第83話 ロスアラモス研究所

「馬鹿な、まだ計画は始まったばかりなんだぞ。来年までに実戦投入なぞ、およそ正気の沙汰ではない。大統領は我々を魔法使いと勘違いしているのか。まだ誰も開発したことのない新型爆弾を作るんだぞ、ピザを作るのは訳が違う」

 ロバート・オッペンハイマー博士は憤慨して執務机の上にホワイトハウスからの秘密文書の束を叩きつける。 極秘文書の扱いとしては褒められたものではないが、このロスアラモス研究所内は厳重に立ち入りが管理されている。所長たるオッペンハイマーの行為を責めるものはいなかった。

「政治家というのはそういう生き物だよ、いちいち腹を立ててもしょうがない」

 デンマーク訛りの英語でそう窘めたのは『計画』に参加する優秀な科学者、ニールス・ボーアであった。

 怜悧という言葉が似合う彼の顔が今は、忌々しくて仕方なかった。

「わかっている。彼らにも都合があるのだろう」

「都合か…太平洋では日本軍に大負けしたというじゃないか。その埋め合わせに使おうというのかもしれないな」

「さあ、どうだか。どちらにせよ、我々がどう言ったところで聞きはしないだろう」

 オッペンハイマーは革張りの椅子に腰を下ろすと、机の上に散らばった文書を無造作にかき集める。

「どちらにせよ、計画の前倒しは避けられないのだろう。なに、入力する数値が変わるだけだ。我々のやることは変わらんよ」

 そう言って泰然とした態度でソファーでコーヒーをすすっているのは、ジョン・フォン・ノイマン。禿げ上がった頭に高い知性を感じさせる広い額、爛々と光る瞳が印象的な人物である。 

 彼は数学の天才であり、また爆発物に関する専門家でもある。化学など数多くの科学にも精通し、異常な才能を持つ一種の怪物と言える人物であった。

「簡単に言ってくれる。だが、愚痴を言っても仕方ない。計画の変更は避けられないとして、問題は計画をどう変更するかだ」

 オッペンハイマーは文書をめくりながら、思わずため息をつく。組織の長として褒められた態度ではないことは自覚しているが、自分自身が制御できないことを自覚する。

「我々が想定している方式はいわゆるガンバレル型と爆縮型だが、やはり爆縮型は構造が複雑すぎる。ガンバレル型に絞って開発するしかない」

「だが所長、ガンバレル型には安全機構フェイルセーフの構築が不可能だ。事故が発生した場合、開発計画自体が頓挫しかねない。」

 ガンバレル型とは、円筒内のウラン235の塊をもう一つのウラン塊にぶつけて核分裂反応を引き起こす方式である。構造が単純で生産が容易とされ、『新型爆弾』の開発はこのガンバレル型を念頭に進められていた。

 反面ウラン235の精製に大幅なコストと手間がかかること、安全性に問題が指摘されていることが指摘されていた。

「たしかに爆縮型は構造が複雑で、起爆には綿密な調整が必要だ。だが、ガンバレル型に比べて安全性は高い。ウラン抽出のコストも削減できる。この『研究所』のスタッフたちがいれば問題はない」

「…やはり、当初の計画通り二つの方式を並行して開発すべきではないだろうか。開発途中で問題が大きい方を開発中止にすればいい」

 ボーアの提案に、オッペンハイマーは頭を振りながら肩をすくめる。

「どのみち、すぐには判断できない。正式に会議にかけて議論するほかあるまい」

「だが、我々に残された時間は少ないかもしれない。ナチスが先に開発することだけは阻止せねば」

「同感だ。だが、同時に事を急いて失敗することは許されない。ホワイトハウスにプロジェクトが合衆国の勝利に貢献できることを示し続ける必要があるのだからな」

 この執務室に集まっているこの三人の共通点は、ナチスによって迫害されているユダヤ系の出身であるということだ。ナチスドイツよりも先に『新型爆弾』を開発するというのは、彼らの中で暗黙のうちに目標となっていた。

「一つ提案がある。当初の予定では爆撃機に搭載する爆弾型を想定していたが、そのためには『新型爆弾』の小型化が不可欠だ。しかし、小型化には相応の時間とコストがかかる。であれば、小型化を諦めるというのも、開発期間短縮の方法として考えられるのではないか」

 ノイマンの思わぬ提案に、オッペンハイマーは目を見開く。

「それでは兵器としての汎用性を著しく損なうだろう。私は反対だ」

 ボーアが当然とばかりの顔で反論する。

「考慮には入れておこう。軍の連中が良い顔をしないだろうがな」

 オッペンハイマーは渋い顔で、手元の文書に走り書きでメモを取る。

「明日には会議を招集する。二人も出席を頼むぞ」

 眉間の皺を揉みほぐしながら、オッペンハイマーは研究メモの束を机の中から取り出す。

 おもむろに数式や文章を書きなぐりはじめたオッペンハイマーに、肩をすくめたノイマンとボーアはお互い肩をすくめると、ゆっくりと足音を立てないようにして執務室を後にした。

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