第84話 ニューススタンド
ペンシルバニア駅のギリシャ神殿のような駅舎が眺められる通りのニューススタンドではその朝も、いつものように新聞がうず高くバベルの塔のように店頭にそびえ立っていた。
見出しに踊っているのはどれも戦争の記事ばかりだが、このご時世でも下世話な醜聞が見出しのタブロイド紙も混じっているのは流石は自由の国であった。週刊誌の類も戦意を煽り立てるような扇情的な見出しばかりが躍っている。
アメリカ合衆国の首都ニューヨークの市街地は、世界大戦でヨーロッパ戦線と太平洋戦線の二正面で戦争をしている国とは思えない繁栄を謳歌していた。
多くのビジネスマンが自分の職場へと足早に行き交う雑踏の中で、新聞の売れ行きはすこぶる好調であった。 白髪の混じったブラウンの髪のビジネスマンがワシントン・ポスト紙を束から一部抜き取ると、硬貨を叩きつけるようにレジへ置く。
レスラーのようながっしとした体格の店主はにこりともしない無愛想な顔で硬貨を数える。
それを確認するでもなくビジネスマンは新聞を革製の黒鞄にねじ込み、足早に通り過ぎていく。
特に誰の記憶にも残らない、戦時中の日常がそこにはあった。
店主が通りを歩いてくるよれよれのトレンチコートを羽織った白人を見て、いかつい相好を崩したのは顔見知りだったからだった。左手で杖をつきながらゆっくりと歩く姿は遠目からでもすぐに分かる。
「よう、ギブソンさん。いつもどおり各紙一揃えかい?」
新聞各紙をまとめて買っていく上得意には、この店主も接客をしようという気にもなるらしい。
「ああ、頼む。いつも通りだ」
飾りもなにもない無骨な杖を握りながら、にこやかに笑う『ギブソン』という男はまだ年は40も越えているようには見えない。いつか店主は何故杖を突いているか尋ねたことがあったが、この男は『戦争でへまをやらかしたのさ』と言ったきり曖昧な笑顔を浮かべたきりだったことを思い出す。
店主は新聞各紙を一部ずつ抜き取ってひとまとめにして紙袋に入れる。
ギブソン氏は使い込まれた牛革の財布からドル紙幣数枚を取り出してカウンターに置く。
「毎度あり。お釣りだ」
「新聞の売り上げはどうだい?うちの新聞は売れているかな?」
「おかげさまで売り上げは右肩あがり。まさに戦争さまさまだね。ニューヨーク・ヘラルドの売り上げは…まあまあかな」
「正直で結構。まあ給料が出ているうちは仕事をするさ」
ギブソン氏は皮肉な笑みを浮かべて新聞を受け取ると、杖をつきながら通りの向こうへ歩いていく。
その姿を見送りながら、店主は怪訝そうな顔をしていた。
「ギブソンさん、少し痩せたかな。病気でもなけりゃあいいんだが」
そんな独り言をつぶやいていた店主だが、次の客が店を訪れた時にはその些細な違和感などすぐに忘れ去っていた。
「バンシーより、グレイハウンド。一次テストは合格だ。少し怪しまれた可能性はあるが、許容範囲だろう」
ケーブルレスのイヤホンへ、待っていた通信が入る。
冷たい印象を与える男の声だった。
公園のベンチに座っていた『ギブソン氏』は広げている新聞を少し下げて、周囲に視線を走らせる。
こちらに注目している人間がいないのを確かめると、ネクタイピンに偽装してあるマイクへ向けて喋る。
「同業他社の新聞をチェックする習慣があるという情報は正確だったようだ。アイルランド訛りの英語という指定だったが、問題はないか」
「親族でもない限り、問題ないレベルだと思われる。『乗り換え元』への偽装に問題はない。予定通り、ニューヨーク・ヘラルド社へ『出勤』してくれ」
「了解。通信終わり」
『ギブソン氏』は耳からイヤホンを抜きとると、鞄のポケットに放り込む。
新聞を畳むとベンチの脇に置いてあった屑籠へと放り込む。
ベンチにたてかけてあった杖を掴むと、彼はそれとわからない自然な動作で周囲を警戒しながら歩き出した。
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