡防止とやらで日系人同士の接触は禁じられている。
息の詰まる話だが、慣れてしまえば「そういうもの」として納得できなくもなかった。
だが、腹は減る。工員食堂も既に閉まっている時間で、晩飯を調達できるあてはまったくなかった。
考え事をしているうちにほとんど無意識で、船渠群を通り抜けて工員寮へと戻ってきていた。
工員寮のコンクリート壁にもたれかかりながら彼を待っていたのは紅い髪の少女だった。
「まったくいつまで待たせるのよ。いい加減、帰ろうかと思ったわ」
「ラウラさん、先日も言ったでしょう。こんな暗いところで待っていると危ないですよ。工員には荒っぽい人間も多いですから」
「問題ないわ。銃の撃ち方くらいわかるから」
そう言って彼女は腰のホルスターに収まったリボルバー式の拳銃をちらりと見せる。
「相手も銃を持っているかもしれない。危険なことは避けるのが賢い人間です」
ケンジの面白みのない返事に、彼女は肩をすくめるだけで聞き流す。
「それより、これを。どうせ、何も食べていないんでしょう?」
そう言って彼女はくたびれた紙袋を渡す。
「ああ、お代ならいらないからね。本来なら、この造船所がきちんと食事を出すべきなんだから。あなたが日系人なのをいいことに、こんな時間までこき使うなんて」
「仕方ないんですよ、とにかく仕事が多過ぎるんです。それに現場監督は休憩時間も取らせてくれますし」
「あなたたち東洋人の悪いくせね。神様も日曜日はお休みしなさいと言われているのに」
「あいにく私は仏教徒ですから」
「屁理屈言わないの!とにかく、強制収容所から来た人間でも、労働法規は守られるべきよ。民主主義の国、自由の国の名が泣くわ」
彼女の憤りをよそに、ケンジは転がっていた木材に腰を下ろすと紙袋の中からしわだらけのパンに大きなソーセージがはさまったホットドッグを取り出してかぶりつく。彼の受けた教育でははしたないとされていることだったが、一日中肉体労働をしてきた身体の欲求には逆らえない。
「アメリカはいい国ですよ。労働法は知らないけど、美味いホットドッグがある。僕は良い国に生まれた」
「その祖国が、あなたを『敵性外国人』だと決めつけて、強制収容所送りにしたのに?」
「命まで取られたわけじゃないですから。この戦争もいつかは終わる。そうしたら、強制収容所も過去の話になる」
「随分と楽天的なのね。日本人ってみんなそうなの?」
「僕はアメリカ人ですよ。連邦政府がどう言おうとね」
「…まあいいわ。私はあなたのそういうタフなところは嫌いじゃないし。でも、あの連中の嫌がらせは見ていて腹が立つわ」
「仕方ないですよ、ここ最近の忙しさは異常ですからね。ろくに休みが取れないとなれば、八つ当たりしたくもなる」
「確かに、途切れることなく艦船を作り続けているわね。いくら日本にたくさん沈められたからといっても、異常なくらいだわ。政府のお偉方は何を考えているのかしら」
ケンジはその問いには答えず、中身を食べ終えた紙袋を丁寧に畳むと、作業服のポケットにしまいこむ。
奇妙な沈黙に耐え切れずに、ラウラはことさら明るい顔をつくって口を開く。
「…戦争が早く終わるといいわね。日系人の強制収容なんて馬鹿げたことも終わるわ」
「ええ、そうなることを祈っていますよ。さあ、もう遅い時間だ。貴女も帰ったほうがいい」
彼女はその言葉を聞いて怒った顔で何か言いかけたが、言葉を発することなく肩をすくめる。
「言われなくても帰るわ、この唐変木」
彼女はそう言って壁際に止めてあった自転車のスタンドをはずすと、乱暴に飛び乗る。
「それじゃあ帰るわ。せいぜい早く寝ることね。明日も一日仕事なんでしょう?」
「わかりました、早く寝ますよ」
ケンジは怪訝な顔になりながらも、自転車に乗った彼女の後ろ姿と頼りない明度の自転車のランプの光を見送っていた。
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